月を見たことは何度もあるが、月に住むうさぎの方には会ったことがないので事情は知らないが、うさぎはどうして餅をついているのだろう。それで生計を立てているのだろうか。というか、なぜ餅? 一説には、うさぎが作っているのは餅ではなく不老不死の仙薬ともいわれている。
今回紹介するのは謎に包まれた月兔の物語。餅つきするうさぎと仙薬を作るうさぎ。月にいるのは、どっちのうさぎなのか。いつから月にいて、どうして月にいるのだろう。
月のうさぎの歴史

月面にうさぎを見る文化はかなり古い。はるか昔、2500年以上前の古代インドまでさかのぼることができるくらいだ。それが中国、朝鮮半島を経由して日本に伝わった。日本の月にうさぎが住みはじめたのは、飛鳥時代ともいわれている。
すこし真面目な話をすると、月面の模様はうさぎがせっせと掘ったのではなく、岩石の種類のちがいから生じたものだ。月に刻まれた模様は、はるか昔、月に隕石が衝突したときに生まれた。黒く見える部分は玄武岩、白く見える部分は斜長石という岩石でできている。こうしてできた模様を、世界中の人びとは古くからさまざまなものに見立ててきた。そう、たとえばうさぎである。
月とうさぎの出会い
うさぎは地上の動物である。だから、うさぎが月に暮らすようになったのには、もちろん理由があるはずだ。
私が知るかぎり、月とうさぎを結びつけるもっとも古い記録はインドの書物の中にある。その物語には、うさぎとジャッカルと猿とカワウソが活躍する。
じつは、よく似た話を日本の『今昔物語』のなかにも読むことができる。それは、こんな物語だ。
『今昔物語 巻五第十三話』より「焼身した兎」
今は昔、天竺には菩薩の修行をする兎と狐と猿がいた。彼らの行いを見ていた帝釈天は、たいそう心を動かされた。
「彼らは獣だが、たいへんありがたい心を持っている。人の身でありながら、生ある者を殺したり、財産を奪ったり、笑顔で悪心を抱く者もいる。獣がほんとうに誠の心を抱いているのか試してみよう」
帝釈天は老人に姿を変えると獣たちのもとへ現れて言った。
「私は年老いて疲れています。あなたたちは深いあわれみの心を持っていると聞きました。どうか私を養ってください。」
これを聞いた猿は木に登り、さまざまな木の実や野菜を取ってきて与えた。狐はお供え物の餅やご飯や魚を取ってきて食べさせた。老人はすっかり満腹だ。
しかし兎は東西南北を歩きまわっても、何も得ることができなかった。兎は老人に言った。
「私は力が及ばず、食べ物を持ってくることができませんでした。ですから我が身を焼いて食べていただきます」
そう言うと兎は自ら火の中に飛び入り、焼け死んだ。
帝釈天はもとの姿に戻り、火に入った兎の形を月の中に移したという。月の中に雲のようなものがあるのは兎が火に焼かれた煙である。「月の中に兎がいる」といわれるのは、このためだ。
餅をつくうさぎ

うさぎは、なにもはじめから餅をついていたわけじゃない。平安時代から室町時代には、うさぎはすでに月に住んでいたようだが、その頃はまだなにもしていなかった。じゃあ何をしていたのかというと、一人きりで座っていたり、カエルと並んで立っていたりした。
うさぎの世界では餅つきが労働にあたるのかどうかはわからないが、杵と臼でせっせと作業をするようになったのは、おそらくは江戸時代の頃からだろう。
たとえば江戸時代に刊行された絵入りの百科事典『訓蒙図彙(きんもうずい)』には腰を曲げて、足を前に出し、一生懸命に餅をついている(ように見える)愛らしいうさぎの姿が描かれている。
ただ、うさぎがついているのがほんとうに餅なのか、あるいはまったく別の代物なのかまでは確認できない。なにせ、臼の中は描かれていないし、それが何かについての記述もないのだ。
仙薬を作るうさぎ

中国でも古くから月にはうさぎが暮らしていると信じられてきた。そしてこのうさぎは、日本とはちがって杵と臼で仙薬を作っていると考えられている。
中国の月のうさぎは、漢の時代に広まった。玉兎と呼ばれるこのうさぎは、その名のとおり全身が玉のように白いという。玉兎は杵をもち、蛤蟆丸(カエルの意味)なる薬を作っているといわれる。
このうさぎは西王母という女神の眷属(けんぞく)でもある。月の神でもある西王母は、中国の伝統的な神仙思想とも深いかかわりがある存在だ。
規則的に満ち欠けを繰り返す月は、おおくの文化圏で死と再生のシンボルとされてきた。そんな神聖な場所で作るなら、餅よりも薬のほうが断然ふさわしい気がする。
月の神秘的な力が薬効を与えたのだろうか。一説には、蛤蟆丸は不老長寿の薬とも言われている。古代中国で月とうさぎと仙薬が結びついたのは、自然な成り行きだったのかもしれない。
月にはヒキガエルも暮らしている
ちなみに、月にいるのはうさぎだけではない。中国では、月にはヒキガエルがいるという伝統がある。そしてヒキガエルは、うさぎと一緒に仙薬を作っているのだ。
うさぎとヒキガエルが月で一緒に薬を作っている……とは、なんだかとってもメルヘンな雰囲気である。残念なことに、月とヒキガエルのイメージは時代とともに廃れていってしまうが、ぜひとも一緒に薬を(餅でもいい)作りつづけてほしかった。なにせ私は子どものころから、あんな遠い場所で一人ぼっちで暮らすのは寂しかろうと、うさぎの身を案じていたのである。
おわりに
月にうさぎがいるという伝承はアジアだけでなく、アフリカや中央アメリカなど、さまざまな場所で見られる。月とうさぎの物語の起源は一つの時代や地域を超えて、どこかで交わったらしい。
人類は、はるか昔から月を見上げてきた。文化や宗教や人種はちがっても、地上に暮らす生きものたちの頭上には、いつも空が広がっている。
月は、その広大な空間にぽつねんと浮かび、地上に柔らかな光を落としてきた。そして、どの国の月にも、なぜかうさぎが住んでいる。たとえ姿を見たことはなくても、数々の物語を生んできた月になら、ほんとうにうさぎがいるような気がするのだから不思議だ。
【参考文献】
森雅子「西王母の原像」慶応義塾大学出版会、2005年
「今昔物語集」岩波書店、1959年

