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2021.11.22

『青天を衝け』アナザーストーリー!明治維新で失業した武士たちが掴んだ 「静岡ンドリーム」とは

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2021年大河ドラマ『青天を衝け』もいよいよ佳境。農民出身で徳川慶喜につかえ、明治維新後さまざまな起業をした渋沢栄一が主人公のドラマだ。大政奉還後に慶喜や元・武士、渋沢栄一たちが静岡に引っ越すシーンがあった。徳川幕府がなくなり治安が悪化した江戸から武士が消え、静岡は大量の移住者でにぎわったようだ。その後、放送では渋沢が東京に戻り、ドラマの静岡編は終了。しかし渋沢が去った後、実際は静岡に残った旧幕臣たちが、苦労して転職し国を支えるビッグビジネスを立ち上げたのだ。そんな歴史に詳しい「ふじのくに茶の都ミュージアム」副館長の白井満さんに話を聞いてみた。

尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。

リストラされた徳川幕府の武士の転職先を必死に考えた勝海舟と、剣の達人・中條景昭

給湯流(以下、「給」) 大河ドラマでは大政奉還された後、徳川幕府側についていた武士から慶喜まで、多くの人が静岡に移住するシーンがありました。

白井さん(以下、「白」) そうですね。勝海舟や渋沢栄一も数年間、静岡にいたんです。静岡は東海道があり東京に近い。清水港から荷物の運搬もできる。いろいろな製品を輸出して外貨を獲得しようと国が考えたとき、静岡は1つの拠点として注目されました。

▲近世太平記/吉村明道 編/国立国会図書館デジタルコレクション

 勝海舟も静岡にいたんですか。それは知らなかったです!

 いたといっても数年ですけどね。ほかにも幕府がなくなり職を失った武士がたくさん静岡に移住したんです。彼らを食わせていかなきゃならない。旧幕府は、彼らの職業探しも必死だった。

 サラリーマン目線でみたら、とてもうらやましいです! 今は、職場が倒産しても基本的には誰も助けてくれない。旧幕臣たちには、心配してくれる組織があったんですね。

 そうなんです。幕府の親衛隊でリーダー的存在だった中條景昭(ちゅうじょうかげあき)や勝海舟たちが必死で彼らの転職先を考え、農業をやろうと決めた。でも畑で何をつくるかは、すぐに決まりませんでした。

マーケター勝海舟! 日本茶がアメリカで売れると提案

 そうなんですか! 何を作る案が出てたんでしょう。

 渋沢は生糸を推していました。また、麦やそばを作る案も出ていたようです。ですが、アメリカに渡った勝海舟がお茶がいいと提案しました。当時、アメリカでは緑茶にミルクや砂糖をいれて飲んでいたようです。

 えー! 中学や高校で「明治時代に茶と生糸を輸出して外貨を稼いだ」って歴史の授業で習いました。でも輸出したお茶が、砂糖とミルクが入れて飲まれていたとは知らなかったー。

▲明治時代、お茶は一大産業になった/大日本物産圖會/歌川広重三世/国立国会図書館デジタルコレクション

 紅茶みたいに楽しんでいたんでしょうね。アメリカは当初、中国からお茶を輸入していました。しかしアヘン戦争や動乱で、世界第一のお茶の産出国だった中国の供給が減少したんです。そこで、日本茶をアメリカに売り込むのがチャンスだと、勝海舟が静岡の旧幕臣たちにアドバイスしたんですね。

 なるほど! 麦とかそばより、お茶のほうが輸出して儲かると。

勝海舟が資金を集め、荒地で開墾を始めた元・武士たち

 そこで中條たちは土地を探したんです。地元の名士に相談して大昔から馬や牛が草をたべる放牧地、牧之原台地(まきのはらだいち)を茶畑にすることにしました。

 牧之原台地は、農民が誰も畑にしなかった荒地だったと聞きましたが……。

 そうですね。風が強く、害獣になるタヌキやキツネもいて暮らしにくい場所だったようです。

 うわあ! そりゃ大変。大都会・江戸で働いていたエリート武士たちが、いきなり荒地で開墾やるって辛いだろうなあ……。大河ドラマの静岡のシーンでも、元・武士たちが商人と一緒に働くのは嫌だって駄々をこねてました。

 実際、牧之原台地で働いたものの、辛くてやめる旧幕臣たちもいたようです。さらに、当時は茶の種をまいて何年もかけて茶葉をとる手法でした。お米みたいに1年ですぐ収穫することはできません。茶畑をつくっても最初の数年は売り上げがなかったんです。

 えー! 売り上げゼロでどうやって暮らしたんですか。

 勝海舟がかけまわって資金を調達したんですよ。明治政府から産業振興としてお金を集めたり、静岡で借入などもしました。お金の面でも、静岡は勝海舟にものすごく影響を受けていますね。

 勝海舟が、リストラされた幕臣たちを助けていたとは……知りませんでした。

交通業界で出た大量の失業者も、荒地の開墾に参戦!

 武士だけでなく、当時は近くで失業した人が大勢いたんです。川越人足(かわごしにんそく)と呼ばれる人たちです。

 にんそく? どんな仕事ですか?

▲川越人足の働く様子/東海道五拾三次/歌川広重/国立国会図書館デジタルコレクション

 牧之原台地のそばに大井川という川が流れていて、徳川幕府はわざと橋をかけなかったんですね。幕府が江戸を守るためです。川越人足は、川を渡る人を担いだり、荷物を運んだりする人材。参勤交代などで川を渡りたい人はたくさんいたのでにぎわっていました。

 諸行無常ですね。徳川幕府が倒れて交通業関係者も大量リストラに!

 そうなんです。失業した元・川越人足たちも牧之原台地の開墾に参加しました。

荒地から日本一の面積の茶畑になった牧之原台地。出世より地元を愛した開墾リーダー・中條景昭がかっこよすぎる!

 そんな牧之原台地が、現在は日本一の広さの茶畑になったんですよ。

 なんと! 大量の失業者、誰も使っていなかった荒地、アメリカでお茶が大流行……いろんな要素が重なって、牧之原台地が日本一になったんですね。ビッグビジネスがうまれた奇跡だ!

 開墾リーダーだった中條景昭の人柄も関係していると思います。中條は地元の出身ではないのですが、死ぬまで牧之原台地に尽くしました。たくさんの失業者を目の当たりにして、自分が支えなければという気持ちが強かったのでしょう。晩年は神奈川県知事になってくれと誘いもきたようですが、断ったそうです。渋沢をはじめ、まわりの仲間はどんどん国の仕事について出世していったんですが。

 中條さん、なんていいリーダーなんだ!

 知事の誘いを断り、中條は「自分は茶畑の肥やしになるんだ!」といった記録も残っています。そして中條が亡くなったとき、勝海舟が葬式を取り仕切ったそうです。勝と中條は熱い信頼関係で結ばれていたんでしょう。

 ビジネスが成立する条件だけじゃなくて、熱い思いを持った人がいなければビジネスは成功しないんですね。いいお話、ありがとうございました。

ふじのくに茶の都ミュージアム

記事にも出てきた牧之原台地に位置するミュージアム。お茶の産業・歴史・文化を紹介する展示のほか、茶摘み・手もみ体験や、五感で感じる講座を充実させ、子どもから大人まで楽しくお茶について学べる機会を提供。さらに、江戸時代の大名茶人である小堀遠州(1579-1647)が手掛けた茶室と庭園を復元しており見学できる。ぜひみなさんもお立ち寄りください!

◆公式サイト https://tea-museum.jp/

書いた人

きゅうとうりゅう・さどう。信長や秀吉が戦場で茶会をした歴史を再現!現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体、2010年発足。道後温泉ストリップ劇場、ロンドンの弁護士事務所、廃線になる駅前で茶会をしたことも。サラリーマン視点で日本文化を再構築。現在は雅楽、狂言、詩吟などの公演も行っている。ぜひ遊びにきてください!