「炭焼き」という職業をご存知ですか。数年前だったらキョトンとされたこの質問も、「『鬼滅の刃』の主人公・竈門炭治郎がしていた仕事」と伝えれば、子どもたちも目を輝かせてくれることでしょう。最近、炭焼きについてのツイートが次々バズるのを見かけ、鬼滅人気の高さと波及力を目の当たりにした思いです。
今と昔で大きく変わった生活の中、炭焼きとはどんな存在だったのでしょう。現代日本の炭焼き職人である・兵庫県「神鍋白炭工房(かんなべはくたんこうぼう)」3代目・田沼光詞さんにお話を伺いました。
「炭焼き」は日本人のすぐそばにあった
炭はもともと、生活に密着した身近なものでした。日本最古の炭は愛媛県の遺跡で発見されたもので、なんと30万年前のものだそうです。電気もガスもない時代、炭は室内料理に暖房にと、まさに生きるために必要不可欠でした。ちなみに薪との違いは「煙が出ないこと」。そのため炭は室内でも使えるので、家の中心にあった「いろり」、持ち運びできる火鉢(枕草子では「火桶」として登場)など、さまざまな場所で愛されてきました。
それが変わってきたのは昭和30年代(1950年代後半)。電気が各家庭に行き渡り、急速に石油エネルギーが浸透する中で、炭の存在感は薄れていきました。しかし、今も炭の文化を残そうと炭焼きを行う職人さんは日本各地に存在します。
田沼光詞さん(以下、田沼):炭焼きは、祖父の時代までは地域の基幹産業。非常に身近な存在でした。農業のかたわらにやっていたことが多かったですね。
炭焼きは木を切ることから始まるー3代目に聞く炭焼きという仕事
今回お話を伺った田沼さんは、炭焼き職人の3代目。どこの家にも「おくどさん」と呼ばれる竈(かまど)があり、薪でお米を炊いていました。炭は火力の調整も簡単なので、いろりに使われています。時代劇でおなじみの茅葺き(かやぶき)屋根は、実は排気ができる作りとなっています。いぶされた煙で家が丈夫になっていき、虫が来なくなる。薪や炭を使うことで家が、暮らしが回るといった生活スタイルに炭は組み込まれていました。
―炭焼きの仕事はまず何をするのですか?
田沼:炭焼きの仕事は、まず木を切るところから始まります。里山ってあるでしょう。これは再生する山のことを指すのですが、薪炭の原料となる材木を繰り返し伐採することを目的としたものでした。炭焼きが木を切る。その切り株からひこばえ(若芽)が出て、木が再生します。
もともと根っこを持っているので成長が速く、5年もすれば山は再び蘇り循環するんです。昔の人は山に敬意を払っていたし、体験で自然のサイクルを理解していました。山の入り口の、一番便利なところが薪をとる雑木林。その奥で炭焼きが炭を焼いていたんです。
―炭に使う木は何でも良いのですか。
田沼:炭は昔から「広葉樹」が使われます。乾いたとき重くて、炭素量が多い、つまりよく燃え長持ちするんです。まず、森の中の良い場所を見つけ、そこにある石や粘土で炭窯を作ります。木は山の斜面で伐採して、炭窯のある場所へ滑らせて落とします。
―窯を作るところから仕事が始まるんですね。炭というと、燃えたあとに残るもののイメージが強いのですが……。
田沼:もちろん、そのままにしたら燃え尽きてしまうので、炭窯から掻き出したものに砂をかけ、埋めて冷やしていました。当時は、窯をぴったりしめて酸欠にするか、水か土をかけるしかなかった。今は密閉容器に閉じ込めたり、炭酸ガスを使ったり、色々な方法がありますけれども。
―砂をかける……?
田沼:一晩ほど砂をかけ、埋めて置いておくんですよ。炭窯から出した炭は1000度近くあります。砂をかけておくと残った火を消すのが簡単ですし、ふるいにかければ、炭だけ残りますから。1トンあった木が100キロぐらいに圧縮できます。炭は日持ちするので、たくさん作って置いておき、農閑期に売りに行っていたそうです。
―炭治郎が行っていた「炭売り」ですね。炭焼きとは違うんですか?
田沼:あの世界はどうかわからないですけど(笑)。昔は生産者直売が、自分で作ったものをそのまま売って回るのが基本でした。農業が一段落つくと、山に入って炭焼きをするんです。
―冬ではない?
田沼:真冬だと、雪が積もる地域は木が埋まってしまいます。3mくらい積雪する場所もありますから。だから冬は「炭俵」を作るか、出稼ぎをしていました。かつての生活はとにかく農業、コメが中心に1年が回っていたので、山仕事は合間に行っていました。
―お話を聞いていると、かなり大変そうな力仕事ですね。
田沼:炭焼きは力持ちですよ。山の木を運搬したり、できた炭を担いで持ち帰ったりと、重いものを背負って歩きまわる仕事ですから。
―『鬼滅の刃』で炭治郎は妹を背負って歩いていますしね。
田沼:炭焼きはみんな、足腰も鍛えられていました。ましてやチェーンソーなどの便利な道具がない時代は、ひたすら手作業。辛抱強さの要る、地域にあるものを活用する仕事でした。
―炭治郎が炭焼きの仕事で培ったものがわかるような気がします。
これからの炭焼きとは?―山を再生させるという役目
―現代の炭焼きについてお伺いしたいです。
田沼:炭焼きは進化しましたが、炭を作る木の化学変化自体は今も昔も同じです。今は山から木を持ち帰れるので、作業場で炭焼きが出来ます。うちは、昔ながらの炭を、今の技術を使って、量産できるようにしています。生産効率をあげてコストを下げて。インターネットでも販売していますし、SNSなどを活用するようにしていますよ。
―私がコンタクトを取ったのも最初はSNSを通じてでしたね。投稿を見ると、山の保全にも力を入れてらっしゃるご様子でしたね。
田沼:最近、クマが人を襲ったり、シカが畑に降りてきたりするニュースが多いですよね。あれ、里山が荒れていることにも原因があるんです。先程言ったように、木を伐採すれば山が循環する。つまり、動物の餌を供給するとも言いかえられます。人間が山に入ることで、動物たちとの境界線が生じ、共生関係が成り立っていました。炭焼きはその境界線を成り立たせられる職業だと思うので、里山を活用して、ヒト、動物、商売、三方よしを目指したいと思っています。
―12年前に炭焼きになられたということですが、ためらいなどはなかったのですか?
田沼:セールスマンから転身した当時は「今更炭焼きなん?」と言われていました。でも、このままサラリーマンでいいのかな、と思ったり、社会に貢献できる仕事がしたいと思ったり……。色々迷いましたが、やっぱり家業ですし、炭焼きが自然を支えていることを知るうちに、山の保全のことも考えるようになって炭焼きを行うことになりました。ブレずにやってきて、時代もいろいろ変わってきましたし、お陰様で今評判となっています。嬉しいですね。
―「令和の炭焼き」として活躍しているわけですね。今の時代における、炭の魅力とは何だと思いますか?
田沼:炭は不便ですが、おもしろい、心の豊かさをもたらしてくれるものです。うちで扱っているのは「白炭」ですが、いい炭で焼くことで、手頃な食材でもクオリティがアップする。バーベキューのときにはぜひ試してください。最近は5ミクロンまで砕いた炭を使った、食用パウダーなども出していますよ。スイーツやドリンクなどいろいろな場所で使っていただいたり、アメリカに輸出したりしています。『鬼滅の刃』で日本古来の知恵に興味を持ってくださった若い世代にも、どんどん炭を活用してほしいですね。
炭焼きの魅力は今も健在!将来の夢は炭焼きなんて子が出てくるかも?
バーベキューやキャンプがブームになり、炭が昔とは違ったかたちで身近になりました。今回お話を伺い、何十万年も我々の生活を支えていてくれた歴史、培われた文化奥深さに改めて驚きます。自然を取り戻す第一歩にもなる炭、炭焼きのお仕事に思いを馳せて我々も活用したいですね。今後は炭焼きになりたい子どもも登場するかもしれません!
神鍋白炭工房
※本文写真はすべて田沼さん提供
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