Culture
2020.03.17

2020年3月末閉店。進化する渋谷の街と共に歩んだ、東急百貨店東横店85年の歴史

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「落ち込むこともあるけれど、私、この町が好きです」と「魔女の宅急便」の主人公・キキは故郷の両親への手紙にしたためました。わたしにもそんな町があります。キキのいる海の見える街とは正反対の谷底の街、長い学生時代を過ごした東京・渋谷です。
渋谷はいま加速度的に変貌しています。ビルの建設ラッシュで、2019年11月には駅直結の高層ビル「渋谷スクランブルスクエア」がオープン。オープン翌日にさっそく訪れた屋上の「渋谷スカイ」からの景色がすばらしく、会う人ごとにすすめているほど。今後も新しい施設のオープンをいくつも控えており、目が離せないものがたくさんあります。
一方で、街から去るものもたくさんあります。そのひとつがターミナルデパートの東急東横店です。2020年3月末で閉店する渋谷の「顔」を、象徴的な売り場だった「東横のれん街」の思い出を中心に振り返ります。

発展する街の顔に 東横百貨店オープン

東急東横店はどのようにして誕生したのでしょうか。話は戦前にさかのぼります。

1923(大正12)年の関東大震災以降、東京府郊外への人口の分散と郊外における市街化が急速に進展します。以前は國木田独歩の『武蔵野』のモデルとなるほど寂れていた渋谷も、東京府下西南部へ向かう玉川電気鉄道や東京横浜電鉄、省線山手線や東京市電、市営乗合自動車などの集まるターミナルとしてめざましい発展を遂げてゆくことになりました。

豊多摩郡渋谷町は、1927(昭和2)年の東横線開通時には同郡内で人口がいちばん多く、1932(昭和7)年10月には東京市部に編入されて渋谷区になるほどでした。

東京横浜電鉄は、渋谷・丸子多摩川間の開通後の 1927(昭和2)年12月、渋谷駅2階に直営の「東横食堂」を開業します。これは、阪神急行電鉄が梅田駅で経営して成功をおさめていた「阪急食堂」を模範としてつくられたものです。これが好評を博したため、1929(昭和4)年5月には面積を拡大、同じ年の9月には目黒蒲田電鉄の目黒駅にも目黒東横食堂を開店するほどの成功をおさめます。また、食料品を中心に取り扱うマーケットを1931(昭和6)年2月に目黒駅、4月には渋谷駅1階に開業しました。

これらの業績が順調に推移したのを受け、当時、東京横浜電鉄の専務を務めていた五島慶太は、本格的な百貨店の建設を構想します。五島は「小規模の売店・食堂のみでは顧客に対して十分なサービスを提供することができない。発展を続ける東京西南部の玄関である渋谷に、いままで一つの百貨店もなかったのは、むしろ不思議であった」(『東京急行電鉄50年史』1973年)と考え、1932(昭和7)年の東京横浜電鉄の取締役会において、百貨店を建設することを決議しました。

そして、若手社員6名を大阪の阪急百貨店に10か月間派遣、建設方法や予算計画、商品戦略や仕入・販売方法、宣伝・サービス方法および店員採用・教育方法などについて詳細に調査させます。また、百貨店設置準備委員として任命された11名が、やはり阪急百貨店で、さらに綿密な調査・研究をしました。阪急百貨店は日本初のターミナルデパートであり、経営者の小林一三は五島慶太にアドバイスを送っていたといいます。

検討を重ねた結果、渋谷駅の立地を生かすためには、従来の百貨店(三越や高島屋など)が取り扱っていた呉服をはじめとした高級品よりも、日用品や食料品を中心としたほうがよいことがわかり、それが経営上の方針に。店舗の建設は1934(昭和9)年10月25日に竣工、11月1日に、私鉄直営としては東京初の本格的なターミナルデパートである東横百貨店が開店、営業を開始するに至ります。

東横百貨店は鉄道利用者をターゲットにし、食料品や洋品、雑貨、文房具などの品ぞろえを充実させました。しかも年中無休で午前9時から午後9時まで営業。店内には食堂や理髪店、写真室、プレイガイド、お買い物相談所、さらには屋上に遊戯施設を備えた、買い物も娯楽も包含した施設だったのです。

開店時に五島慶太は挨拶で次のように述べています。

此の東横百貨店は、只今申上げた様に一つのサービスを目的として生まれたものでありますから、良品廉売、誠実第一を店の標語とし、経営するつもりであります。

『東京横浜電鉄沿革史』東京横浜急行電鉄、1943年より。

東横のれん街の誕生と発展

華々しくオープンし、世間の注目を集めた東横百貨店でしたが、まもなく日本は戦時体制に突入。戦時中は他の百貨店と同じく、通常営業することはできませんでした。

戦後、本格的に営業を再開した東横百貨店で特徴的だったのが「東横のれん街」です。東横のれん街は 1950(昭和 25)年「有名食品街」の構想立案を契機に、翌1951(昭和26)年から東館で営業を開始しました。当初の参加店舗は泉屋東京店、入船堂、榮太樓、小倉屋山本、菊廼舎、玉英堂、コロンバン、志乃多寿司、清月堂、玉木屋、ちとせ、梅林堂、花園万頭、味の浜藤、麻布文明堂の15店です。「東横のれん街」の名前もこの時につけられました。現在でも営業を続けている店舗もちらほら。

「のれん」といえば老舗、あるいは名店の証明。それが一堂に会するのですから、百貨店側も店舗側も思い切った売り場だったといえるでしょう。そして、東横のれん街は多くの人の期待を集め、それに応えました。

東横のれん街オープン当時の様子

のれん街の成長とともに、店舗数も着々と増加します。
のれん街でわたしの印象に残っているのは、1989(平成元)年に入店した洋菓子店「銀のぶどう」です。入り口に近く、またJR渋谷駅のハチ公口や京王井の頭線から東口方面に抜ける際に通ることも多い場所でいつも行列していました。その行列が目当てにしていた「秀くりぃむ」は現在販売されていませんが(銀のぶどうも退店)、クリームぎっしりで大満足の一品だったことをよくを覚えています。まさしく思い出の東京、都会の味のひとつ。

そのほかにも、和洋菓子店で手土産や自分へのご褒美を買ったり、お弁当やお惣菜を買ったりするなど、のれん街はいつでも楽しい、食のワンダーランドのような場所でした。

東急フードショーのオープン、そしてのれん街の移転

一方で、東急東横店は2000(平成12)年4月「東急フードショー」をオープン、こちらはのれん街とは異なる新しさやおしゃれさが魅力的。もちろんよく利用しています。のれん街とフードショーの両方がある東横店に、死角はないとさえ感じるほどです。

東急百貨店東横店といえば忘れてはならないのが「東横ハチ公」(c)東横ハチ公

しかし、渋谷駅と周辺の再開発にあたって、東横店が順次閉館することを知ります。その口火を切るのが東横店の礎ともいえる東館ということで、「もうのれん街はなくなってしまうのかな」とさびしく思いました。

閉店直前の東急百貨店東館(2013年)

しかし、それはうれしい勘違いでした。
2013(平成25)年3月に東横店東館閉館とともにのれん街はいったん姿を消しますが、翌4月からは渋谷マークシティの地下1階に移設して営業を開始したのです。

現在の東横のれん街(写真提供:東急百貨店)

東急フードショーと東横のれん街は地下でつながりました。あたらしいのれん街のかっこいい「の」の字入りののれんは、新時代の幕開けを感じさせてくれるよう。店舗のラインナップは変わらず「のれん」の重みのあるもの。いわばオーソドックスですが、反対にそれがとても安心感を生んでいるような。そんな心安らぐ場所であり続けてくれる東横のれん街が大好きでした。

昨年(2019年)の11月1日、渋谷スクランブルスクエアがオープンしました。東館の跡地です。そのなかにできた「東急フードショーエッジ」と名付けられたフードフロアはとても魅力的で、うっとりするほどでした。しかし、東急東横店は新オープンしたビルと入れ替わるように、2020年3月末で閉店することが決まっていたのです。1934(昭和9)年の開店から86年目。100歳まで生きてほしかったという気持ちもありますが、これもあらがえない時代の流れです。進化する渋谷の街に期待したいと思います。

2020年3月 東京東横店が閉館! 「思い出」を見たり書いたりできるイベントも

しかし、終わりはやってきました。2020年3月末日でついに残っていた西館と南館が閉館、東急百貨店東横店は85年の歴史に幕を降ろします。

東急百貨店東横店南館(2020年お正月)

現在「85年の総決算」セールを開催中の店内では、「東横デパートの思ひ出展」を行っています。ここにはこれまでの歴史をしのばせるチラシや模型、かつて渋谷の空を飛んでいたという子ども用ロープウェイ「ひばり号」のレプリカが置かれ、当時を懐かしむ人などで賑わっていました。

展示会場でひばり号の模型を見た若いかたからの「これがデパートの上にあったとはびっくりした。新しい発見があった」という声の一方で、当時を知るかたからの「ひばり号に実際の乗った」「むかし両親に連れてきてもらった」といった声もあるそう。みなさん、それぞれ思い出を楽しそうにお話されているとのこと。

「東横デパートの思ひ出展」会場。

また、会場に置かれた以前の渋谷駅を模したジオラマを見て当時の思い出がよみがえる人も多く、好評だとか。「自分の人生と重ねあわせてご覧になられていらっしゃるのではないでしょうか」(東急百貨店広報)

「#東横デパート閉めるってよ」サイトトップ

また、特設サイト「#東横デパート閉めるってよ」を開設。ツイッターのハッシュタグ「#東横デパート 閉めるってよ」で思い出メッセージを募り、抽選でオリジナルグッズをプレゼントしているほか、東横店に関するコラムを読むことができます。サイトやツイッターでみなさんからのさまざまな声を見てみてください。

移転オープンするあの売り場 東横百貨店の遺伝子は生き続ける

ついに閉まってしまう東横店ですが、実は続きが用意されていました。

東急フードショーは4月1日から「渋谷 東急フードショー」に改名。既存のスペースに加え、7月からは現在東横のれん街のある渋谷マークシティ地下1階に2020年7月に拡大オープンする予定です。渋谷スクランブルスクエアにできた「東京フードショーエッジ」とあわせての展開に大いに期待できそう。

では「東横のれん街」は?ついになくなるの?
ご心配ありません。東横のれん街」は、元々の発祥の地でもある渋谷エリア東側・東横線渋谷駅に隣接する形で、新たな「東横のれん街」として生まれ変わるんです!

あたらしい東横のれん街は、4月16日に、渋谷ヒカリエ ShinQsのフードフロア(地下2階・地下3階)に、「東横のれん街」と「渋谷ヒカリエ ShinQs」フードを再編した新たな「東横のれん街」としてオープン予定です。これまでつちかってきた「伝統・格式・信頼」。そして渋谷ヒカリエ ShinQsが、2012年のオープン以来、新たな渋谷の食品マーケットとして生み出してきた「高感度・話題性」。それぞれの強みを掛け合わせ、今のマーケットに適したフードフロアを実現するとのこと。聞いていたらなんだかワクワクしてきました。

また「老舗名店から最旬ブランドまで、幅広いグレード・感度のラインナップを充実(ブランド数の大幅増)」「各ブランドによるマーケットに合わせた新たな開発商品(新定番商品)を発信」「イートインコーナーの設置や即食フードを充実、時代性に合わせた新たな取り組み」を目指すといいます。すでに100店舗の出店が発表されており、幅広いラインナップはとても期待できそう!

オープンしたばかりの渋谷ヒカリエから見た銀座線。東急百貨店の中にあった渋谷駅に吸い込まれていく。銀座線渋谷駅も移転し、この風景はもう見られない。

東急百貨店東横店の閉店で、渋谷からはターミナルデパートがなくなってしまいます。そのことはさびしくもありますが、街の変化に別れはつきもの。スクランブル交差点から見る建物(西館)の風景は渋谷を象徴するものでしたから、いまのうちに目に焼きつけておこうと思います。
東横店は閉店しますが、のれん街は東横百貨店以来のの遺伝子を受け継いであらたに展開してゆきます。今後も脈々と続くその系譜を、おいしくいただきながら見守りたいもの。
別れはやっぱりさびしいけれど、わたしはこの街とこの百貨店が好きです。

※取材協力:東急百貨店。本文中の画像の無断転載はご遠慮ください。

# 東横デパート 閉めるってよ

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