Culture

2025.06.25

母と弟を食べた山姥が…日本版赤ずきん『天道さんの金の鎖』が怖すぎる

誰もが知っているグリム童話『赤ずきん』。おばあさんのお見舞いに行った女の子が、おばあさんになりすましたオオカミに食べられてしまうも通りかかった猟師に助けられ、最後にはオオカミを懲らしめる。おなじみの童話である。

じつは日本にも、よく似た話がある。その名も『天道さんの金の鎖』。しかし登場するのはオオカミではなく、毛だらけの手に植物を巻いた山姥(やまんば)。しかも食い意地がはっていて、食べた相手も一人どころではない。優しい猟師は出てこないし、死んだ人間も生き返らない。そして結末は……

『天道さんの金の鎖』あらすじ

昔、あるところにお母さんと太郎と次郎と三郎の四人家族が暮らしていた。ある日、お母さんは山へ薪を拾いに出かけた。そこへ山姥が現れて、お母さんをぺろっと食べてしまった。山姥はお母さんに化けて家へ帰った。そしてこう言った。
「子どもたちや、お母さんだよ。戸を開けておくれ」
太郎が言った。「お母さんの声じゃない。戸の隙間から手を見せておくれ」
山姥は手を差し入れて見せた。太郎が言った。「お母さんの手はこんなにガサガサしてないよ」
山姥はヤマイモの葉を手に塗りつけた。そして優しい声で言った。
「子どもたちや、お母さんだよ。戸を開けておくれ」
次郎が見ると、すべすべしたきれいな手だったので戸を開けてしまった。

その夜、お母さんは末っ子の三郎と一緒に眠った。真夜中になると、むしゃむしゃと何かを食べる音がする。目を覚ました太郎と次郎が聞いた。「お母さん、何を食べてるの?」
お母さんは食べているものを投げて寄こした。三郎の指だった。
長男の太郎が言った。「あれはお母さんじゃない! 山姥だ!」
次男の次郎が言った。「逃げなきゃ俺たちも食われるぞ!」
二人はこっそりと家から逃げだした。すると山姥が追いかけてきた。二人は一生懸命に走ったが子どもの足である。追いつかれてしまいそうだ。そのうえ目の前には大きな沼があって逃げ道をふさいでいた。
二人は沼の淵に木を見つけた。木に登り、枝葉に隠れた。木の下では山姥が逃げた兄弟を探している。そのとき葉が落ちて、兄弟は山姥に見つかってしまった。木に登ろうとする山姥。しかし、うまく登れない。
山姥が叫んだ。「どうやって登った?」
太郎が言った。「手と足に油を塗って登った」
山姥は家から油壷をとってくると手足にべっとり塗りつけて木にしがみついたが、すべって登れない。
怒った山姥が叫んだ。「どうやって登った? 本当のことを言わないと食い殺すぞ」
怖くなった兄弟は答えてしまった。「ナタでキズをつけて登った」
山姥は木についたナタのキズを足がかりにして登ってきた。

二人は思わずつぶやいた。「天道さま、どうか助けてください!」
すると天から金の鎖がおりてきた。二人は鎖につかまった。鎖は二人をぶらさげたまま空へと昇って行った。
山姥も天道さまに願った。「わしにも鎖をくれ!」
すると天から腐った綱がおりてきた。山姥が綱に飛びつくと綱は途中で切れてしまった。山姥は空から真っ逆さまに落ちて死んでしまった。天に昇った太郎と次郎はお星さまになったとさ。

まるで『赤ずきん』、だけど不幸な物語

母親をぺろりと飲み込んでしまうこと、お母さんに化けること(『赤ずきん』ではおばあさん)、手を確認するところまで『天道さんの金の鎖』は『赤ずきん』によく似ている。

ただ『天道さんの金の鎖』では、母親と兄弟の末の子は山姥にすっかり食われてしまって(指だけを残して。母親にいたっては指さえ残らずに)、最後まで復活しない。逃げた兄弟も(姉と兄の場合もある)木に登って助かったと思いきや天へ上がってしまい、そのまま帰ってこない。

これじゃあまるで、家族は一人残らず死んでしまいました、と言わんばかりだ。いったい天道さまは兄弟を助けたかったのか、それとも殺したかったのか、よくわからない。おばあさんを食べたオオカミを懲らしめる『赤ずきん』と比べると、ずいぶんと後味の悪い昔話である。

日本の山姥と西洋の妖精

鳥山石燕『百鬼夜行』(国立国会図書館デジタルコレクション)

この物語で存在感を放つのが、山姥だ。
日本において山姥は、古くから信仰されてきた山の神と深い関係がある。「山姥は山をめぐり里に通い、山に暮らす民の仕事を手伝ったという説があり、北ヨーロッパのフェアリー(妖精)と同じく、単なる空想の産物ではなかった」と語るのは、かの有名な民俗学者、柳田國男。
見た目もふるまいも妖精というより魔女のほうがしっくりくるが、山姥は西洋でいうところの妖精と同じく地域の文化に深く根ざした超自然的存在なのだと柳田は説明する。そして両者はある意味では、たしかに似たところがある。

ひとつは、山姥も妖精も人に怖れられる妖怪的側面と人に恵みをもたらす神的側面を持ち合わせているということ。そして、どちらの伝承も古くは狩猟採集文化時代に遡ることができる。

醜怪な老婆のイメージが強いが、山姥といってもじつは様々。ちょっと聞きなれない、風変わりな山姥たちを紹介しよう。

日本の変わった山姥たち

葛飾北斎『百物語・笑ひはんにや』(The Metropolitan Museum of Art)

吸血女

山姥は人、とくに子どもが大好物と言われるが、伝承のなかには吸血鬼ならぬ、吸血女として知られる山姥がいる。その山姥は若く美しい姿をしているという。

ある伝説によると、見立の奥にお姫山という山があり、そこで山犬を連れた髪の長い若い女が通るのを見た者がいる。山仕事をしている者たちが小屋で寝ているとその女が入って来て皆の血を吸って歩いたという。
若い女は洗ったばかりの美しい艶のある髪をかかとまでたらし、腰にシダを巻きつけているときもあれば、十二ひとえの緋のハカマを着ていることもある。三味線を弾いて歌を歌うこともあるし、赤ん坊を抱いていることもある。
基本的には後姿しか見せない。もしも振り返って微笑みかけてくるようなことがあっても、けっして微笑んではいけない。笑顔を見せてしまえば最後、あっという間に血を吸われてしまうのだ。

精気を吸いとる女

山姥のなかには精気を吸いとる者がいる。『遠野物語』には、山の中で目撃しただけで死んでしまった人の話がある。たったそれだけで命を奪われるなんてたまらない。こっちだって見たくて見たわけじゃないのに、なんてぼやいたところでもう遅い。

吉兵衛という男が山に入り、苅りとった笹を束にして担ごうと立ち上がった瞬間、林の奥の方で若い女がこちらへ来るのが見えた。長い黒髪の美しい女で赤ん坊を連れていた。着ている衣類は裾のあたりがぼろぼろに破れていて、いろいろな木の葉を添えていた。足が地に着いていないようにも見えた。女は事もなげにこちらに近より、男のすぐ前を通りすぎて行った。その日から男は体調がすぐれず、ついには亡くなったという。

男が死んだのが、この女のせいかどうかは分からない。ただ、精気を吸いとられたように亡くなったというから、やはり目撃したのは妖怪の類だったのだろう。

山姥は山中に暮らしているとされるが村人と関わりを持つこともある。伝承のなかには、村人にとり憑いたなんて話もある。

山姥は神か妖怪か?

喜多川歌麿『画本虫撰』(The Metropolitan Museum of Art)

かつて人びとは、山の奥には得体のしれないものが棲んでいると信じていた。山に入るということは、そういう相手と出くわすかもしれない、ということを予感させた。そのなかの一人が山姥だった。

山姥は山中に棲むとされ、おおくは老女の姿で醜悪な見た目をしている。背が高く、髪が長く、眼光は鋭い。若く美しい女のときもあり、その場合はとびっきりの美女ときている。変身する能力をもち、子どもを喰らい、血を吸い、精気を吸い尽くし、そのうえ人にとり憑くこともある。
それでいて、完全なる悪の権化というわけではない。山姥は、ときに人間を助けて豊作や福をもたらしてくれる、ありがたい存在でもあるのだ。

たとえば日本昔話『米福・粟福』では、山中で老婆の虱をとってやったお礼に粟福(主人公)が箱いっぱいの宝や着物を受け取っている。ちなみに老婆の頼みを聞かなかった米福(もう一人の主人公)は虫などが詰められた箱を押しつけられた。

この話では老婆(山姥)は二人の主人公に試練を課し、親切に振る舞ったほうには褒美を与えて、断ったほうには罰を与えるという、まるで神様みたいな行動をとってみせる。恐ろしい人喰い鬼婆としての姿は山姥の性格のほんの一部にすぎないのである。

山姥は、妖怪であり神でもある。だとしたら、『天道さんの金の鎖』の山姥もまた、単なる人喰いとみなすことはできないかもしれない。

これぞ日本の昔話

喜多川歌麿『山姥と金太郎』(The Metropolitan Museum of Art)

『天道さんの金の鎖』には、まだつづきがある。

天から降りてきた腐った綱を登ろうとした山姥は高い所から落ち、蕎麦畑の中で石に頭を打ち割って死んでしまう。蕎麦の茎は山姥の血に染まり、その瞬間から真赤になりました。

というのが事の顛末。

じつは『天道さんの金の鎖』の山姥を作物の起源に連なる神話とする説があるのだ。
「蕎麦の茎が赤いのは山姥の血で染められているから」そうなると『天道さんの金の鎖』には、お伽噺以上の意味があるということになる。

オオカミも猟師も登場しないうえに「めでたしめでたし」で終わりもしないけれど、山姥の登場する日本版『赤ずきん』は、神話と伝承とグロさを兼ね備えた、まさに日本の風土が生んだ物語といえる。日本の昔話はこうでなくっちゃ。

【参考文献】
『柳田国男集第六巻』筑摩書房、1963年
千葉徳爾『狩猟伝承研究』風間書房、1969 年
町田宗鴬『山の霊力―日本人はそこに何を見たか―』講談社選書メチエ、2003 年

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馬場紀衣

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。
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