豊臣秀吉の愛した女性と言えば、北政所や淀殿が有名ですが、全員を合わせると20人ほどの側室がいたそうです。手を付けた女性や、妻たちのお世話をする女性を含めるとかなりの数になり、『日本史』を著したルイス・フロイスの目には300人もの愛人がいるように映っていました。
天下統一を成し遂げた男は、どんな女性を愛したのでしょうか。秀吉の妻として有名な女性たち7人をご紹介します。
秀吉の正室
正室は妻のトップで、側室たちを束ねる役割もありました。
当時珍しかった恋愛結婚!正室「北政所(きたのまんどころ)」
言わずと知れた秀吉の正室。杉原定利・朝日殿の間に生まれ、当時としては珍しく秀吉と恋愛結婚しました。結婚当時は秀吉の身分が低かったので、母・朝日殿は大反対。結婚式も非常に質素なものだったそうです。
北政所は夫を支えながら政治力も発揮し、1588(天正16)年には、従一位を授かっています。子宝には恵まれなかったものの、加藤清正や福島正則といった秀吉の親類縁者を子どもの頃から預かり育て、秀吉を支える武将に育てました。そんな北政所に、秀吉は終生敬意を払い続けました。
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秀吉の側室
戦国武将は男色を愉しむのが当たり前でしたが、秀吉は男に興味ナシ。生粋の女好きだったそうで、側室の数も桁違いでした。
信長の血を引く美女「淀殿」
茶々という名でも知られる淀殿は、浅井長政とお市の方(織田信長の妹)との間に生まれました。秀吉は「戦国一の美女」と呼ばれたお市の方に憧れていたと言われます。淀殿のもつ母親譲りの美貌や魅力はもちろん、憧れの女性の娘であること、また敬愛する信長の血をひいていることも、秀吉が溺愛した理由でしょう。
淀殿と秀吉の間には2人の男の子(鶴松・秀頼)が生まれます。しかし、たくさんの側室がいながら秀吉は子宝に恵まれなかったため、鶴松と秀頼は淀殿が別の男性と密通して生まれた子ではないかとの説もあります。
淀殿のいとこ「京極竜子」
かなりの美女だったらしい京極竜子(松の丸殿)は、秀吉お気に入りの側室の一人で、淀殿のいとこ(母親の京極マリアが浅井長政の姉)にあたります。もとは武田元明の正室でしたが、元明の死後、秀吉の側室に迎えられました。元明は秀吉に殺されたとの説もあります。竜子はどのような気持ちで秀吉に嫁いだのでしょうか。
竜子と淀殿には、醍醐の花見の席で盃を受ける順番を巡って争った、という有名なエピソードが残されています。しかし「大坂夏の陣」の後には淀殿の侍女を保護し、幼くして処刑された国松(秀頼の息子)の遺体を埋葬していることから、竜子の優しさを伺い知ることができるでしょう。
織田信長の娘「三の丸殿」
三の丸殿は織田信長の娘です。本能寺の変後、親類にあたる蒲生氏郷のもとに引き取られていたところ、秀吉が目をつけて側室にしました。このとき同時に、蒲生氏郷の妹「三条局」も側室にしています。三の丸殿は、淀殿と京極竜子が盃を争った醍醐の花見の際、三番目の側室という序列でした。
前田利家の三女「加賀殿」
摩阿姫(まあひめ)とも呼ばれる加賀殿は、前田利家とまつの子ども(側室の子ではないかとの説も)です。もともと柴田勝家の家臣・佐久間十蔵と婚約していたものの、賤ヶ岳の戦いで勝家が秀吉に負けため十蔵は自害。後に夫となる秀吉がもとで、婚約者を失ってしまったのです。
加賀殿は秀吉の側室となりましたが、妹の豪姫は秀吉に養女として迎えられています。豪姫は秀吉の秘蔵っ子として大変かわいがられていたのだとか。
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秀吉の死後は万里小路充房の側室となり、前田利忠を出産。後に離縁して利忠とともに金沢に戻りました。
男顔負けの強さ!「甲斐姫」
甲斐姫は、秀吉が関東で唯一落とせなかったとされる忍城(おしじょう)城主・成田氏長の娘です。忍城を守り抜いたのは甲斐姫であると言われるなど、男顔負けの強くたくましいエピソードが残されています。さらに絶世の美女でもあったそうで、噂を聞いた秀吉に気に入られ側室となりました。
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秀吉の子を産んでいた?「南殿」
南殿の素性はよくわかっていませんが、秀吉が近江長浜城主だったころの側室だったと考えられています。男の子(羽柴秀勝)と女の子を産んだとも言われますが、2人とも幼くして亡くなってしまいました。そもそも羽柴秀勝の存在を疑問視する声もあります。
秀吉はセレブ好き?
秀吉は低い身分から一代で成り上った実力者。実力があるのは誇れることですが、秀吉自身は低い身分出身をコンプレックスに感じていたそうです。そのため、織田家や足利家の娘など、当時の「セレブ」の娘をたくさん側室にしています。
そうでなくても美女とみれば全員我がものにしてしまったそうで、まさに「英雄色を好む」を体現した人物と言えるでしょう。
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