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2021.12.24

日本一の手袋の産地、香川。はじまりは僧侶と町娘の悲恋だった

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全国に誇れるグルメとして成長した讃岐うどんで有名な香川県ですが、日本有数の手袋の生産地でもあることはあまり知られていないかも知れません。香川県の東部に位置する東かがわ市は手袋の町として知られ、防寒、ファッション、スポーツと様々な用途の手袋が熟練した職人たちの手によって作られています。
実はこの地に手袋生産が根付いたきっかけは意外なことに僧侶と町娘の道ならぬ恋が始まりでした。

香川の手袋にはロマンチックな歴史が!?

僧侶と19歳の町娘。道ならぬ恋から生まれた手袋の町

時代は遡って今からおよそ130年も以前の明治の初期。四国の瀬戸内海に面した香川県、現在の東かがわ市にあった白鳥村で起こったお話です。白鳥村には千光寺という寺があり、そこに両児舜礼(ふたご しゅんれい)というお坊さんがいました。彼の恋のお相手が当時19歳だった三好タケノという少女でした。しかしながら強く惹かれあう2人には大きなハードルがありました。江戸時代が終わりまだ20年ほどの時代、結婚はお互いの両親が決めた相手とするのが常であり、恋愛結婚などもってのほか。更に当時34歳だった舜礼と19歳のタケノには15歳もの年の差がありました。四国の田舎の小さな村にあってはなおさらのこと。愛を貫くことを決心した二人は、手に手を取って新天地を求め大阪へと駆け落ちしたのでした。

好きな人と結ばれるって、当たり前のことじゃないんだなぁ。

大阪での暮らしは決して楽ではなく舜礼は托鉢に回り、タケノはメリヤス製品の賃加工の内職をして家計を支えました。ある日のこと舜礼はタケノが扱う内職の中の、てぐつ(手靴)と呼ばれる指なしの手袋に目をとめます。その2年後には自らが手袋の製造に着手し、郷里からタケノの従弟だった棚次辰吉ら数人の若者を呼び寄せ、本格的な製造活動をはじめたのでした。
しかし二人の愛の暮らしは突然終焉を迎えることに。わずか3年後に舜礼が病死してしまったのです。大阪に渡ってから5年のことでした。
間もなく棚次辰吉が職人と東かがわに帰郷し、地元で手袋づくりを始めます。これが香川手袋の発祥となったのです。

棚次辰吉

駅のホームから人が溢れるほど賑わう手袋の町へ

それまでの東かがわは讃岐3白とよばれた砂糖・塩・綿のうち砂糖と塩の産業が盛んでしたが次第に海外からの輸入が増え衰退の一途をたどっていました。そこに救世主である手袋が登場したのです。1899(明治32)年に棚次辰吉や地元の名士らが中心となって「績善商会」がスタート。この棚次辰吉ですが研究熱心で勤勉家、商才もある人で、ドイツ製手袋を参考に軽便飾縫ミシンを開発し、1902(明治35)年には24歳で特許を取得するなど手腕を発揮します。

亡き舜礼さんの目の付け所がスゴイ。

そして日本は第一次世界大戦に突入。このことが更に香川の手袋産業を発展させることになります。欧米で最大手袋生産国だったドイツと物流を手がけたイギリスが戦争になり、ドイツに変わる生産国として白羽の矢が建ったのが日本でした。イギリスからの大量の注文に対応するために、1000人規模の「大阪手袋」と「東洋手袋」という2つの工場が作られました。こうして東かがわは日本を代表する手袋の産地として成長していったのです。

1960(昭和35)年。東讃メリヤス工場有限会社の出荷風景

1950(昭和30)年代には讃岐白鳥駅の利用者は県庁所在地の高松駅より遙かに多く隣県の徳島からの通勤者も含め毎日数万人で賑わいました。当時を知るお年寄りは「ほんまに駅のホームによっけ人があふれての、線路に落ちそうになっじょった」(本当に駅のホームにはたくさんの人があふれ、線路に落ちそうになっていた)と話してくれました。
追われるように大阪に渡った舜礼とタケノの2人が残した手袋が、故郷を賑わせることになったのです。

2人が円満に結ばれていたら、こうはならなかったのですね。

東かがわでは昔から道を歩けば町の至る所からミシンを踏む音が聞こえてきたと言います。今でもその頃と変わらず、手袋作りはおばあちゃんやお母さんの内職としても定着しています。生産量は手袋の全国生産の約90%を閉めるまでになり、文字通り手袋王国が誕生しました。

1955(昭和30)年ころの神崎株式会社白鳥工場

白鳥神社の北側には東洋手袋の門柱と手袋産業の祖、棚次辰吉の銅像(中央)、棚次を見出した両児舜礼師の石碑(右)があります

ではなぜここまで成長したのか・・・・・・。
実は手袋作りの作業は多くの工程と繊細な技術が必要です。一人前の職人になるまでには3~5年が必要で、難しい工程に至っては10年を超す経験が必要だそう。大手企業にはこの人材育成の時間とコストが大きなネックとなったため参入が叶わず、地場産業として東かがわに根付いていったのが理由です。

「香川のてぶくろ資料館」にはこれまでの手袋産業の歩みや、貴重な資料、現在生産されている手袋などの資料が展示されています。また有名アスリートの使用した手袋などここでしか見られない展示も必見。予約をすれば詳しい説明もしてもらえます。

一流アスリートが愛用するのは第二の皮膚でもある手袋のクオリティが競技の結果に大きく影響するから

手袋産業120年を記念して2008年につくられた「香川のてぶくろ資料館」

更に併設のショップでは東かがわ市で作られた手袋が有名デパートなどの半分以下で購入することもできます。

資料館には17世紀ヨーロッパの貴族の手袋も展示されています。手袋はもちろんですが豪華な”手袋ケース”も必見
私には防寒用にしか縁のない手袋。さまざまなシーンで活躍しているのですね!

究極のおしゃれ、自分サイズの手袋がオーダーできるキットが登場

そして家に居ながらにして香川産の手袋がオリジナルでオーダーできるというキットも登場しています。

昭和46年創業の平田商店が発売した「オーダーキット」(27,500円~)は手が大きくて合う手袋がない、指先が余るといった悩みを解消できるほか、サイズがわからないけど香川産の手袋をプレゼントしたいという人のためのオーダーキット。もちろん1つ1つ全て平田商店の工房で裁断から縫製まで行っています。採寸されたサイズを元に型紙を作るのは1代目の平田進さん。15歳のころから手袋製造に関わってきたベテランの職人です。縫製を担当するのは2代目の哲也さん。キットの開発者でもあります。
「遠方の人に手袋を送りたいけどサイズがわからない」という声に応え、キット作りに着手。試行錯誤の末に誰でも簡単に採寸できるキットが完成しました。採寸用のメジャーや革の色見本、裏地の見本も入っているのでイメージ通りの手袋が返送後1カ月ほどで出来上がります。

何でもすぐ手に入る現代だからこそ、1カ月待つ時間が愛おしい!

お客さんから返送されたサイズを元に進さんが1枚1枚型紙を製作。この型紙作りが最も難しい作業なのだそう。型紙を元に革を裁断してゆきます。裁断した革を縫い合わせてますが、指と指の間、親指の付け根など、わずかな縫い代しかない革を、スムーズに縫い上げていく様子はまるで魔法のよう。というか、今どの部分を縫っているか教えてもらえない限り、素人でわからない細かなパーツばかり。
目が追いつかない~~~!

オーダー手袋ができるまで

届いたキットを元に同梱のメジャーで採寸しシートに記入、革と裏地を選んで返送

返送されたサイズを元に型紙を作り、裁断

パーツごとに丁寧に縫い合わせる

親指の付け根の繊細なカーブもお見事!

自分だけの手袋が完成

「最近ではネイルをしているから指先にゆとりがほしい、手の甲と内側を違う色にしたい、ブライダル用に、などのオーダーも増えています」と平田さん。一度オーダーした人の型紙は残しているそうです。またオーダーの際に若干丈を長めに、などの希望にもできるだけ対応してもらえるのも嬉しい。何より世界でたった1つだけのオーダー手袋なんておしゃれの極み! 遠方から工房に立ち寄って、家族分の手袋をオーダーしていくおしゃれファミリーもいるそうですよ。オーダーメイドの手袋はフィット感も抜群で、大事に扱えば長い間愛用できます。メイドイン香川の手袋、ぜひ手に取ってみてください。

自分の手にぴったり寄り添う手袋、すっごく気持ちいいんだろうなぁ。あ~欲しくなってきた!!!

香川の手袋資料館

東かがわ市湊1810-1
0879-25-3208(日本手袋工業組合)
10:00~17:00(受け付けは16:30まで)
休館日:11月23日と年末年始
料金:無料
P:有
香川の手袋資料館

平田商店

香川県東かがわ市湊516
0879-25-5034
9:00~17:00(平日のみ)
平田商店HP

書いた人

せとうちに暮らすカエル好きライター。取材先に向かう山道で迷いイノシシに遭遇した経験あり。京都国立博物館トラりんの強火おたく。ジャニヲタ。No J No Life。HP:https://ww-kitamura.com/ Twitter:@yukkisetouchi

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。