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Culture
2020.03.07

本屋大賞受賞作家ブレイディみかこさんに聞く!「エンパシー」で多様性を楽しむ生き方

この記事を書いた人

「エンパシー」という言葉をご存じだろうか。本屋大賞ノンフィクション大賞受賞作『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で、物語を貫く大切なキーワードとして注目され、多くの読者の心をグッとつかんだ言葉だ。主人公「ぼく」の言葉を借りれば、「自分で誰かの靴を履いてみること」なのだそうだ。

エンパシーとは何か。今、世界中で多くの問題を引き起こしている多様性やアイデンティティって何だろう。イギリスで暮らす中学生の息子の日常を、母親目線でつづった物語の著者、ブレイディみかこさんに話を伺った。

物語のあらすじ

舞台はイギリス南部の都市・ブライトン。裕福な家庭の子どもたちが通うカトリックの名門小学校から、優等生の「ぼく」が進学した「元・底辺中学校」は、毎日が事件の連続だ。多様な人種や貧富の格差に直面して、時には友だちとぶつかったり、アイデンティティに悩んだり。世界の縮図のような日常の中で起こるさまざまな出来事を、「ぼく」は母とともに考え悩みながらも、子どもならではのやり方で軽やかに乗り越えていく。

未来は子どもたちの手の中にある

――『子どもたちの階級闘争―ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)をはじめとする著書や、多くのメディアを通じて、「地べたの目線」で社会で起きている問題を見つめ、発信されてきましたが、本作では、貧困、差別、格差といったさまざまな問題を、中学生の息子さんの目に映る日常という形で描かれました。一つ一つの問題の重みが、子どもたちの心の揺れや息づかいと一緒に伝わってきて、本書を手にした全ての読者の胸に響いたと思います。

ブレイディみかこさん(以下、ブレイディ):「チャヴ」(白人労働者階級に対する差別的呼称)の貧困家庭の友だちが、擦り切れた制服を着て、笑われていることに心を痛めたり、FGM(「女性割礼」というアフリカ、中東、アジアの一部の国で行われている慣習)防止の授業のために、差別的な目を向けられてしまうアフリカ出身の黒人の少女がいたり。プールサイドのあちら側とこちら側に階級が分かれて、親も子も盛り上がる水泳大会があったり。
学校は社会の縮図です。社会で起きている貧困、差別、格差などの問題を、子どもたちは肌で感じ、彼らなりに解決方法を模索しながら毎日を生きています。

――一方で、これからの時代を生きる子どもたちと、本気で向き合う教育現場の強さも至る所で感じました。

ブレイディ:英国の公立中学校では、シティズンシップ・エデュケーション(英国の市民教育)の授業で、人権や政治の仕組み、社会問題などさまざまなことを学びます。息子の中学校でも、例えば多様性の問題について、各家庭の出身国や宗教に関係なくLGBTQの授業が行われ、偏見を論理的に排除していきます。授業の後、自分のジェンダーについて問われた12歳の少年が、「クエスチョニング(分からない)」と真剣に答えたら、それに対して、「焦らずに時間をかけて決めればいいよ」と友だちが声をかける。子どもたちは、多様化の進む社会の中で、しなやかに生きていく術を教育現場で学んでいるんです。

――教育の強さは、学校だけではなく、家庭を含めた地域の中にも感じました。

ブレイディ:政治問題を含め世の中のいろいろな問題について、いつも親子で一緒に考えるし話し合っています。また息子たちは、学校のシティズンシップ教育で、ボランティアのプロジェクトの立ち上げ方、資金の集め方、実際に運営する方法まで学んで経験しますが、食事や歯磨きをするのと同じ感覚で、地域のボランティア活動に日常的に参加しています。例えば、大雪になれば、すぐに地域のホームレス支援団体が始動するので、親子で家にある食料を届けに行ったり、炊き出しに参加したり。綿々と続いてきた歴史をもつ英国のボランティア活動は、子どもたちにとって、特別なことでも善良なことでもない、ごく当たり前の生活の一部です。
しなやかに生きる力や知恵、互いに助け合う術を、日々身につけている彼らなら、これから先何か大変なことが起こっても、きっと鮮やかに乗り越えていくと思う。だから、私は未来に希望を持っています。子供たちの力を見くびってはいけない。未来は彼らの手の中にあると思っていますから。

誰だってアイデンティティは一つじゃない

――中学校の校長先生の「誰だってアイデンティティが一つしかないってことはない」という印象的な言葉に、ハッとさせられた読者は多いと思います。

ブレイディ:私自身も、女性、母親、移民のアジア人、日本人で、保育士として働いていた時は労働者でもあった。そんなふうに、一人でいろいろなアイデンティティを持っています。アイデンティティは一つではないし、どれか一つを選べと誰かに言われる筋合いもない。リベラルな考えの人が保守的になったり、またはその反対だってあるし、思想や性格も変化することがある。アイデンティティは不変なものではない。たった一つのアイデンティティに縛られる必要なんてないし、誰かから決め付けられる必要もありません。

――とても腑に落ちますし、肩の力が抜ける気がします。

ブレイディ:息子は、(本の中でも書いたように)日本にいる時は“ガイジン”と呼ばれるし、イギリスにいても“チンク”(東洋人に対する差別的呼称)なんて言われる時もあり、彼はどこにも帰属意識を持っていない。でもそれは私も同じです。イギリスで23年間生活をしてきて、今や一番ほっとする場所ではあるけど、やはり移民だからイギリス人ではない。だからといって、日本にいてもどこか納まりが悪い。息子と同じでどこにも属さず、どこにいても“アウェー”なんですよね。だけど断然、アウェーの方が面白いって思っています。

――息子さんの「僕はどこかに属している気持ちになれない」という言葉が新鮮で、そのフラットなものの見方がうらやましく、読者の私も、“こんなふうに自由になりたい”と思いました。

ブレイディ:昨年、アミン・マアルーフの『アイデンティティが人を殺す』(ちくま文庫)という本が刊行されましたが、著者が述べていることと息子が話していることが非常によく似ていて驚いたんです。

「アイデンティティは一つではないが、あなたというアイデンティティは一つなのだ」という著者の主張。つまり、私たちの肌は一枚しかないが、そこに、日本人とか、女性とか、労働者とか、酒飲み(笑)だとか、いろいろな模様が埋め込まれている。その模様の組み合わせが一人一人違うから、私たちはユニークな存在なのだと。

アイデンティティがあるとしたら、それは“個人”というアイデンティティを指すのであって、模様の一つを指すのではない。その人の肌に描かれた模様は、他の誰のものとも違うんです。それが個人の尊厳なのだと思います 。

例えば、女性蔑視の問題に直面すれば、私の中の女性というアイデンティティが怒るし、移民のために何かしたいと思えば、私の中の移民というアイデンティティが立ち上がる。模様の一つが誰かとつながって、それについてその人と行動を共にすることがあったとしても、私が丸ごと誰かと一緒になって、他の誰かを全面的に否定したり戦うなんてありえない。友人の栗原康さんが、「一丸となってバラバラに生きろ」とよく言うんですけど、そういうことだと思います。

属性というのは、単なる模様の一つに過ぎないし、それによって自分の価値が決まったり、誰かと対立するための旗印でもない。それに、どれか一つを選べなんて誰にも言われる筋合いはありません。どんな時も、“私という個人が一番先にあるんだ”ということを忘れたら、人は辛くなると思います。

――思春期の息子さんのノートの端にあった「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という走り書き。物語のラストシーンで、また一つ成長した息子さんが、今の自分を表す言葉として「ブルー」の代わりに選んだ色も、“属性”ではなく“ぼく” にフォーカスした素敵な色でした。

ブレイディ:息子の学校の中国人の生徒会長が、息子をいつも気にかけて優しくしてくれることに対して、「ぼくは、あんなふうに東洋人として守られてもちょっと違うと感じる」と話すんですよね。「僕はどこかに属している気持ちになれない」と。

どこにも帰属意識を持たない息子は、自分の中にいろいろな模様があることを知ってはいるけど、やっぱり、いつも「ぼく」が先にあるのだと思います。

誰かの靴を履いてみるということ

――自分の中の模様の一つが、誰かの模様とぶつかったり、一つの模様のことで互いを全面的に否定して戦ったり。世の中で起きているさまざまな分断や混乱を乗り越えるための大事なものとして、学校の授業で息子さんが学んだ言葉が「エンパシー」でした。

ブレイディ:例えば、アメリカのオバマ元大統領も、演説で度々「エンパシー」について語っていましたし、欧米では近年盛んに使われてきた言葉です。「エンパシー論争」まで生まれ、『Against Empathy(反共感論)』という本が出版されるくらい、人々に強く意識され、議論されてきたキーワードです。

そうした欧米の社会的風潮に影響されて、日本でも「共感」という言葉が広がったのだと思いますが、厄介なのは、「共感」と訳されると「シンパシー」と混同されてしまうことなんです。エンパシーとして入ってきたのに、「共感」と訳されることでシンパシーの意味で理解されてしまう。でも、両者は似て非なる言葉です。

シンパシーは、かわいそうだと思う人や自分と同じ考え方を持っている人に対する「同情・共鳴」の意味をもつ、ちょうどインターネットの「いいねボタン」みたいなものです。それに対して、エンパシーは対象に制限がない。別にかわいそうだと思えない人や自分と反対の考え方の人に対しても、その人の立場に立って考えてみようとする「能力」を意味する、より知的な作業です。シンパシーと混同されないためにも、エンパシーは「共感」と訳さないほうがいいのではないかと個人的には思っています。いっそ、エンパシーのままのほうがいいのでは。

――「エンパシーとは何か、自分の言葉で述べよ」という試験の問題に対する息子さんの答えが、「自分で誰かの靴を履いてみること(Put oneself in someone’s shoes.)」でした。すごくいい言葉だなと思いました。

ブレイディ:イギリス北部のある地区で、学校でLGBTQ教育を始めようとした時に、ムスリムの人々が反対運動をしたんですね。すると、イギリスのLGBTQ当事者たちが現場にかけつけ、激しく対立してしまう出来事があった。ブレグジット(イギリスのEU離脱)をめぐる残留派と離脱派の争いだけではなく、さまざまな対立が、日々至る所で起きています。人種や宗教や政治的思想、貧富の格差などあらゆることで分断が進み、誰も相手の靴を履いてみようとしないから、ますます相手のことが分からなくなる。エンパシーが足りないんですよね。

――みんなが「誰かの靴を履いてみる」には、どうしたらよいのでしょう。

ブレイディ:人種とか宗教とか格差とか、大きな問題を念頭に置くと大変なことのように思えてしまうんですが、本当はみんな日常生活の中でエンパシーを使ってるんですよ。学校でも職場でも、誰だって苦手な人がいたり、意見の衝突だってある。でも、生活を楽しみたいとか、仕事を円滑に進めたいと思ったら、自分とは違う考え方の人とも、なんとかやっていこうとするし、相手の気持ちを想像してみようとしますよね。それって、エンパシーの第一歩なんだと思いますよ。それを、社会問題とか大きなテーマに広げていけばよいのだと思います。

――「和樂web」は、時間も空間も自由に移動して、読者と一緒に多様な文化を楽しもうというメディアなのですが、ブレイディさんのお話を伺っていると、エンパシーがあれば、文化の楽しみ方が広がる気がします。例えば、趣味の合わない絵画と出合った時や、嫌悪しそうなある時代のある地域の慣習を知った時など、エンパシーがあれば、一歩踏み込むことで想像もしなかった面白さや感動を味わえるかもしれません。

ブレイディ:多様性があるところには必ず軋轢や分断が生まれます。考え方や習慣の違う人たちが一緒にいれば、食い違う部分があるのは当たり前で。多様性って面倒くさくて厄介なものだけど、多様でない社会なんて本当につまらないし、退屈そうだと思います。多様性があるから、今まで自分が知らなかった新しい発見があったり、思ってもみなかったことと出会えたりするんです。多様性のワクワクするような楽しさに背を向け、閉じた楽な世界に閉じこもるのなら、社会は淀んで劣化していくだけです。

エンパシーって、社会的分断をうめる大切な力でもあるけど、本来は多様性を楽しむためのもの。自分の人生をより楽しく、豊かにするためのものなのだと思います。

(撮影=田部信子)

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

<特設ページ>
https://www.shinchosha.co.jp/ywbg/

<受賞>
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第2回 八重洲本大賞

ブレイディみかこ

1965(昭和40)年福岡生れ。県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996(平成8)年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を、2019(令和元)年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞を受賞。他の著書に『THIS IS JAPAN』『ヨーロッパ・コーリング』『女たちのテロル』などがある。

書いた人

大学院で西洋史に浸かり、欧米で暮らすも、やっぱりおいしい緑茶とご飯が愛しい。日本の津々浦々を旅して、とことん“和”を楽しむのが夢。好きなものは、美術展めぐり、歴史、旅行、睡眠、それから、スピッツと生まれ故郷の長州。