「菊五郎」は、歌舞伎の世界で300年以上受け継がれてきた重要な名跡。八代目菊五郎の誕生は、歌舞伎の歴史に残るビッグイベントです。さらにおめでたいことに、長男の尾上丑之助(うしのすけ)さんが、六代目として尾上菊之助を襲名。七代目菊五郎さんは、そのままの名前で現役続投となり、史上初、七代目と八代目ふたりの菊五郎が並び立つ舞台となります。
親子二代の同時襲名にあわせ、八代目尾上菊五郎(以下、八代目)さんのインタビューを前後編でお届けします。前編となる今回は、襲名披露公演の幕開けを飾る5、6月の歌舞伎座での出演作を、八代目さんのコメントとともにご紹介します!
そもそも「菊五郎」のはじまりは?
菊五郎さんの屋号は「音羽屋」です。一説には、京都・清水寺の音羽の滝がその由来だと伝わります。
現在、音羽屋は江戸歌舞伎を代表する一門ですが、そのはじまりは約300年前の京都に遡ります。
享保2(1717)年、初代尾上菊五郎は京都に生まれました。女方として修業をしていたところ、江戸からやってきた人気役者の二代目市川團十郎に見いだされ、その相手役をつとめることになります。この共演が大変な評判となり、初代菊五郎は、二代目團十郎の誘いで江戸へ下ることになったのです。
江戸に拠点を移した初代は、若衆役も勤めるようになり、さらに立役へ転向。江戸、京、大坂で人気の役者となりました。「菊五郎」の名前は、その後、時代に欠かせない名優が受け継ぎ、今に至ります。
新菊五郎と新菊之助のお披露目です!
新時代の團菊で『勧進帳』
5月「昼の部」で、八代目さんは、まず歌舞伎十八番『勧進帳』に出演します。歌舞伎が好きな方は「おや?」と感じたかもしれません。なぜなら「歌舞伎十八番」は市川團十郎家の家の芸。『勧進帳』の主人公は、團十郎さんが演じる弁慶だからです。
「その点は、團十郎さんも心配してくれました。我々は同い年ですからフランクに、襲名狂言の前にいいのか? と。でも私としては、音羽屋のはじまりの精神を忘れずにいたいと思いました。初代菊五郎さんは、二代目團十郎さんに見いだされ江戸で大成した。それが代々の菊五郎のはじまりですから」(八代目尾上菊五郎。以下、同じ)
また歌舞伎座では、毎年5月は「團菊祭」が恒例となっています。
「團菊祭は、十二代目團十郎(当代の父)のおじさまと、私の父・七代目菊五郎が、長きにわたり守ってきた興行です。5月は、成田屋さん(團十郎家)にとっても、音羽屋(菊五郎家)にとっても大事な月。その意味でも、私が八代目菊五郎を襲名する暁には、当代の十三代目團十郎さんとスタートを、と考えていたのです」
團菊とは、近代歌舞伎の礎を築いた九代目團十郎と五代目菊五郎のこと。令和の新たな團菊にも、期待が高まります!
『勧進帳』あらすじ
主な登場人物は、兄・源頼朝から謀反の疑いをかけられ、わずかな家臣を連れて平泉を目指す源義経(中村梅玉)。義経の家臣で、山伏のふりをして安宅の関の突破を提案する武蔵坊弁慶(團十郎)。そして安宅の関で、義経一行を怪しんで呼び止める、関守の富樫左衛門(八代目菊五郎)。弁慶は、山伏のふりをまっとうするべく勧進帳(お寺が寄進を求める要望が書かれた巻物)を読みあげますが、その巻物は実は白紙。富樫は、弁慶たちの詮議を重ね……。
女方舞踊の大曲『京鹿子娘道成寺』
5月「昼の部」の襲名狂言は、女方の舞踊『娘道成寺』です。
「六代目菊五郎が得意とし、祖父の尾上梅幸とも縁が深く、代々にとって大事な踊りです。私にとっては、祖父、父、私の3人で『三人道成寺』を踊らせていただいた思い出のある作品です。当時私は15歳で、この大曲に押しつぶされそうになりながらも祖父の指導を受け、何とか舞台に立たせていただきました。その後、父と『二人道成寺』、『男女道成寺』なども踊らせていただいています」
今回は、八代目さんと新菊之助さん、そして坂東玉三郎さんの3人で踊ります。
「玉三郎さんから、大変なお祝いをいただいたと思っております。本当にありがたいことですし、祖父も喜んでいるでしょうね。今11歳の菊之助にとっては、現代の女方の最高峰である玉三郎さんと踊らせていただくことが、彼のこれからの役者人生においても大変貴重な時間になると思っております」
襲名披露公演だからこそ実現する『三人道成寺』は、客席の私たちにとっても、貴重で忘れられない観劇体験となるにちがいありません。
『娘道成寺』あらすじ
紀州道成寺に伝わる、安珍と清姫の伝説。一夜の宿を求めてやってきた僧の安珍に、清姫は一目ぼれします。安珍は後日迎えに来る約束をしますが、その約束は守られませんでした。清姫は安珍を追いかけ、ついに蛇体となります。安珍は道成寺の鐘の中に逃げ込みますが、大きな蛇となった清姫は鐘に巻きつき、安珍を鐘ごと焼き尽くしたと伝わります。『京鹿子娘道成寺』は、その後日譚。鐘を再建することになった道成寺に、花子と名乗る白拍子が現れて……。
弁天小僧を親子でリレー!『弁天娘女男白浪』
5月「夜の部」では、“知らざあ言って聞かせやしょう”の名台詞で知られる『弁天娘女男白浪』に出演されます。5人組の盗賊“白浪五人男”の1人、弁天小僧菊之助が活躍する場の上演となります。河竹黙阿弥の代表作の1つです。
「音羽屋にとって、非常に大切な演目です。弁天小僧菊之助は、黙阿弥さんが五代目菊五郎にあてて書き、五代目が初演した役。そして父・七代目菊五郎の当り役でもあります。私は、30年前に菊之助を襲名した時もこの作品をやらせていただきました。八代目菊五郎も、弁天小僧菊之助で襲名披露となります」
八代目さんによる、美しい女方のお芝居と見せかけて……。がらりと変わる様子に大注目です!
『弁天娘女男白浪』あらすじ
呉服を商う浜松屋に、婚礼を控えた美しい娘さんとお供の男がやってきます。しかし、この2人が、実は女装した弁天小僧菊之助(八代目菊五郎)と、兄貴分の南郷力丸(尾上松也)で……。世話物の名作です。世話物とは、江戸時代の市井の人々にスポットをあてたジャンルのこと。
そして物語は「稲瀬川勢揃い」の場へ。
ここで、弁天小僧菊之助役を八代目さんから菊之助さんにバトンタッチ。
「今回は異例で、『浜松屋』で私が演じる弁天小僧を『稲瀬川』で菊之助が演じます。『大屋根』では、私がふたたび弁天小僧を勤め、そして『滑川土橋』で團十郎さんの日本駄右衛門、父の青砥音左衛門に、私の伊皿子七郎という幕切れの『五月團菊祭』となります。ぜひ楽しんでいただければと思います」
「稲瀬川」では、菊之助さんと同世代の團十郎さんの長男・市川新之助さん、坂東亀三郎さん、中村梅枝さん、尾上眞秀さんという、新たな世代の5人による「白浪五人男」が揃います。
極楽寺の大屋根での立廻りは大迫力。最後の最後まで見どころは尽きません!
また、5月、6月ともに「夜の部」では、幹部俳優による『襲名披露口上』も。歌舞伎座の舞台に、裃をつけた歌舞伎俳優がずらりと並ぶさまは壮観。その他、豪華キャストの演目もあわせて上演されます。
歌舞伎の三大名作『菅原伝授手習鑑』
襲名披露公演は2か月目へ。
6月「昼の部」で上演されるのは、『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』と並び、歌舞伎の三大名作の1つに数えられる『菅原伝授手習鑑』です。
『菅原伝授手習鑑』あらすじ
松王丸、梅王丸、桜丸は、三つ子の兄弟。それぞれ異なる主人に仕えていますが、主人たちが対立関係となったことで兄弟も敵味方に別れてしまいます。もとは人形浄瑠璃のために書かれたものを歌舞伎にした作品で、「義太夫狂言」というジャンルに入ります。
まずは菊之助さんが出演する『車引』の場です。三つ子たちが再会し、争いになり、車を引き合います。
「隈取をした、荒事ですね。丸ぐけという帯も、衣裳も重く、大人でも形をきめる(決まったポーズを作る)のは、大変骨が折れると聞いています。梅王丸は、菊之助にとって大変な役にちがいありません。しかし『菅原伝授手習鑑』は、岳父の中村吉右衛門が大切にしていた演目です。菊之助の心の中には岳父が生きていて、常に、岳父に見守られながら舞台に立っています。音羽屋にとって大事な演目も、そしてできるのであれば岳父が大事にした演目もやっていってほしい。その期待を込めて、彼に梅王丸をさせる判断をしました」
吉右衛門さんは、多くの歌舞伎ファンに惜しまれながら2021年11月28日に他界されました。この日は、奇しくも菊之助さんの8歳の誕生日でした。過去の会見で、菊之助さんは「祖父菊五郎、祖父吉右衛門のような俳優になりたい」と話していました。
続く『寺子屋』の場では、八代目さんが松王丸を勤めます。
「初代菊五郎は、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相(菅原道真のこと)と松王丸を当り役としていました。初代の俳名は『梅幸』でしたが、この名前は道真公の飛梅の故事にちなんだものだと言われています。初代が子ども(二代目菊五郎)の幼名を『丑之助』としたのも、やはり道真公と白牛の伝説に由来しているのではないでしょうか。この作品に、そして道真公に、強い思いがあったのだと思います。『寺子屋』は、『菅原伝授手習鑑』の中でも非常に重い作品です。初代、三代目、五代目、六代目と歴代の菊五郎が大切にし、岳父が大切にしてきた役。八代目菊五郎となり、最初の時代物の大作に挑む姿をご覧いただければと思います」
「時代物」とは、江戸時代の人々にとって、さらに古い時代を舞台にしたお芝居のこと。寺子屋を舞台に、義太夫の語りと三味線、そして俳優の演技が一体となり、骨太で重厚な物語を展開します。
親子の情愛を新・菊之助と描く『連獅子』
6月「夜の部」の襲名狂言は、『連獅子』です。
獅子が題材の踊りを「石橋物」と呼びます。獅子は、天竺の清涼山にいる霊獣のこと。『連獅子』は、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という言い伝えをモチーフにした作品となっています。石橋物は、六代目菊五郎も得意としていた踊りです。
配役は、狂言師右近後に親獅子の精に八代目菊五郎さん。狂言師左近後に仔獅子の精に菊之助さん。
「前半、私たち2人は、役としては狂言師として登場します。しかし実際の親子が踊ることで、『連獅子』という作品のテーマである親子愛を、より印象的にご覧いただけるのではないでしょうか」
2人の狂言師は、後半では、白い毛の親獅子の精と、赤い毛の仔獅子の精となります。
過去の会見で、「丑之助(新・菊之助)には、つい厳しくなってしまう」と明かしていた八代目さん。撮影の日も、菊之助さんがぴたりと正解に行きつくまで諦めない、静かな熱さがありました。菊之助さんは、その言葉一つ一つを自分の身体に落とし込んでいきます。緊張感の中にも、ふとした瞬間に菊之助さんが笑顔をみせていたことも印象的でした。
世話物、時代物、踊りも道成寺物に石橋物と、バラエティに富んだ襲名演目は、代々が女方と立役を兼ね、多くの名優を輩出してきた菊五郎家だからこそ。
後編では、大名跡襲名への思い、そしてこれからについてお聞きします。
公演情報
尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露
尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露
團菊祭五月大歌舞伎
2025年5月2日(金)~27日(火)会場:歌舞伎座
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/890
六月大歌舞伎
2025年6月2日(月)〜6月27日(金) 会場:歌舞伎座
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/891
七月大歌舞伎 関西・歌舞伎を愛する会 第三十三回
2025年7月5日(土)~24日(木) 会場:大阪松竹座
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/osaka/play/892
第五十一回 吉例顔見世
2025年10月11日(土)~26日(日) 会場:御園座
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/play/893
當る午歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎
2025年12月 会場:京都南座
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kyoto/play/895
撮影(取材風景):塚田史香