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2022.02.01

節分は年越しの行事だった!旧暦を意識すると違って見えてくる、日本の行事【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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2月の行事といえば節分。幼少の頃は近所の節分祭に参加したり、鬼のお面をつくって豆まきをしたりした記憶があります。連載「彬子女王殿下と知る日本文化入門」ではその由来や宮中での行われる行事の内容について、彬子女王殿下が解説してくださります。

旧暦という眼鏡をかけると、全く違って見えてくる日本の行事

文・彬子女王
「鬼は外!福は内!」

子どもの頃、赤坂の宮邸は玄関が多いので、節分の日は豆まきを数か所でして回った。職員の誰かが鬼役をしてくれていたこともあったと思う。犬たちがついてきて、床に落ちた豆を拾ってポリポリ食べていたことも懐かしく思い出される。あの頃は、年の数だけ食べられる豆が物足りなくて、「年の数分足す1粒」とか「年の数の倍」とか、勝手な理由をつけてたくさん食べていたのに、いつの間にか年の数分も食べたら具合が悪くなるような年になってしまった。月日が流れるのが年々早くなっていくのを実感する今日この頃である。

宮中での節分はどのような形で行われていたのだろうと思い、宮中の年中行事について書いてある本を調べてみた。でも、2月の項に節分の記載がない。追儺(ついな)の儀式はもともと宮中で行われていたもののはずだし、ないはずはないだろうと思ってぱらぱらとページをめくっていると、発見したのだ。なんと12月の項に。現代は新暦で生活しているので、節分は2月の行事と思い込んでいたが、節分は言葉の通り季節の分かれる日。旧暦では、春が来ると新しい年が始まる。つまり節分は年越しの行事だったのである。

前々から、年が明けて1か月以上も後、お正月行事も一段落してからしばらくたつというなんだか半端な時期に厄除けの豆まきをするということに、なんとなく違和感を覚えていた。厄除けの豆まきをして、年越しのお祝いをし、清々しい気持ちで新年を迎えるのだと思うと、すべてのことに納得がいく。

新暦の生活では意味がわかりにくくなってしまっている行事も、旧暦という眼鏡をかけると、全く違って見えてくる。新暦では、桃の節句に桃は咲いていないし、七夕に天の川が見えることはほとんどない。旧暦での時間の流れを意識すると、日本の年中行事をより深く理解することができるのだと実感した。

『浅草側いせ暦』 には豆以外にヒイラギやヤイカガシが描かれている。メトロポリタン美術館より

読んでいるだけで清められていくような宮中での節分

さて、本題の宮中での節分はどのようなものだったのだろうか。節分の夜になると、天皇は御引直衣(おひきのうし)で賢所(かしこどころ)に参拝される。天皇が常御所にお戻りになると、節分の御祝。まず、一献で三つ肴、そして御年豆(炒り豆)を召し上がる。そして、天皇が恵方に向かって豆をまかれる。剣璽の間と御清間(おきよのま)、そして常御所の部屋ごとに女官の内侍が、他の部屋は稚児らが、御台所は仕丁頭が豆をまく。この豆まきが終わってから、年越しの御祝。一献で昆布、鮑、熨斗を供し、恵方の御殿にお出ましになる。そこで、三つ肴と烹雑(ほうぞう)というお雑煮で一献、豆腐で二献、果物で三献を召し上がり、女官に盃を賜る。これが終わってから、稚児か殿上人に鶏の鳴き声を三度真似させる儀式があり、常御所にお戻りになられるのだという。新年を迎える前にふさわしい厄を祓う夜のひととき。読んでいるだけで、清められていくような思いがする。

注目したいのは、「恵方の御殿にお出ましになる」というところ。陰陽道では、歳徳神、つまり年神様がおられる方角を恵方とか吉方といい、門松は恵方の山に切りに行き、鍬入れなどの仕事始めの儀式も恵方の田畑で行うものだったのだそうだ。そして、年の初めにその年の恵方にあたる神社にお参りをして、年神様にその年の幸せを祈るという恵方詣(恵方参り)という習慣があった。それが自分の住む地域の氏神様に初めてお参りをする初詣と一緒になり、有名な社寺に新しい年に初めてお参りするという現代の初詣の文化が形作られて行ったようだ。恵方を意識して初詣に行っている人は、今の日本にどれくらいいるのだろうか。天皇も、年神様の来られる恵方を豆でお清めされ、年神様を恵方の御殿までお迎えに行かれていたわけだ。現在は、恵方巻くらいしか恵方を意識する文化は残っていないけれど、来年からは恵方の神社を調べて年の初めにお参りに行ってみよう。どこの神社が恵方なのか、調べる過程もなんだか楽しそうだ。

それにしても、恵方巻。恵方に向かってお願い事をすることはなんとなくわかるけれど、なぜ太巻きで、なぜ丸かぶりで、なぜ無言で食べなければいけないのだろう。宮中行事の本からその理由を紐解くことは困難だけれど、恵方詣のよすがをかすかに残しながら、新たな文化のカタチとして確立しつつあるところがとても日本らしい。日本文化は様々な時代の様々な人たちのひらめきと実行力によって生まれ、育まれてきた。恵方巻も、50年後、100年後には至極もっともらしい理由の付いた立派な伝統文化になっているのかもしれない。そんな未来の日本の節分の様子をこっそりのぞいてみたくなった。

そういえば、宮中での節分の行事の最後に行われる鶏の鳴き真似。これは、鶏の鳴き声を聞くと、夜の世界でしか生きられない鬼が、もう朝が来たと勘違いして逃げていくからであるらしい。子どもの頃に読んだ昔ばなしにも、おじいさんが鶏の真似をして鬼を追い払うという話があったような気がするし、今話題の鬼を退治する漫画でも、朝の太陽を浴びると鬼は灰になってしまう。日光を1年中浴びた特殊な鋼を使った刀でしか鬼の首が斬れないという設定も、太陽の力をもって鬼を倒すというものであるのだろう。豆まきのとき、「鬼は外!福は内!」に「コケコッコー!」を加えてみてもよいかもしれない。

アイキャッチはシカゴ美術館『Setsubun (Kyogen), from the series “Pictures of No Performances (Nogaku Zue)”』

書いた人

1981年12月20日寛仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。