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Culture
2021.12.27

地域のみんなでつくる歌舞伎の舞台!400年の歴史を誇る岐阜の地歌舞伎「鳳凰座」を徹底取材

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拍子木が鳴り、幕が開くと、掛け声と拍手がわき起こります。桟敷席では弁当を広げ、酒を飲み、子どもたちはお菓子をほお張り、まさに宴たけなわ。役者がここ一番で見得を切ると、掛け声と共にあちこちからおひねりが舞台めがけて飛び交います——。

ヨッ!! 黒田屋ッ!!!


これは江戸時代の歌舞伎見物の1シーン? いえいえ、今も地方に残る地歌舞伎公演の様子です。

地歌舞伎とは、江戸時代から素人役者によって上演されてきた芝居で、地芝居ともいわれています。地域の人々が代々受け継ぎ、村や町ぐるみで楽しむ伝統芸能として、岐阜県では今も盛んに行われています。子どもたちにとっても、近所のおじさん、おばさん、家族、さらには同級生が、きれいな着物を着て舞台で演じる姿がまるでおとぎ話の世界のようで、子ども心に驚きや感動を覚えたといいます。コロナ禍で、現在はこのような状態での上演ができなくなりましたが、地歌舞伎は人々にとって、地域を支える大切な絆となっているようです。

客席と1階と2階に桟敷があり300人は収容できる大きさ。花道や回り舞台もあり、本格的な芝居小屋となっている

スター役者に憧れ、地元の素人役者が発奮する地歌舞伎

江戸時代、出雲の阿国に端を発したといわれる歌舞伎は、当初、彼女が傾奇者(かぶきもの)の男衣装で踊り、京の人々を熱狂させたことから始まったとされます。それが遊女や若い男衆が演じる歌舞伎へと遷り、さらには現在の歌舞伎の原型となる多くのスターを生み出した野郎歌舞伎が一世を風靡しました。

江戸や上方で大きく花開いた歌舞伎は、地方巡業する役者たちによって、日本各地に芝居熱が広められていきました。娯楽の少ない地方の農山村では、歌舞伎が大盛況となり、見ているだけでは飽き足らない人々が、小屋を建て、舞台で演じ、「村芝居」が盛んに行われるようになりました。

日々の厳しい農作業と貧しい暮らしに追われる農村民にとって、「村芝居」は数少ない楽しみの一つだったのでしょう。その後、幕府によって厳しく規制されると「神様への奉納」を名目に、村の祭りとして地歌舞伎を上演するようになったのです。

神様へ奉納するもの、という意味では相撲にも似ていますね。


吸い込まれるような飛騨川の神秘的な美しさが旅情を盛り上げてくれる

時間が止まっているような深い山間の里に残る『鳳凰座』

歌舞伎というと、どうしても高尚な日本文化というイメージがあり、歌舞伎に精通していない私には、都心での観劇は緊張感を伴うものでした。しかし、大人も子ども一緒になって楽しめる地歌舞伎なら、歌舞伎初心者の私にも気軽に楽しめるのでは!と、そんな期待を胸に、車窓から美しい飛騨川を眺めながら下呂へと向かったのです。

下呂といえば、下呂温泉があり、兵庫県の有馬温泉、群馬県の草津温泉と並ぶ日本三名泉の一つ。しかし、今回は、温泉には目もくれず、この地でどのようにして江戸時代から地歌舞伎が受け継がれてきたのか。その謎を探るべく、紅葉色づく鳳凰座を訪ねました。

足を運ばれた方は、ぜひ下呂温泉にもお立ち寄りください。


芝居が上演される日は幟(のぼり)が立てられ、芝居が始まる高揚感に包まれる

大自然に抱かれた芝居小屋で連綿と続く「演じる」ということ

かつて、岐阜県下呂市御厩野(みまやの)の地歌舞伎は、日枝神社の境内に建てられた拝殿型の舞台で行われていました。現在の場所に移築されたのは、1827(文政10)年、その後、明治、昭和の改修が行われ、1998(平成10)年の大改築で、取り外されていた回り舞台が復活し、現在の形となったのだそうです。1961(昭和36)年に、岐阜県で最初に「鳳凰座村芝居保存会(現鳳凰座歌舞伎保存会)」が結成され、以降、毎年の5月3日、4日には、日枝神社のお祭りと合わせて、鳳凰座の定期公演が行われています。

毎年5月3日と4日に祭礼が行われる御厩野の日枝神社

ここ鳳凰座は、築100年を超える芝居小屋と所蔵されていた台本が、岐阜県重要民俗文化財に指定され、全国からも注目を集める地歌舞伎のシンボル的存在となっています。現在も約20人の団員が仕事を持ちながら、地元下呂市での公演はもとより、岐阜県内や地方公演、さらには海外公演にまで呼ばれるほどの実力を維持しています。

昼間は仕事、夜は歌舞伎の舞台。かっこいい生活!


鳳凰座は地域の拠り所、地歌舞伎を通して、人が集い、人が育つ

鳳凰座の中へ一歩入ると、がっしりとした天井の大きな梁と柱があり、煤けた木の色が歴史の長さを彷彿させてくれます。『千と千尋の神隠し』ではないけれど、随所に神々が宿っているかのような感覚に陥ります。

「地歌舞伎の面白さは、演じながら自分の人生がいろいろ重なっていくところ。年齢を重ねれば重ねただけ、人生の経験が演技にのってくる」

と語ってくれたのは鳳凰座歌舞伎保存会の会長である曽我軍二さん。地歌舞伎は面白いし、楽しいし、一度やったら辞められないと、優しく大らかな笑顔で語ってくれます。

鳳凰座歌舞伎保存会の会長である曽我軍二さん

私が訪ねた日は、下呂温泉観光協会が主催する旅行社に向けたモニターツアーがあり、そのために鳳凰座で地歌舞伎も上演されることになったのです。小屋の中で掃除やら、準備に奔走している人たちは、あと数時間もすれば、化粧し、衣装を着て、舞台に立つ役者たちです。地歌舞伎は、役者も裏方も一緒。大道具から小道具、舞台づくりから黒衣まで、代わる代わるやっていきます。

鳳凰座のみなさん、多才すぎませんか…?


この日上演された演目は『太刀盗人(たちぬすびと)』。訴訟のために田舎から出てきた万兵衛(まんべえ)が太刀を盗まれ、盗んだスリの久兵衛と揉めているところに、目代と従者がやってきて、どちらの太刀か詮議を始めるという話。質問を盗み聞きし、そっくりそのまま繰り返す演技や踊りが滑稽でクスッと笑いを誘います。軽快なテンポや踊り、盗人とばれた時の久兵衛の立ち回りなど、軽妙な演技に思わず見入ってしまいました。

「全部自分たちでやる。それが地歌舞伎の面白いところですよ」と語るのは下呂市役所に勤める渡邉展(ひろし)さん。彼はまとめ役をやりつつ、本番では、三味線を担当しています。最初は役者として参加していたそうですが、三味線に興味を持ち、習い始めるうちに、鳳凰座を支える三味線奏者の豊澤順八師匠の指導を受け、今では鳳凰座を率いるホープとして、あちこちの地歌舞伎からも声がかかるほどの実力です。地歌舞伎を引き立てる渡邊さんの三味線の音色は艶っぽく、心に響いてきます。

太夫は竹本美芳さん、三味線は渡邊展さん/撮影©小寺克彦

楽しんだもの勝ち。そんなムードが漂う地歌舞伎の舞台裏

「大人の学芸会」。そんな言葉を思い浮かべてしまうほど、全員総出の準備は、大変ではあるけれど、みな生き生きとした表情でこちらまでテンションがあがっていきます。しばらく忘れていたけれど、祭りの前のドキドキ感があり、全てを自分たちでやる醍醐味は、地歌舞伎ならではなのだと思います。

「大人の学芸会」ってむちゃくちゃワクワクするパワーワード…


でもなぜ、ここ鳳凰座が400年もの地歌舞伎を受け継ぐことができたのか、それはこの地域に、江戸時代からの資料や台本がたくさん残っていたこと、小屋が個人所有のものであったため、売却されることもなく続けられたからなのだとか。昭和に入り、さまざまな娯楽が増えるにつれ、芝居離れが進み、全国でも閉鎖した小屋は数多くありましたが、鳳凰座は太平洋戦争時に一時中断されただけで、終戦後1945(昭和20)年の12月8日に舞台が再開したほどです。それを聞くと、いかに御厩野の人々が地歌舞伎を大切に守ってきたかがわかります。

「ここでは、大歌舞伎がやらないような細かい演目もやっていて、80外題ぐらいは演目を持っています。そういう意味では、江戸時代の歌舞伎に近いといえるかもしれません」と曽我さん。鳳凰座は、小さい頃から、親に連れられて見に来る人が多く、大人になったら自然に自分もやろうと思っているのだといいます。

「最初はみんな素人だけど、先輩たちが、新しく入ってきた人に芸を教えていく。礼儀作法と同じで、繰り返しやることで身についていく。歌舞伎座で見るのは、時間をかけて訓練した完成された芸なんですが、地歌舞伎は生活の一部というか、身体に染み付いたものが徐々に芸へと染み出していくんだよね」

人々が生活という営みの中で、芸能文化を育てていく。それをいろいろな大人が教えることで、子どもたちにも自然に伝統文化が受け継がれていくのです。伝承ということが失われつつある日本において、なんだかとても素敵なことだと感じてしまいました。

生活と文化が密着しているって、素敵。


清流の国ぎふ 2020年地歌舞伎勢揃い公演で見せた白熱の舞台

この取材をする1週間前に、岐阜県が主催する「2020地歌舞伎勢揃い公演」の千穐楽を飾ったのが鳳凰座です。演目は『双蝶々曲輪日記 引窓』だったのですが、演技の良しあしというより、あっという間にその世界に引き込まれ、どっぷり感情移入してしまいました。現実離れした話なのに、なんだか日常に近い感覚で見ることができました。見る人と演じる人との距離感のなせる業なのか、これが地歌舞伎の土着パワーというものなのでしょうか。千穐楽ということもあり、上演後、歌舞伎に造詣の深い方々によるトークセッションがあったのですが、鳳凰座の芝居に誰しも感嘆の声を上げていました。

2020地歌舞伎勢揃い公演千穐楽で上演された『双蝶々曲輪日記 引窓』で濡髪長五郎を演じた進藤紀之さんは、下呂市役所の職員/撮影©小寺克彦

役者は商店主に保母さん、役所の職員に学校の先生と舞台の上ではみな平等

地歌舞伎の面白さは、演じる人たちの職業がさまざまであり、現実との乖離ぶりにも驚かされることです。この千穐楽公演で主役を務めるた中島敏秋さんは、こんにゃく屋の製造会社を経営していますし、その他の役者も保母さんに役所の職員と、舞台の上からは想像できない仕事についています。普段はこんにゃくづくりをしている中島さんが、地歌舞伎を始めたのは26歳の時。それから一度も舞台に穴をあけたことはないそうです。

「歌舞伎ってやはり血が騒ぐというのかな。母親の父が歌舞伎が大好きで、当時は近所の八幡神社の仮設舞台でやっていたんだけど、そこでは祖父もやっていたそうなんです。この地域で、芝居っていうと、すべて歌舞伎のことで、『芝居見に行くぞ』っていうのは、『歌舞伎見に行くぞ』ってことになるんです。歌舞伎が生活に密接しているんだよね」と手慣れた手つきで自分で化粧をしながら語ってくれました。

こうして代々、地歌舞伎の文化が受け継がれていくのですね。


鳳凰座の舞台で、名役者として活躍する中島敏秋さん

大道具も舞台衣装も地域の人々の手で支えている

この日、演者の衣装を持ってきてくれたのは、美濃歌舞伎博物館 相生座の副館長小栗久美子さんとスタッフ。役柄に合わせて手早く衣装を着つけていきます。
小栗さんの祖父が地域貢献をしようと、1973(昭和48)年に立ち上げた美濃歌舞伎保存会には、4000着を超える衣装が保存され、手縫いで補修したり、新調しているそう。サポーターたちによって支えられているから続けていけると小栗さん。「子ども教室をやっているんですが、一度卒業した人が大学を出てまた戻ってきてくれたり。そういう繋がりが嬉しい。地域の伝統文化でもあるし、守っていかなきゃいけないものだけれど、守っていかなきゃいけないものがあることが幸せだなと思います」と語ってくれました。

過疎化の進む地方の小さな町が地歌舞伎を続けていくということ

現在、この御厩野に住む200軒で鳳凰座を維持しているそうですが、小さな自治体にとって、地歌舞伎を続けていくことは容易なことではありません。特にこのコロナ禍で2年続けて定期公演を中止したことで、より負担が大きくなったといいます。2日間の公演には、練習期間から、公演までの多額の経費が発生します。そのため、まだ来年の5月3日、4日に公演が開催できるかどうか、決断はできないと語ります。

「危機感はあります。受け継いでいく人たちも少なくなっている。昔は、祭りの時に芝居やって、家族みんなで見に行くのが普通のことだった。その伝統がだんだん失われていくのは寂しいし、残念です」

と曽我さんは語ります。

全国に地歌舞伎を継承し、保存する会は約200あるといわれますが、そのうちの32団体がこの岐阜県にあります。ふんだんな木材を使って造られた舞台も9つ現存し、地歌舞伎を支えるのは演者のみならず、太夫や三味線に囃子方、裏方でいえば衣装や化粧を施す顔師、大道具など、それらもすべて地域の人たちの手で担います。岐阜県にはそういった地元の人々のパワーが強く残っており、この伝統芸能を支えているのです。そして、地歌舞伎の特徴でもあるのが舞台を作り上げる総合監督となる振付師の存在。地域に根づく文化を伝承した地元の振付師のほか、大歌舞伎を経験したプロも稽古をつけています。地歌舞伎を受け継いでいこうとする人々とそれを支えるサポーターが、芝居を愛し、誇りとし、地歌舞伎を生活の一部のように大切にして、育んできたのです。その人々の思いが、地歌舞伎日本一を支える源のような気がしています。

ほんのひと昔、昭和の頃には、家族が家で地歌舞伎を練習していたことから、子どもたちは自然とセリフ回しや所作を覚えたといいます。鳳凰座には、子どもの頃に地歌舞伎を始め、今年で96歳になる熊崎亮太郎さんがいます。また、親子で鳳凰座に参加している田上敏明さん、田上由夏さんの叔母であり、三味線の師匠であった桂川ちかさんは今年で100歳になるそうです。「叔母は歌舞伎の話をし始めたら、夜中の12時、1時までしゃべり続けますよ」と田上さんは笑います。

100歳で!! 歌舞伎はまさに老若男女が楽しめる文化なのですね。


「芝居の稽古やっていると健康になるよ。ふんばりがあるし、良い運動になる」と笑いあう鳳凰座の方々を見ていると、大家族のようでもあります。「芝居がないとゴールデンウィークに何をしていいかわからないんだよね」というほど、人生の一コマとなっている地歌舞伎。

地歌舞伎の魅力は「芝居が好き」「この町が好き」というシンプルだけど強い絆によって繋がれているものなのだと、半日いただけなのに、なんだか懐かしく、離れがたくなっていました。来年こそは、この鳳凰座の舞台で、地歌舞伎が上演されることを願わずにはいられませんでした。

メインビジュアル:『双蝶々曲輪日記 引窓』/撮影©小寺克彦

鳳凰座

江戸時代より「御厩野の芝居」は農山村の唯一の娯楽として親しまれてきました。
鳳凰座舞台と鳳凰座芝居台本は岐阜県重要民俗文化財として、鳳凰座襖絵は下呂
市重要文化財にも指定されています。昭和36年に鳳凰座応援会が結成され、毎年
5月3日、4日に日枝神社の祭礼に合わせ、定期公演を開催しています。

住所:岐阜県下呂市御厩野1007-1

清流の国ぎふ 2020地歌舞伎勢揃い公演

ぎふ清流文化プラザ(岐阜市)にて、岐阜県内の地歌舞伎保存団体がリレー公演。27団体が熱演を披露した。全演目はぎふ清流文化プラザYouTubeチャンネルで配信中。
https://www.youtube.com/channel/UCx_NJKE7JOicMjhzfqBC1hQ

撮影©小寺克彦

主催:岐阜県・(公財)岐阜県教育文化財団
協力:岐阜県地歌舞伎保存振興協議会
2020年1月19日~2021年11月13日
芝居大国ぎふwebミュージアム
岐阜県の地歌舞伎や文楽などの魅力や公演予定がご覧いただけます。

書いた人

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。