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2021.07.03

武田信義とは?人物解説!八嶋智人演じる男は武田信玄の先祖だった?【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

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今回解説するのは甲州が誇る甲斐の虎! 武田信玄……の、先祖。武田信義(たけだ のぶよし)殿! ……といっても、オレは武田信義殿の孫と同年代なので、本人に関しては伝聞だなぁ。まぁ、基本的な所を紹介しよう。

おっと、自己紹介が遅れたな。鎌倉御家人・三浦胤義(みうら たねよし)が語る、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!

甲斐源氏と河内源氏の関係

頼朝様義経殿は、河内(かわち)源氏と呼ばれる氏族だが、武田殿は甲斐源氏と呼ばれる氏族だ。

頼朝様の曽々祖父と武田殿の曽祖父が兄弟という間柄で、赤の他人とは呼べないけれど、親戚と呼ぶには遠い、微妙な立ち位置の親戚だ。

しかもそれぞれ生まれ育ったのが甲斐(現・山梨県)と京都じゃ、気持ち的にも物理的にも交流がある方がまれな距離感じゃないかな。

ちなみに八幡太郎義家(はちまん たろう よしいえ)様は坂東武者にとって恩人と言える方。そして義家様の弟、新羅三郎義光(しらぎ さぶろう よしみつ)殿は馬術に長けていて、古来の弓馬術を現代に伝える武田流や小笠原流の礎を築いた方だ。

鎌倉と武田信義殿

戦国時代の武田家家臣はつわもの揃いで有名だけど、源平合戦の頃も強い兵を揃えていたんだ。そして武田信義殿は以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)を受け取って挙兵した1人。

頼朝様が挙兵して大庭景親(おおば かげちか)と石橋山(いしばしやま)で戦い、敗走した直後、大庭景親の弟を武田殿の弟が討ち取っている。

頼朝様方の武士の一部も、甲斐に逃げて武田殿を頼った。そういえば北条時政(ほうじょう ときまさ)義時(よしとき)親子も甲斐に行こうとしていたな。

その後、鎌倉で武士の都を作る頼朝様に協力し平家討伐に参加することになる。そう、あくまでこの時点では御家人ではなく協力者。対等な同盟を結んでいたんだ。

でもなぁ……その後、甲斐源氏の内部でイザコザがあって内部分裂しちゃってさ……。そこをちょっと、こう……頼朝様もつついちゃってさ。最終的には武田殿は頼朝様と同格扱いから御家人になってしまうんだ。

この出来事を指摘されると坂東武者としては「ゴメンネ(てへぺろ)」と言わざるを得ない。しかしある意味、この立場となったから徹底的に家が潰されるまでは至らなかったとも言える。そして戦国時代まで一族が生き延びて超有名かつ最強武将となるので許してほしい。

武田信義殿のちょっと面白い話

そうそう、武田殿には逸見光長(へんみ みつなが)殿という弟がいたんだけど、2人は二卵性双生児だったという話がある。先に生まれたのは逸見殿だが、長男は武田殿だ。

なぜかというと昔の双子はどちらが兄(姉)かという一律のルールはなかったからだ。「後から生まれた方を兄(姉)」としたり、「体が大きい方を兄(姉)」としたり、地域によって違っていた。

現代のように生まれる前から性別や人数なんてわからない時代。2人も出てきたら、さぞや周りも予想外でびっくりしたろうな。でも、こうして2人とも成人するまで育てられるなんて、やっぱり財政的にも強い家だったんだろう。

武田殿は『吾妻鏡』によれば文治2(1186)年に病死したとある。けれどその後もなぜか『吾妻鏡』に登場するんだ。そして逸見殿の没年は不明。……そういえば武田信玄って「三年間死を隠せ」って言い残したんだっけ。

武田信義役、八嶋智人殿について

そんな、子孫のつわものっぷりの片鱗をみせつつ、ミステリアスな武田殿を演じるのは八嶋智人殿! おお、そういえば八嶋殿は同じ三谷幸喜殿の平成16(2004)年のNHK大河ドラマ『新選組!』で、武田観柳斎(たけだ かんりゅうさい)役だったな! ……といっても観柳斎は武田殿の子孫ではないそうだが。

「北条は助けてやってもよい。わしの家人になれ」

当然そんな猛者中の猛者を演じるのだから、メガネを捨て挑みます。捨て身です。

NHK_PRサイト 八嶋智人のコメントより抜粋

八嶋殿……! やはりメガネが本体だったのか……! 

発表された台詞では、強者の余裕が見え隠れするが……三谷殿と八嶋殿が、武田殿をどう料理するのか。とても楽しみだな!

関連人物

父:源清光 母:遊女
兄弟:逸見光長、加賀美遠光、安田義定、浅利義遠、ほか
子:一条忠頼、ほか

人物相関図:
『鎌倉殿の13人』予習にぴったり!源平合戦~鎌倉初期を相関図で解説!

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

アイキャッチ画像:菊池容斎『前賢故実』巻第7 武田信義 (国立国会図書館デジタルコレクション
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征夷大将軍になり損ねた男たちートップの座を逃した人物に学ぶ教訓の日本史

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。