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時鳥
五月雨に物思ひをれば時鳥夜深く鳴きていづち行くらむ 紀友則
聞くたびにめづらしければ時鳥いつも初音の心地こそすれ 永縁
時鳥の声を聞き知る人は都市部では年々少なくなっている。私の居住する多摩丘陵の外れあたりでは去年まではかすかに聞いたが、今年はどうであろうか。
「テッペンカケタカ」と鳴くといわれ、なるほどそのとおりにも聞こえるが、近ごろは声も衰えて呟きのようにしか聞こえない。
時鳥は、古典の世界では初夏を彩る風物詩として、最大もてはやされる存在であった。
万葉集にはすでに一五〇首ほどの時鳥の歌があり、古今集の夏歌はほとんど時鳥の歌である。人々はしだいに、時鳥を夏の文芸の主役に仕立て上げて、季節の花の藤やあやめ、卯の花や橘(たちばな)などと合わせてうたい、その情緒を確定的にしていった。
いずれもよい香りをもつ花々であり、五月雨の季節の鬱陶(うっとう)しさを晴らすよい趣向として、時鳥の来訪を待ったのである。
都の風流人たちは誰よりも早く時鳥の声を聞こうと、都の北郊にわざわざ車で出掛けたり、別荘を持つものは一泊して寝もやらず夜半の声を聞いて感動を味わっていたらしい。
「五月雨(さみだれ)に物思ひをれば時鳥夜深く鳴きていづち行くらむ」という歌は、昼とはちがう夜の闇を鳴き過ぎてゆく時鳥に、物思いしていた自分の夜半の感情を反映させつつ歌っている。作者友則(紀友則 きのとものり)は古今集編纂(へんさん)者の一人だが、完成を見ず病没した。
歌は「五月雨の夜の何ともやりきれぬ気分の中で物思いにふけっていると、混沌(こんとん)とした深い闇の空を一声鳴いて過ぎてゆく時鳥の声に胸を衝(つ)かれた。一体何を思い何処(いずこ)へと向かって行くのか時鳥よ」というものだ。
次にあげた永縁(ようえん 僧正〈そうじょう〉)の歌はアイデアの面白い歌である。時鳥の季節になると人々が初音(はつね)、初音とさわぐので詠んだものだ。歌の意味は読んだとおりで、「時鳥の声は聞くたびに新鮮に思われるので、いつ聞いても初音のようにすばらしい」と言っている。
この歌には逸話がある。ある時、源俊頼(みなもとのとしより)の歌が巷(ちまた)のうたい女(め)たちの間で唄われ評判になったのをみて、永縁は羨ましく思い、琵琶法師(びわほうし)などをもてなして様々に物を与え、この歌をいろいろなところでうたわせ「初音の僧正」と呼ばれた。子供のような和歌への思いが、散財を惜しまぬ稚気(ちき)とともに喜ばれたのだといえる。
このように風流心を騒がせる鳥であったから、中世の中ごろ、宮中に仕える手だれの女房(にょうぼう 宮仕えの女性)たちは、時鳥を話題にして参内(さんだい)する高官たちの人物度を試みようとしたのである。
高官たちは奏上(そうじょう)の文言を胸にたたみ、有効な方法を思案しているであろう。そこに突然、「時鳥をお聞きになりましたか」と問いかけるのである。かなり意地悪い試みである。ある高官などは「私ごときつまらぬ者には時鳥などとても、とても」などと逃げ去った。あとに女房たちの忍び笑いが聞こえてきそうなところではある。
徒然草(つれづれぐさ)はこの話のあとに、くやしそうに散々に女の性(さが)の劣悪さをなじって、だから女人は度(ど)しがたいと歎いている。
馬場あき子
歌人。1928年東京生まれ。学生時代に歌誌『まひる野』同人となり、1978年、歌誌『かりん』を立ち上げる。歌集のほかに、造詣の深い中世文学や能の研究や評論に多くの著作がある。読売文学賞、毎日芸術賞、斎藤茂吉短歌文学賞、朝日賞、日本芸術院賞、紫綬褒章など受賞歴多数。『和樂』にて「和歌で読み解く日本のこころ」連載中。映画『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』(公式サイト:ikuharu-movie.com)。