中国の鬼、日本の鬼、仏教の鬼

出典:東京都立図書館(https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000003-00221927)
子どもの頃に悪いことをして「地獄に堕ちるぞ」と脅されたことのある人は、私だけじゃないはず。地獄がどれほど恐ろしい場所なのかあの頃は(そして今も)詳しくは知らないけれど、極楽のようでないことはたしかだ。とはいえ極楽もどんな場所なのか、さっぱりだけど。
それでも地獄について知っていることがいくつかある。たとえば、地獄には鬼がいる。
鬼は日本昔話の常連だ。『桃太郎』『一寸法師』『こぶとり爺さん』、赤鬼と青鬼が活躍する絵本を読んだことがある。鬼の頭には、どういうわけか角が生えていた。口には牙があったかもしれない(し、なかったかもしれない)。それから忘れてはいけないのが、トレードマークともいえる虎の皮のふんどし。そうそう、手には金棒を持っている。
でもこうした鬼のイメージは、日本古来のものでもなければ中国の鬼でもない。
中国の鬼は死んだ人の魂だからそもそも形がない。女が嫉妬心を燃やして鬼となる『源氏物語』をはじめ酒吞童子(しゅてんどうじ)、茨木童子(いばらきどうじ)と日本には古くからいろいろな鬼がいるが、かつて鬼と神は同義だったという説もある。
それなら地獄にいる鬼はなんなのか。あれは、仏教の鬼である。
働く鬼たち

歌川国芳「地獄絵図」部分
出典:東京都立図書館(https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000003-00221927)
地獄の恐ろしさと苦しみを説いた『往生要集(おうじょうようしゅう)』を読めば、地獄の鬼が罪人にどれほど無残な仕打ちをしているか分かってもらえると思う。
罪人を金棒で打ちのめし、魚をさばくみたいに刀で切り裂き、熱い鉄の縄で罪人の身体に印をつけて、斧やのこぎりで切り刻んだり、火の中へ入れたり出したり。
樹林へと連行された罪人は、着飾った美女に樹の上から色気たっぷりに誘われることがある。美女にたぶらかされて木を登ると、刀で作られた葉がいっせいに下を向いて体を切り刻むという。
すると今度は、美女が地上から罪人を誘う。罪人が木を降りようとすると、葉はいっせいに上を向き切り刻む。際限なき色気と切り裂きの責め苦である。
しかし鬼たちを責めないでやってほしい。奴らは真面目に仕事をしているだけなのだ。そして働く者たちがおうおうにして苦労を抱えているように、鬼もまた事情を抱えている。
せまりくる倹約、節約、経費の削減
ある時、お上から働く鬼たちへお達しがあった。内容は以下のとおりである。
一、 鉄製の臼は贅沢なので無用。今後は野原に転がっている石を使うこと。
一、 剣は贅沢なので今後は竹を用いるように。ただし、これまで使っていた剣はそのまま使うこと。次第に竹に取りかえていくこと。
一、 鬼はヒョウ皮や虎皮のふんどしをしめてはならない。下々の鬼がこっそりはいていた場合には、厳しく責めること。ただし、タヌキやキツネの皮のふんどしは使用してよい。
一、 鬼たちは牛や馬を食べること。好き勝手に人間を食べてはいけない。人間を食べてもよいのは、五節句や閻魔王に招待された特別のときだけである。
以上は『視聴草(みききぐさ)』の一部。タイトルは、その名も「地獄倹約」である。
本書は、江戸時代後期の幕臣・宮崎成身(みやざきせいしん)が見聞きした日常の出来事、事件、怪談や奇談などを書き留めた雑記。30年以上もかけて記録したというだけあって、読みごたえは充分。なにせ全178冊もある。
しかも情報を分類せずに綴じているから資料がごちゃ混ぜ。結果的にありとあらゆる雑多な資料が収められている書となっている。
ここに取り上げたのは、そのほんの一部だ。地獄で働く鬼たちの不遇がひしひしと伝わってくる。気になる方はぜひご自身で読んでみてください。風変わりな(というのはもちろん誉め言葉)資料です。
あれもダメ、これもダメ

歌川国芳「地獄絵図」部分
出典:東京都立図書館(https://archive.library.metro.tokyo.lg.jp/da/detail?tilcod=0000000003-00221927)
「地獄倹約」を読むかぎり、地獄の鬼たちは節約と経費節減を上から命じられている。いわば贅沢禁止令である。倹約令では、あらゆるものが標的にされている。
そのひとつが罪人をすりつぶすための臼。鉄製は高価なので、代わりにそのへんに落ちている石を使うようにというのは見過ごせない。人間を代表して言わせてもらうと、苦行はできる限り早く終わり、なおかつ痛くないのがいい。今後は、臼でなく野原の石で叩き殺されることになるのだろうか。剣が禁止されて竹になったのも辛い。どちらも痛みが長引きそうだ。
問題は、鬼のふんどし(パンツ)である。
鬼のふんどしといえば、地上では虎皮かヒョウ皮と決まっている。ふんどしで鬼かどうか見分けているといっていいくらいだ。それを禁止するとは。しかも安物に替えるようにというお達し。お偉方は、あらゆることを安く済ませたいらしい。
個人的には、鬼がなにを履いていようがどうでもいいのだけど、地獄の財政がひっ迫すると罪人にも火の粉がかかる。というか、ふんどしや金棒は支給品だと思ってたのに。ちがうのか。
良いニュースもある。人間を食べてはいけない、というのはありがたいお達しである。でも、それってつまり、これまでは人間が喰われていたということ? 地獄では一瞬も気が抜けない。
現実とつながる地獄
ところでこの地獄の倹約令、とつぜん発せられたというわけではない。じつは、現実世界(常世)と深い関わりがあるのだ。
地下世界ではなく地上を見まわすと、江戸時代をとおして、庶民に対する贅沢禁止令は頻繁に出されてきた。そのたびに着物の柄が指示され、素材に制限がかけられ、使っていいものと悪いものとが細かく伝えられた。
もちろん、反発する人もいた。派手な柄は裏地にして隠したり、規制の網の目をくぐりぬける人がいるのはいつの時代も同じこと。
地獄の倹約令は、江戸時代に実際に発せられた贅沢禁止令を痛烈に揶揄したものでもあった。鬼のふんどしにまで規制をかけるくらい贅沢禁止令はくだらないことだ、と声を大にしては言えないから、こんな話が出まわったのかもしれない。
もしも本当に地獄に倹約令が出たら、虎の皮を裏地にしてはく鬼がいるかもしれない。
おわりに
地獄が恐ろしいだけじゃなくなったのは江戸時代のころ。仏教を受け入れてからの日本人は、仏教が示すあの世のイメージをなんとかして自分のものにしようとしてきた。
樹の上から美女に誘われたり、鬼のふんどしに制約があったり、使える道具が限られたり。地獄という世界は、ときどきこうして仏典の記述からはみ出して独自の世界を展開してみせる。この地下世界は、いわば現実世界の価値観の投影なのである。
人間は社会を新しく作っていく。それは生きている人間だからこそできることだ。この先も、地獄はどんどんおもしろくなっていくかもしれない。
【参考文献】
「内閣文庫所蔵史籍叢刊 特刊第2」「視聴草 第10巻」汲古書院、1985年

