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2021.11.17

台風迎撃作戦!! 絶海の孤島「南大東島」台風ツーリング その1

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2002年の8月27日、台風15号の発生と同時に、僕は自転車を輪行袋に突っ込みカメラを持って、東京から沖縄の南大東島に急遽出発した。この時、台風15号は小笠原沖で発生し、小笠原諸島を通過、西に直進して沖縄へ向かっていた。
このまま行けば、確実に南大東島を通過すると思われた。台風迎撃作戦を実行するためだった。

僕のソロキャン物語VOL.8 絶海の孤島「南大東島」台風ツーリング その1

台風

子供の頃、どういうわけか、台風にゾワゾワ、ワクワクする子供だった。
台風は危険だし怖い。各地に甚大な被害をもたらす大変な自然現象である。
もちろん、子供の頃、台風の中へ出かけたとか、出歩いたという事はないのだけど、
家の窓から、そっと、その強力なエネルギーを見ていたい、という願望があった。
よく、テレビのニュースなどで「台風の目」と聞こえてくると、台風に目があるんだ!!
と夜も眠れず、その巨大な目を想像して興奮していた。


自分の小さい頃は、サッシなどは無かったので、窓の脇にセットしてある昔のトタンを引き出してきて窓を二重に防御して台風に備えた。それでも不安な時は、雨の中、小さい窓などに父親が木の板などを打ち付けて補強していたのを、よく覚えている。
どうしてゾワゾワするのかよくわからないのだが、やはり、日常の見慣れた風景が変化していくのに興奮したし、たぶん、その強力な自然のエネルギーを直に「感じていたい」という感覚があったのだと思う。

1995年 台風アダルトビデオ

そんな記憶やゾワゾワする性格のせいか、大人になってAV監督になってしまった僕は、台風そのものを映像に収めたくなって、1995年9月、突如「台風の中でAVを撮るぞ!」と、女優と小人数のスタッフだけで、この時期、台風が通過する事で有名な沖縄の南大東島に飛んだ。
しかし、一週間ほどこの小さい島に滞在したにも関わらず、晴天続きで台風どころか、島では雨一滴も降らないという結末になった。


ところが、島では台風は来なかったが、帰路に偶然にも戦後最大の台風12号が発生、東京に戻ると、すぐに同じメンバーを集め、今度は東京から千葉の犬吠埼に台風を追跡して、無事?? 台風をカメラに収める事ができた。(どんな結末になったか? はここでは触れるのは控えます)


どうして、そんなムチャをしてまで、台風を収めたいのか?
理由はないが、とにかく可能な限り記録しておきたい。
何がなんでも撮影したい、その場に自分がいたい。死にたくはないが、ある意味死んでも仕方がない、
撮影したものが残ればよい。自分がいかに小さいかを思い知らされたい。自分が負ければ負けるほど良い。
冒険映画が大好きだ、でも、ハリウッドのようには作れない、作れないなら本物を撮りに行けばよい、それなら無料だ。
こんな事を考えていたし、今でもそれは変わらない。

メディアは何でも良かったんだと思う。たまたまその時は、AVの仕事をしていて、ある程度自由に制作できる環境があったため、台風AVなどと称して実行したが、それを記録するメディアが、ドキュメンタリーだろうが映画だろうが写真だろうが、自分的にはそこに差別は無かったのだ。
1995年の南大東島では、台風通過時の数百メートルにも上る波飛沫、海に爆弾を落としたかのような大波の写真が食堂に飾られているの見ていた。その光景を直に見られなかったのが悔やまれていた。

南大東島の食堂に飾られていた写真。台風時、数百メートルにも及ぶ波飛沫。

そして、7年後の2002年

その頃、僕は自転車雑誌の仕事もしていて、玄光社の別冊CG「BycycleNAVI」の編集部と相談し、その年の9月に、またしてもイチかバチか南大東島に飛んで、台風の記事を載せようとしていた。もしもまた台風が来なかったら、その時は南大東島のツーリングレポートを載せようと打診していたのだ。
出発は以前と同じように9月上旬を予定していた。

しかし8月末、
小笠原諸島で台風15号が発生、天気図を見ると、台風は西に直進、沖縄方面に真っすぐ進んでいた。
南大東島は、南に連なる各沖縄の島々と違い、沖縄本島から東に約390キロ、海洋沖に孤立した絶海の孤島である。
このまま台風が西に直進すれば、間違いなく南大東島を直撃する上に、移動する交通手段は近いうちに何もかも欠航になる。
南大東島の気象台に電話で確認すると、やはり8月末には交通機関は全て欠航するだろうという予想だった。
もうグズグズしている場合ではなかった。
予定を繰り上げ、すぐ出発せねばならない。

台風より早く島に到着し、島で迎え撃つ作戦を取るのが確実だった。
編集部に連絡し、慌てて自転車、カメラなど荷物をまとめ、今度は目的を「台風ツーリング」と称し8月27日、飛行機でスッ飛んだ。

南大東島への交通は2つ、沖縄本島まで飛行機で到着したら、次は、沖縄本島の港から一晩かけて船で行く便と、30人乗りの小型プロペラ機で行く便。
急いでなければ、船で一晩かけて行く方が楽しいが、この時は小型プロペラ機に乗って島に上陸した。

晴れ台風

7年ぶりの南大東島は、さほど変わってはいなかったが、2000年で開拓100年を記念してか、鈴木宗男効果なのか、以前よりそこかしこが小じんまりと整理され、少し便利になっていた。
小さい公園もできて、モニュメントなども建っていた。

島に到着するなり、素泊まり一泊2500円の宿に直行した。
さすがに今回はキャンプではない。

そして翌日の8月28日の早朝、起きて即座にカメラを準備し、組み立てた自転車で、島の東にある海軍棒という場所(高台になっていて海を見渡せる。岩を長方形にくりぬいて作られた海水の天然プールもある)へ海の様子を見に行った。

近づいた岸から、まだ海は見えていないが、どういうわけか轟音が聞こえてきた。
海鳴りのような音だった。空は晴天で青空が広がり、音以外は平和な雰囲気だった。

海軍棒の高台に到着し、海を見た瞬間、全身が固まった。

空は晴れ渡り、陸地も普段と何も変わらないのに。海だけが、遥か彼方にいる台風の影響で、圧力がウネリを上げ、轟音を発しながら巨大に蠢いていた。


南大東島の海は美しい。
透明度は世界でも屈指ではないか? と思われるほどの海である。
その美しい海が、美しい姿のまま遥か彼方の水平線まで、異様なウネリを発っしていた。
まるで女神が怒り狂っているように見える。

この現象を「晴れ台風」というのを後に知った。

台風が接近している時、または去った直後など、晴れているのに海が荒れた状態をこう呼ぶのだそうだ。

普段の穏やかな南大東島の海。海の透明度は素晴らしい

同じ場所での「晴れ台風」時の海。巨大なウネリを上げ、美しい状態のまま、荒れ狂っている

「こわい」

目が釘付けになった
自分は現在(2021年の今でも)まで、ここまで恐ろしい海は見た事がない。

人は本当に凄いものを目撃すると動けなくなる。

この時、まるで脳みそが静止したように、カメラでただただその光景を撮る事しかできなかった。同じ光景を撮ったはずなのに、バカみたいに何度も何度も繰り返し撮っていた。

思考が完全に停止していた。

続く。

書いた人

映画監督  1964年生 16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。『ゲバルト人魚』でヤングマガジンちばてつや賞佳作に入選。18歳より映画作家に転身、1985年PFFにて『狂った触角』を皮切りに3年連続入選。90年からAV監督としても活動。『水戸拷悶』など抜けないAV代表選手。2000年からは自転車旅作家としても活動。主な劇場公開映画は『監督失格』『青春100キロ』など。最新作は8㎜無声映画『銀河自転車の夜2019最終章』(2020)Twitterはこちら

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