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2020.03.04

結婚は顔じゃないゾ!ん?中身でもないって…?戦国時代の驚き夫婦事情

この記事を書いた人

プロポーズの言葉が思い出せない。

残念ながら、この事象は私に限ってのことなのだろうか。ただ、当時、彼が結婚を望んだ理由は分かっているつもりだ。多分、ズバリ「顔」だろう(嘘です。すみませんでした)。いや、この限りない、底なし沼のような「優しさ」だろうか。はたまた、ミシュランばりの…。これ以上、読者が脱落する前にやめておこう。

どちらにせよ。付き合ってその流れで結婚する、そんなカップルは世の中にごまんといる。そのため、実際に、結婚の理由を聞かれると、なかなかスッと出てこない。内閣府が平成27(2015)年3月に発表した『結婚・家族形成に関する意識調査報告書』では、結婚相手に求める条件の第1位は、男性の場合「価値観が近いこと」、女性の場合「一緒にいて楽しいこと」「一緒にいて気をつかわないこと」との結果に。

では、戦国時代はどうだったのか。戦国武将の場合は、どちらかというと、同盟を結ぶ上での手段、政略結婚的な意味合いが強かった。なんなら、豊臣秀吉は妹をわざわざ離婚させて、徳川家康の継室(後妻の正室)に押し付けたことでも有名だ。

さて、この戦国時代に、驚きの理由で結婚を決めた男女がいた。今回は彼らが主役だ。これを読めば、いや、オレだって、アタシだってと、結婚を決める人が、願わくは一人くらいは出るかもしれない。

アタシじゃなく、親父(おやじ)なの?

ささ、まずはお一人目。
―どう思いました?結婚の理由を聞かされて。

K:言葉を失いましたね。

―でも、相手はあの「プリンスof毛利」ですよぉ。そりゃ、相手からすれば女性を選びたい放題じゃないですか?勢いある毛利元就の次男なんですから。なのにですよ、あなたは選ばれた。それに、ほら、ねえ、まあ。面と向かって失礼なんですけど、Kさんって巷では随分な「醜女(しこめ)」って噂じゃないですか。

K:いや、分かってますよ。アタシだって。そんな自分の顔くらい。うちのおとっつあん、周りに声かけても、みんな「顔がねえ」「ホントに、いい子なのにねえ」って断わられちまうって嘆いて。おとっつあん、俺似だからって肩落とすの見てられないったら。それを、まさか、向こうからの御指名ですよっ。

―結果的には良かったじゃないですか。丸く収まって。

K:でもやっぱり。女の幸せ考えると寂しいもんですねえ。最初はこっちも舞い上がっちまったけど。よくよく考えれば、そんなうまい話はないなって。

―お相手に何か言いたいことあれば、最後に一言。

K:アタシじゃなくて、親父狙いかよっ!

さて、「狙われた親父」とは、一体、誰のことか。

熊谷信直(くまがいのぶなお)、その人である。安芸(広島県)の国人領主で、熊谷信直に勝る侍大将はいないといわれたほどの、実力ある武将だ。もちろん、なんといっても、この熊谷信直の先祖は、あの源平の戦いで平敦盛を討った「熊谷直実(なおざね)」だとか。それなら確かに狙われて当然だろう。これまで守護の武田氏に代々仕えてきたが決別、以後、毛利氏家臣として活躍することとなる。

一方、狙ったのは、中国地方の覇者、毛利元就(もうりもとなり)の息子。元就には、3本の矢の逸話で登場する3人息子がいたが、そのうちの一人、次男の吉川元春(きっかわもとはる)が今回の主人公である。この元春、もともとは吉川家の養子として入ったが、毛利側が吉川家の父子を殺害。正統の血脈を断絶させ、吉川家の家督を継いだという経緯がある。こうして吉川家は、弟の小早川隆景(こばやかわたかかげ)とともに「毛利両川」とたとえられ、毛利氏を支えた。元春に至っては、生涯76の合戦に出陣、64回の勝利、12回の引き分け。輝かしい実績を持つ名将である。

吉川元春の一本気はスゴイ。初陣はなんと12歳。幼すぎて父、元就より同行を許されなかったのだとか。しかし、大泣きしながら実力で後を追い、出陣したといわれている。なんとも、頑固一徹というか、こうと決めたら、てこでも動かないタイプの人間だ。それほど意思が強い武将だったといえる。

そして、それはのちの嫁選びにも顕著に表れる。元春17歳。そろそろ縁談をさせねばと、父、元就は、家臣の児玉就忠(こだまなりただ)に命じて、元春の希望を確認することに。そこで、元春の答えた内容に、一同唖然。

「熊谷信直の娘がよい」

当時、熊谷信直の娘は相当な「醜女(しこめ)」だと評判であった。そのため、児玉就忠は、もしも誤解されていてはと、あえて気を利かせて娘の容姿に言及するのだが。吉川元春は一喝。

「私は醜女(しこめ)だからこそ妻にするのだ。醜い娘を持った父の嘆きは相当なものがあるだろう。その娘を私が娶れば、私の志はその父に届き、きっと体をなげうってくれるに違いない。今、安芸に熊谷信直に勝る侍大将はおらぬ。信直を伴って父の先陣を務めれば、いかなる強敵といえども物の数ではないだろう。醜女を娶るのは父への孝であり、私が身を立てるものでもあるのだ」
左文字右京著『日本の大名・旗本のしびれる逸話』より一部抜粋

「なんでかな、結婚決まって 遠い目になる」(字余り)byだいそん
つい、一句読んでしまいましたがな。なんだか、あまりの切なさに。相手はプリンス元春、こんなにも自分との結婚を熱望して力説までしてくれているというのに、どうして素直に喜べないのだろう。そりゃ、そうだ。何度も「醜女」と真正面から連呼され、挙句の果てに、父が体をなげ打ってくれるだと?それにしても、熱くディスりながら同時に褒める元春のセンスはいかがなものか。女としては、本当になんとも…言葉が少なくなる結婚の理由だろう。

こうして、熊谷信直の娘を娶った吉川元春。娘はのちに正室・新庄局(しんじょうのつぼね)と呼ばれ、元春との間に4男2女をもうけている。非常に気が強かったらしく、舅の毛利元就に対しても手紙は三行足らずしか書かなかったとも伝えられている。なお、新庄局は本当に美しくなかったのか。じつは、熊谷信直の妹は絶世の美女と評判だったという。同じ血縁ながら、それほどまでに器量の差が出るのだろうか。一説には、疱瘡を患って顔に跡が残ったともいわれており、定かではない。

吉川元春は生涯、側室を持たず、正室の新庄局ただ一人。そう考えれば、あながち「醜女」という評判は、後世の創作ともいえそうだ。

最後に。
狙われた親父である熊谷信直はというと、吉川元春の下で常に先鋒として戦い、武功を重ねたという。元春の目論見通りといえる。ちなみに、熊谷信直に与えられた1万6000石は、国衆としては最高の知行だとか。結果的に、吉川元春、親父の熊谷信直、新庄局の三者がwin―win―winという関係に。めでたしめでたしといえそうだ。

えっ、ちょっ…奥さん?いや、あぁ~あああああ!

ささ、次の方。
―どうぞ、お待たせしました。あれっ?今回は男性ですか。

N:だって、僕が出ないと、誰が出るっていうんですか。「戦国時代驚き結婚事情」なら、僕がダントツだと思いますよ。

―すごい、自信ですねえ。

N:女性から結婚を迫られるとは思っていませんでした。大体、そんな目で見たことないし。そうでしょう?だって、彼女は…。

―おっと。出オチになってしまうんで、彼女の素性はちょっと待ってください。まあ、それにしても、相手もスゴイですけど、その結婚の経緯も小説みたいですよね。まあ、後世の創作という説もありますが。

N:いやあ、戦場でちびったことないですけど。今回ばかりは、ホントにちびりましたね。

―やっぱり。

N:だって、結婚も何も、花嫁行列でいきなり来ちゃうんですもん。それって禁じ手でしょう。もう、こっちはパニックですよ。

―お相手に何かあれば、最後に一言。

N:完全にやられました。参りました。

どうして戦国時代がここまで人気があるのか。それは、男も女も極めてキャラ立ちする人物ばかりだからだ。その中でも強烈女性キャラが、今回結婚を迫り、押しかけたという「慶誾尼(けいぎんに)」。

慶誾尼とは、「肥前の熊」として名高い龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)の母である。そして、佐賀藩を築いた鍋島直茂(なべしまなおしげ)の継母でもある。どうして、このようなややこしい関係になっているのか。それが、そもそものこの結婚の理由だからだ。

龍造寺家は肥前国(佐賀県)の国人で、守護である少弐(しょうに)氏に仕えていた。慶誾尼は、その龍造寺家の宗家の娘である。18歳で分家の龍造寺周家(ちかいえ)に嫁ぎ、嫡男の隆信が生まれるも、この少弐氏重臣らの謀略により一族は殺害される。生き残ったのは、曾祖父の家兼、出家していた16歳(諸説あり)の隆信と、慶誾であった。このとき慶誾39歳。未だ出家しておらず尼にはなっていなかった。この時から隆信は龍造寺家の家督を継ぎ、勢力を拡大していく。「熟慮を過ぎれば腐るもの」というだけあって、情報収集に優れ、臨機応変に手を打つ戦い方はさすが。こうして龍造寺家は、九州の三大勢力の一つにまでのし上がっていくのであった。

しかし、慶誾には一つ大きな心配事があった。というのも、龍造寺隆信は非常に気性が激しく、猜疑心が強かったからだ。時に、家臣を粛正して多くの離反者を出すこともあったようだ。そのためか、このままではいつか破綻すると慶誾は考えていたのだろう。今後の龍造寺家の先行きに不安を覚えた矢先、隆信の補佐役にちょうどいい若者を見つける。家臣の鍋島清房(なべしまきよふさ)の嫡子、直茂だ。はて、どうしたものかと思案した結果、慶誾は驚くべき行動に出る。

一方、鍋島清房はというと、ちょうどと言っていいものか、妻を亡くしていた。そこで慶誾は、後妻として誰か相手を見つけると、清房に申し出るのであった。それからしばらく後。鍋島清房の元へ、突如、謎の花嫁行列がやってくる。何が何だかわからない清房だったが、まさか慶誾が見つけると言っていた再婚相手かと、ようやく事の次第が分かってくる。こうして清房は、観念しつつ花嫁の駕籠を見る。

そしてしばらく凝視。
なんと中には、再婚の仲人を申し出ていた張本人「慶誾」がいたからだ。

鍋島清房、さすがに絶句。

それもそうだろう。慶誾は亡き主君の正室であり、現在の主君の母君でもある。なんたるややこしさ。清房は、さすがにご容赦をと言い募るのだが、慶誾は一刀両断。

「こうすることで、わたしは直茂どのの義母、隆信と直茂どのは義兄弟。絆を固めれば乱世に打ち勝てるでしょう」
山名美和子著『戦国姫物語―城を支えた女たち』より一部抜粋

このとき慶誾49歳(諸説あり)。清房より年上だったという。それにしても、家臣のもとへと押しかけるその強さ。全ては龍造寺家のためとはいえ、なかなか普通ではできない決断だろう。こうして直茂は、義兄、龍造寺隆信を支え、副将として活躍。

その後、龍造寺隆信は島津勢に討ちとられ、孫の政家(まさいえ)が家督を継ぐ。しかし慶誾は政家を補佐しながら、主君の器ではないと判断。結果的に、義理の息子である鍋島直茂が実権を握り、直茂の嫡男である勝茂が龍造寺家の家督を継ぐことに。佐賀藩は代々、鍋島家が継承するのであった。

佐賀城跡

「戦のため」「家のため」と結婚を選択した男女。ただ、どのような理由で結婚したにせよ、それは長い長い結婚生活の入り口でしかない。時をと共に感情もうつろい、人生の終わりに振り返ってみて、初めて分かることもある。

きっと、吉川元春も慶誾尼も、結婚して正解だったと微笑むに違いない。

参考文献
『47都道府県の戦国 姫たちの野望』 八幡和郎著 講談社 2011年6月
『戦国姫物語―城を支えた女たち』 山名美和子著 鳳書院 2012年10月
『日本の大名・旗本のしびれる逸話』左文字右京著 東邦出版 2019年3月
『戦国時代の大誤解』 熊谷充亮二著 彩図社 2015年1月

書いた人

生粋の京都人。生まれも育ちも京都で、大学時に未生流の華道師範代を取得。教育業界を飛び出し2年半、北海道(札幌から車で4時間、冬は-20度)で優游涵泳の境地を楽しむ。その反動で、現在は北陸で馬車馬の如く執筆する日々。法律、ビジネス系記事から日本文化まで。日本の歴史、なかでも戦国史、社寺参詣、職人インタビューが得意。北陸文化も発信中。