「鯉」
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雑誌『和樂』10、11月号(2026年9月1日発売)にて、ジュエリー・ウォッチの背景画として、水墨画をご依頼いただいた。夏の初めのことだ。
秋号にふさわしい水墨画をいくつか携えて、写真家・浅井佳代子さんのスタジオを訪ねる。
一枚は、水中を泳ぐ鯉。この鯉を描いたきっかけは、隔月で行っているオンラインの筆ペンレッスンで取り上げるためだったと思う。描く前に、近くの池に鯉を見に行った。長く連なる骨格と筋肉が連動し、うねうねと全身を揺らしながら、水中を滑らかに進む。
自宅に戻って和紙の前に座り、あの骨格と筋肉を備えた鯉になった気分で、筆を動かしてみた。筆を持つ手を、和紙の上に置かずに宙に浮かせ、肘から筆を動かす。ひと息に動かした線には、生き生きとしたエネルギーが宿る。泳ぐ魚になった気分だ。
もう一枚の絵は、竹林。竹は、「四君子(しくんし)」と呼ばれる水墨画の基本の画題のひとつ。空高く伸び、適度な暗がりをつくるその姿は、初秋に涼やかな気分をもたらしてくれるだろう。
鯉と竹林に加えて、後日、新作を2点描いた。
まずは、赤とんぼ。水墨画は白黒の世界なので色はつけず、観る人に想像を託す。その下に、すっと伸びる枯れ枝を2本加えた。宮本武蔵(みやもとむさし)の『枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)』(重要文化財、和泉市久保惣記念美術館所蔵)からのインスピレーションだ。
戦乱の世を生き抜いた剣豪・武蔵は、天下泰平の江戸時代を迎えた晩年に、剣術と禅の修行を極め、心に迷いのない境地に達したのだろう。二天(にてん)という画号を持ち、水墨画にも才能を発揮した。『枯木鳴鵙図』に描かれた枝は、シャープで掠れのある筆線で、静謐な気が満ちている。
最後の一枚は、山並み。輝くジュエリー・ウォッチの世界を引き立てるようにと、たくさんの光を降らせた。

こうして揃えた4枚の水墨画を、撮影日に合わせて発送した。
写真家・浅井佳代子さんのマジックで、墨と和紙、そして陽光が溶け合う素敵な誌面になるだろう。ぜひ本誌を手に取ってご覧いただきたい。
芦雪、応挙、若冲、蕭白 ― それぞれの鯉
中国では古来、黄河の中流にある急流「龍門」を飛び越えた鯉は、龍になるといわれる。「突破すれば出世につながる難しい関門」を意味する「登竜門」の語源だ。
この伝説が伝わった日本でも、激流をさかのぼり、天へと向かう鯉の姿が数多く描かれてきた。江戸時代を代表する絵師たちの作品を見ていこう。

長沢芦雪の筆と伝わるご覧の鯉は、急流をものともせず、空へと跳ね上がる。どこか楽しげな表情は、機知に富む禅画や、くだけたタッチの南画にも影響を受けた、ユーモラスでカワイイ画風で知られる蘆雪ならではだろう。
ありありと描かれた鱗の描写にも注目したい。蘆雪の師は、「写生派の祖」といわれる円山応挙。物を見えるままにリアルに描こうとする制作態度は、現代の私たちにとってはごく普通だが、古画の模写が重視されていた江戸時代当時においては斬新だった。

こちらは、応挙の作と伝わる、龍門を越えんとする鯉の姿だ。透き通るような鱗の見事な描写は言わずもがなだが、それ以上に、水流の筋の向こうに鯉がのぞく、楽しい構図に目を奪われる。この掛軸を床の間に飾れば、部屋に清涼な気が満ちるだろう。

打って変わって、堂々たる体躯のこちらは、伊藤若冲の筆と伝わる。上部の画賛(がさん)は、前述した龍門の伝説を示唆する内容だ。末尾には「丹崖(たんがい)」の名がある。若冲が親交を結んだ禅僧・無染浄善(むせんじょうぜん、1693–1764)が名乗った号だ。若冲は禅宗に傾倒して、在家で修行する居士となったことでも知られ、さまざまな高僧がその作品に賛を寄せている。
鱗は、若冲の十八番(おはこ)であった「筋目描(すじめが)き」の技法で描かれている。鱗を1枚ずつ、間をあけずに描くと、墨よりも先に水が紙に染み込むため、鱗と鱗の間に自然に隙間(筋目)ができるのだ。渦巻く波の描き方もユニークで、まるで波自体が意志を持っているかのごとく、長く奔放に伸びている。

最後を飾るのは、若冲も影響を受けたという、奇想の画家・曾我蕭白(そがしょうはく)の作と伝わる鯉だ。あごを上げ、白目を剥くようにしてこちらを向く、強い眼差しに心を掴まれる。
鱗には松葉のような模様がつき、腹側の白い鱗は、ぬめりとした質感さえ想像させる。水流、鯉、そして水草が、いくつもの層をなす描写は、まさに超絶技巧といえるだろう。
秋を感じに、鯉が棲む池へ
江戸時代の絵師たちは、それぞれの感性で、鯉のしなやかで力強い動きを捉えた。さまざまな作品を味わった今、本物の鯉を眺めに出かけたくなった方もいるかもしれない。秋が深まれば、鯉が棲む池の水面に赤い紅葉が映りこみ、風情が増す。その姿を、ノートの片隅にさらりと描き留めても楽しいだろう。
アイキャッチ画像: 鮫島圭代 《鯉》 《蜻蛉と枯れ枝》 紙本墨画 2025-26年

