実は、歴史をさかのぼってみると江戸時代にも、小さな雛人形のブームがあったそう。そこには止むに止まれぬ事情と、それでも人々を喜ばせる雛人形を作ろうとする職人の意地とプライドがありました。
埼玉県にある岩槻(いわつき)人形博物館をたずねて出会ったのは、職人が技巧を凝らした江戸時代や近代のミニチュアお雛さまたちです。吸い込まれそうに小さく愛らしい世界を、一緒にのぞいてみませんか。
江戸時代のミニチュア「芥子雛(けしびな)」とは?
江戸時代に日光東照宮の造営に携わった職人の一部が移り住み、人形作りをはじめたという伝承が残る埼玉県の岩槻は、今も人形の専門店や工房が数多く並ぶ「人形のまち」として有名です。
地元の岩槻人形博物館(愛称:にんぱく)では毎年、雛祭りの時期に合わせた企画展を開催しているのだそう。2026年のテーマは「ミニチュア×にんぱく雛祭り」。小さなお雛さまの名品が勢ぞろいしています。

男雛5.5㎝ 女雛4.0㎝
江戸時代/さいたま市岩槻人形博物館蔵
こちらが、ケシの実のように小さいことから「芥子雛」と呼ばれていた、江戸時代のミニチュアお雛さま。上の写真の芥子雛は、わずか4~5㎝の大きさながら、面長のお顔、袖が横に張った男雛の衣装、十二単の五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)に似た女雛の衣装など、江戸時代に流行した享保雛の特徴が細部までしっかりと表現されています。
超絶技巧の雛道具にうっとり
ぜひ実物を見て、その精工さに驚いてほしいのが、小さな雛道具たちです。

江戸時代/さいたま市岩槻人形博物館蔵
こちらの将棋盤は3.2㎝、小さな駒もひとつひとつ丁寧に作られています。「歩」は縦3㎜×横2.5mm!
蒔絵の「大の字」に似た牡丹唐草文様は、江戸時代に一世を風靡したミニチュア雛人形・雛道具の専門店「七澤屋」の印なのだそう。七澤屋は別名「贅沢屋」と呼ばれるほど高価な商品を扱っていましたが、大名の奥方などが買い求めたと思われる雛人形や雛道具が、全国に残っているそうです。
極小サイズ!芥子雛の段飾り
拡大鏡が欲しくなるほど小さな、芥子雛の段飾りもありました。

江戸時代/さいたま市岩槻人形博物館蔵
こちらは岩槻のお隣、越谷(こしがや)で作られた庶民向けと思われるお雛様。11.9㎝の小さな桐箱の中に、指の先ほどの男雛と女雛、五人囃子などがおさめられています。
なぜ、これほど小さく手の込んだお雛様が作られるようになったのでしょう。
大きくなって、小さくなった!? 雛人形の歴史
雛祭りは、3月の最初の巳の日に草木などで作った人形(ひとがた)を川に流した厄払いの行事と、貴族のお姫さまの「ひいな遊び(人形遊び)」とが結びついて生まれた文化です。
江戸時代に、3月3日の「上巳の節句」が五節句のひとつとして祝日に制定されたことをきっかけに、人形を飾って女の子の成長を祝うお祭りとして庶民にまで広まりました。
いろいろなスタイルの誕生
最も古いスタイルの雛人形は紙の衣装をまとった「立雛(たちびな)」で、京の都から江戸に伝わったといわれています。その後、座ったスタイルの「座雛(ざびな)」が生まれると、面長の顔などを特徴とする「享保雛」や、公家の衣装や髪型を忠実に再現した「有職雛(ゆうそくびな)」など、さまざまなスタイルの雛人形が作られるようになっていきました。

常設展には古今東西の雛人形、日本人形のコレクションが並びます。
さいたま市岩槻人形博物館
※展示されている人形は定期的に入れ替わります。
18世紀後半に江戸で生まれた「古今雛(こきんびな)」は、女雛の衣装の袖に豪華な刺繍が施されていたり、目にガラスがはめこまれていたりと、華やかで写実的。身分の差を超えて大流行し、全国へと広がって、現代の雛人形へとつながっていったといわれています。

豪華な衣装の古今雛
江戸時代/さいたま市岩槻人形博物館蔵
どんどん大きく、豪華に発展
町人文化が花開いた江戸時代、人々は豪華な雛人形を見せ合い、競い合ったそう。客の求めに応じて雛人形はどんどん大きく、豪華になっていき、江戸時代の後期になると五人囃子や三人官女など人形の種類も増えて、5段飾り、7段飾りと雛段も高くなっていきました。宮中で働く女性をモデルにした三人官女は京で生まれ、能の謡とお囃子をモデルにした五人囃子は、特に江戸で好まれていたのだとか。
飾り方にも注目を。当時の風俗を描いた浮世絵などを見ると、内裏雛がいくつも並んでいたり、市松人形も並んでいたりして、とても賑やかです。江戸時代には雛人形の飾り方に特に決まりはなく、思い思いに飾って楽しんでいたことがわかります。

「贅沢禁止令」で取り締まりの対象に
一方で、幕府は倹約を奨励するいわゆる「贅沢禁止令」を江戸時代に繰り返し出しています。第8代将軍徳川吉宗の時代に行われた「享保の改革」では、8寸(約24㎝)を超える雛人形が禁止に。それでも江戸っ子たちは、禁令をかいくぐって大きな雛人形を求めたそうです。
しかしその後、老中松平定信が「寛政の改革」でさらに厳しい取り締まりを実施しました。精巧なミニチュア雛には、禁令のなかで、やむを得ず小さな雛人形を作るとしても人々を驚かせ、楽しませ、喜ばせるものを作りたいという、職人の意地とプライドが込められていたに違いありません。
お雛さまは想像のプリンセス
ところで、男雛と女雛は天皇と皇后がモデルだという説を聞いたことがあるでしょうか。内裏雛や親王飾りという名称も、それを裏付けているような気がします。大きな雛人形は禁止されていたというけれど、庶民が天皇、皇后の人形で遊んだりするのは、許されていたのでしょうか。ちょっと気になったこの点を、にんぱくの学芸員さんにたずねたところ、興味深いお話を聞くことができました。
雛人形のモデルが誰かということは、これまでの研究でもはっきりとわかっていないそうです。
そもそも今のようにテレビもスマホもなかった江戸時代、天皇や皇后の姿や生活を、人々が知るすべはほとんどなかったと考えられるのだそう。
お雛さまは、江戸時代の人々が「京で暮らす高貴な方々」のイメージを凝縮させて作った、いわば想像のプリンセス。子どもたちにとっては、眺めて、遊んで、憧れの世界へと連れていってくれる、そんな存在だったかもしれません。

そして、お雛さまを購入する立場だった大人にとっても、雛人形はある意味、夢や憧れの投影でした。当時の人々にとっては「家の存続」や「家の繁栄」が重要で、雛祭りはその価値観にとてもマッチするイベントだったのです。
大人も楽しまなくては、もったいない!
雛祭りは、明治時代になって五節句が祝日から廃止されると一度衰退の気配を見せますが、女の子の成長を祝う行事として今も続いています。子ども向けの節句人形だけでなく、明治時代には古き良き時代を懐かしむ「江戸懐古主義」の好事家たちのために、大人向けの小さな雛人形が作られました。また昭和になると、芸術として人形を制作する「人形芸術運動」が起こり、大人がコレクションしたくなるような、個性豊かな「変わり雛」も作られるようになったのです。

男雛2.3㎝、女雛2.2㎝
昭和時代/さいたま市岩槻人形博物館蔵

右4.0㎝、左3.4㎝(ともに台含)
昭和時代/さいたま市岩槻人形博物館蔵

高さ6.3cm
昭和時代/さいたま市岩槻人形博物館蔵

14.8cm
昭和時代/さいたま市岩槻人形博物館蔵
さいたま市岩槻人形博物館は、日本初の公営人形博物館。古今東西の日本人形や節句人形の貴重なコレクションを鑑賞できます。「ミニチュア×にんぱく雛祭り」展は2026年1月24日(土)~3月22日(日)までの開催。この記事で紹介したミニチュア雛以外にも、江戸時代~近代の小さな雛人形が、まだまだ展示されています。

にんぱくのミュージアムショップで見つけたアクスタと一緒に、早春の公園へ。
江戸時代には、雛人形を持って野山に出かけて、一緒に春の景色を楽しむ「雛の国見せ」が流行したのだそう。私たちが推しのぬいぐるみやアクスタと一緒にお出かけするのと、似ていますよね。
アイキャッチ:越ヶ谷段雛(江戸時代/さいたま市岩槻人形博物館蔵)
さいたま市岩槻人形博物館
住所:埼玉県さいたま市岩槻区本町6-1-1
開館時間:9:00‐17:00 ※入館は閉館時刻の30分前まで。
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、年末年始(12月28日から1月4日まで)
公式ウェブサイト

