蒲殿(かばどの)こと源範頼(みなもとの のりより)さん。令和4(2022)年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも登場し、兄弟思いで優しい性格で視聴者の癒しとなっていました。
しかし疑心暗鬼となっていた源頼朝に謀反を疑われ、伊豆の修善寺に幽閉され、最後は暗殺されてしまいました。しかし……実は『吾妻鏡』に書かれているのは修善寺への幽閉までで、いつ死んだのか、死因はなんだったのかすら書かれていません。暗殺されたことは鎌倉時代末期に作られた歴史書の中にしか記されていないのです。
そのため、各地に「源範頼は伊豆から脱出して逃げ延びて来た」という伝説があります。その1つが埼玉県北本市の東光寺(とうこうじ)境内にある「石戸蒲ザクラ」(以下、蒲ザクラ)です。
蒲ザクラの伝説
北本市に伝わる伝説はこんな感じです。
修善寺から逃げ延びて来た源範頼がここに隠れ住んだ。逃げる時に使っていた杖を地面に突き立てたら桜の木になった。それが後に蒲ザクラと呼ばれるようになった。
これは「杖立(つえたて)伝説」という類型の伝承です。英雄や高僧・貴人が杖を地面に突き立てたら大木になったという伝承は各地にあります。
私は伝説の真偽よりも、「なぜここに、その伝説があるのか」が気になるタイプなので、北本市の協力を得て徹底的に調べてみましたよ!
北本市と源範頼の関係
蒲ザクラのある東光寺周辺は、元々「御家人の御屋敷があった」と伝わる場所です。その御家人が誰なのかと言うと、「源範頼」の他に「安達盛長(あだち もりなが)」と、この辺り一帯を支配していて、その地名を名乗った「石戸(いしど)氏」という話があります。
安達盛長と源範頼
安達さんは範頼さんに娘を嫁がせていました。その関係で安達さんが範頼さんを手引きしたのではないかとも考えられます。
では、安達さんがなぜここに……というと、北本市はかつて武蔵国足立郡に属していました。足立郡の領主は、13人の合議制の1人である足立遠元(あだち とおもと)さんです。安達さんは、この足立さんと親戚では? という説もあり、北本市の隣・鴻巣市には安達盛長の屋敷跡とされる場所もあります。
石戸氏と源範頼
そして石戸氏は史料が少ないながらも『吾妻鏡』にも登場する一族です。出てくるのは『鎌倉殿の13人』の時代の少し後、4代将軍・藤原頼経(ふじわらの よりつね)の時代ですが……。
実際に範頼さんがこの地に来ていたとしたら、お世話をしていた一族なのかもしれません。となると、源氏3代の時代ではなく、4代目で登場するのもちょっと納得かも……。
源範頼の北本市での暮らし
範頼さんには『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』によると2人の息子がいて、どちらも出家しています。そして嫡男の範円(はんえん)は範頼さんの所領だった武蔵国横見郡吉見郷(現・埼玉県比企郡吉見町)を分与されて、範円の子が吉見氏を名乗りました。ちなみに吉見町にも範頼の屋敷があったという伝承があります。
そして北本の伝説では、「亀御前」という娘と一緒に暮らしていたようです。しかし亀御前は正治元(1199)年7月12日に幼くして亡くなり、その供養のために建てられたのが東光寺です。
そして範頼さん自身も翌年・正治2(1200)年2月5日に亡くなりました。
範頼さんが修善寺に幽閉されたのは建久4(1193)年なので、そのすぐ後に脱出したとすると、7年近くこの地で暮らしていたことになります。鎌倉から遠く離れ、妻と娘とのんびり暮らしていたのでしょうか。
源範頼のお墓
蒲ザクラの根元には、範頼さんの墓と伝わる層塔(そうとう)があります。鎌倉時代の鎌倉文化圏の墓といえば五輪塔(ごりんとう)なのですが、ちょっと形が違うのは、鎌倉とは違う文化圏だったのか、800年のうちに一度崩れてしまったのか……。ちょっと想像が広がりますね。
蒲ザクラと板碑
それから現在は収蔵庫の中に移動されていますが、蒲ザクラの根元には多くの板碑(いたび)がありました。板碑とは石材を板状に加工した卒塔婆のことです。
一番古い板碑は貞永2(1233)年のもので、昭和8(1933)年に埼玉県熊谷市で嘉禄3(1227)年のものが発見されるまで、現存する日本最古の板碑でした。次に古いのは寛元4(1246)年のものです。
ちなみに石戸氏が『吾妻鏡』に登場するのは寛元3(1245)年と寛元4(1246)年の鶴岡八幡宮での神事での隋兵としてです。これに参列できるのは結構な力のある御家人ですから、立派な板碑を作れるのも納得ですね。
源範頼の髑髏!?
北本市のお隣、桶川市になってしまうのですが、かつて「普門寺(ふもんじ)」というお寺がありました。現在は石塔とシダレザクラがあるだけなのですが、ここには「源範頼の髑髏(どくろ)」が伝わっていたそうです。
もともと普門寺は平安初期に建てられたとされる寺で、現在は廃寺となっています。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿(しんぺん むさし ふどきこう)』に記されている情報しかわからず、その髑髏がどんなものなのか、今はどこにあるのかは謎のままです。
源範頼の娘、亀御前
北本市に戻り、高尾という場所へと向かいます。そこにある「高尾阿弥陀堂」は、亀御前(かめごぜん)を供養するお寺です。
おもしろいのは、蒲ザクラのある石戸では「亀御前は範頼の娘」と伝わっていますが、高尾では「亀御前は範頼の妻」と伝わっています。ちなみに『新編武蔵風土記稿』には「亀御前は石戸頼兼(いしど よりかね)の娘」とあります。こう、伝承が微妙に変わっている箇所って妄想……いや、考察しがいがありますね!
高尾阿弥陀堂の亀御前の伝承
『石戸村郷土誌』にはこのように書かれています。
亀御前は足立盛長の長女で、源範頼の妻である。範頼が伊豆の修善寺に幽閉された時、石戸の父の元へ行き、範頼を逃がす計画を立てようとする。しかし荒川を渡り高尾に着いた時に、範頼の訃報を聞き自害した。
地元民がここに石塔を立てて、寺を建立した。それが西亀山泉蔵院無量寺(せいきざん せんぞういん むりょうじ)である。
亀御前の遺品が多く残っていたが廃寺となって四散し、現在に残っているのは滝馬室村(たきまむろむら=現・鴻巣市滝馬室)の常勝寺にある薙刀だけである。
実は石戸の東光寺は「西亀山無量院」と同じ山号がついているため、元々は1つの寺だったのかもしれませんね。
ちなみに地元民が亀御前のために立てた供養塔は、江戸時代に常勝寺の石塔として奉納されて、代わりの石塔が立っています。
そして常勝寺には現在も奉納された亀御前の石塔があります。
江戸時代に移された石碑(常勝寺)
また、阿弥陀堂の裏手にはエドヒガンザクラが植えられています。石戸の蒲ザクラ、普門寺のシダレザクラのように、範頼さん関連の伝承地に桜が植えられているのは面白い符合ですね!
範頼幼少期のくらし
地元民からは「吉見観音」と呼ばれて親しまれている、比企郡吉見町の安楽寺。
ここには、範頼さんが幼い頃、稚子僧として暮らしていたという伝承があります。また亀御前が祖母に養われて暮らしていたという伝承もあるようです。
だとしたら、亀御前には範頼さんの娘・妻の他に幼馴染という可能性もあるかもしれないですね!!
源範頼の義父、安達景盛の屋敷
範頼さんの義父である安達盛長さんの屋敷があったという伝承が鴻巣市にあります。その屋敷の一画に建てられたのが、現在も残る放光寺(ほうこうじ)です。
ここには安達盛長さんをモデルにした木像があるのですが、現在は一般公開をしていないようです。
安達盛長さんは武蔵国の武士だとされていますが、その出自は謎が多く、出身地もはっきりとはしていません。「安達」という名字も盛長さんの晩年に子孫が名乗ったものです。かといって火のないところに煙は立たないもので、伝承があるということは、なんらかの繋がりがあるのでしょう。
もう一つの源範頼の館
さきほどの亀御前が暮らしていたという安楽寺のすぐ近くに、範頼が住んでいたと伝わる場所があります。それが 息障院(そくしょういん)です。
元々は吉見観音のある安楽寺と同じ寺院でしたが、室町時代にこの地に移ったそうです。
範頼さんは幼い頃、父の義朝(よしとも)を平治(へいじ)の乱で失い、頼朝の乳母である比企氏に匿われてこの地で暮らしたという伝承があります。そして範頼の息子たちも、吉見の所領を得てここで暮らしました。
息障院の周りには、範頼が住んでいた頃とされる遺構が残っています。
北本市周辺で愛されていた源範頼
こうして北本市とその周辺の源範頼伝説を追ってみると、その伝承にある程度一貫性があるように思えます。パズルのピースを揃えるようにつなげると一つの物語になりそうです。実際にそう考えた人が昔にもいたようで、これらを伝承を元に物語にしたものが『石戸郷土読本』という本に収録されています。
このように伝承が今もなお人々に語り継がれているということは、その真偽はともかく「その土地ではこの人物がこれほど愛されている」という事実だと私は思います。蒲ザクラや周辺の史跡を通して、範頼さんの面影が少し垣間見える気がしますね。
取材協力:磯野治司(埼玉県北本市役所 市長公室室長)
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