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2021.03.04

土肥実平とは?どんな人物か解説!阿南健治演じる苦労人は、戦国・小早川家の先祖?【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

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今回解説するのは、喧嘩っ早い坂東武者の良心? 土肥実平(どい さねひら)殿!

この人も、実は早くに亡くなってしまっていてな、オレは面識がないんだ。子である遠平(とおひら)殿や、孫の維平(これひら)殿なら知ってるんだが、ドラマに出るかのう?

おっと、自己紹介が遅れたな。鎌倉御家人・三浦胤義(たねよし)が語る! 令和4(2022)年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!

土肥実平殿の本拠地は伊豆じゃなくて……

土肥殿の話をする前に……多分伊豆半島周辺の地域だと「土肥」と聞くと「あ、土肥(とい)温泉の領主?」って思う人が多いだろう。Twitterでも、なんで「とい さねひら」じゃなくて「どい さねひら」なのか? と首を傾げていた人をチラホラみかけた。

土肥実平殿の領地は土肥は土肥でも、西伊豆にある「土肥(とい)」じゃなくて、湯河原にある「土肥(どい)」なんだ……。しかも、西伊豆の土肥は明治時代にできた地名だから、土肥実平殿は関係がない。

国土地理院ウェブサイトをもとに作成

ちなみに土肥は「どひ」とも言って土肥実平殿のことも、「どひ さねひら」と読む場合もある。しかしNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の公式では「どい さねひら」と書いてあったので、このシリーズではそっちに合わせて「どい」と読むことにする。

そろそろ土肥がゲシュタルト崩壊したところで、土肥実平殿について。

小早川氏の先祖!?

土肥殿は相模国(現・神奈川県)の中村党の武士。中村宗平殿の次男で、湯河原の土肥を貰って住んでいた。

鎌倉幕府ができる前、相模国の勢力は大雑把に分けて、東に三浦党、西に中村党、中央に鎌倉党、北に横山党って感じだったんだ。この相模国群雄割拠の時代の詳細は省くが……源平合戦の時、鎌倉党は平家家人で、他は源氏家人だったということでなんとなく察して欲しい。

ちなみに、土肥殿の子、遠平殿が小早川姓を名乗り、それが戦国時代の小早川秀秋に続く……とされている。なんというか、関ケ原の時にどちらにつくか板挟みにされたのは、この先祖にしてこの子孫ありって感じもする。(秀秋は養子らしいが)

と、いうのはな……。

頼朝様の命の恩人の1人

土肥殿も頼朝様の流人(るにん)時代から頼朝様に仕えていた。挙兵する時も付き従っていたんだが……戦場となった石橋山で、平家家人・相模国代表の鎌倉党・大庭景親(おおば かげちか)に敗けて、逃げるる事になる。この戦いの詳細は第2回北条宗時殿の記事を参照してくれ!

この時に、土肥殿は追っ手から逃れやすくするために、バラバラに分かれて少人数で動く提案をした。そして土肥殿は頼朝様を連れて自分の領地にある真鶴(まなづる)岬から船に乗って逃亡に成功したんだ。つまり頼朝様の命の恩人だ!

喧嘩の仲裁人!

その後、無事に逃げ延びた頼朝様は、鎌倉を拠点に武士の都を造り始め、平家討伐のために西国に坂東武者を派遣する。その時に、総大将代理となった頼朝様の異母兄弟、源範頼(みなもとの のりより)殿と、義経殿のサポート役の1人として軍奉行(いくさ ぶぎょう)となった。まぁ現場監督役だな。

ちなみに、範頼殿には和田義盛(わだ よしもり)、義経殿には梶原景時(かじわら かげとき)殿がついていて、土肥殿はどちらにもついているが……どちらかというと義経殿の方にいることが多かったみたい。

義経殿と梶原殿の仲が悪いってのは、みんな知っていると思うけど、土肥殿がよく仲裁に入ってたんだって。まぁ、そのおかげで義経殿と土肥殿は結構仲良くなっていたみたいだ。

源平合戦後も、坂東武者たちの喧嘩の現場に現れては仲裁役をしていた。でも、そんな土肥殿もキャパシティーオーバーになってしまった大喧嘩が、頼朝様と義経殿の兄弟喧嘩だった。

……子孫(仮)の小早川秀秋みたく、「ええい、こっちにつく!」って決められたら良かったんだろうけどね。

最後はひっそりと消えていった、優しすぎた武士

実は土肥殿の最期ははっきりしない。いつのまにかいなくなった。鎌倉の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』では、建久2(1191)年を最後に登場しなくなっていた。なにが原因なのか、いつ死んだのか、全く書かれていない。

噂では義経殿と仲が良かったから、その関係で失脚したって言われているけど、いなくなったのは義経殿が亡くなった3年後だし……いなくなる前年(1190年)では、上洛した頼朝様の隋兵(ずいへい)っていうボディーガードみたいな役目を努めているし……。

土肥殿、色々あって疲れちゃったのかなぁ。温泉に浸かってのんびりした余生だったらいいなぁ。

▼ガイドブックもチェック
鎌倉殿の13人 前編 NHK大河ドラマ・ガイド

土肥実平役、阿南健治殿について

ああ! めっちゃ優しそう~~! ぴったり~!

愛すべき老武者。源氏に忠義尽くす温泉郷の主

みんな仲良く仲良くと陰ながら見守って助言もしたりして、そんな土肥実平を大いにいろいろと熱く楽しみたいと思います。

NHK_PRサイト 阿南健治のコメントより抜粋

見える、見えるぞ。御家人たちが騒ぎを起こすたびに、土肥殿を労わるTwitterのタイムラインが……。

みんな! 土肥殿を応援したくなったら、土肥に行って温泉入ったり、地の物食べたりしような! 西伊豆じゃなくて、湯河原だぞ!

関連人物

主君;源頼朝
父:中村宗平
兄弟:土屋宗遠、岡崎義実の妻、伊東祐親の妻、ほか
子:土肥遠平、ほか

人物相関図:
『鎌倉殿の13人』予習にぴったり!源平合戦~鎌倉初期を相関図で解説!

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。