三代目 尾上左近(おのえ・さこん)
屋号は音羽屋(おとわや)。2009年10月歌舞伎座『音羽嶽だんまり』の稚児音若で藤間大河の名で初お目見得。2014年6月歌舞伎座『倭仮名在原系図(やまとがなありわらけいず)』蘭平物狂の一子繁蔵で三代目尾上左近を名のり初舞台。父は四代目尾上松緑。
固定されたら芸もおわり。歌舞伎の化粧
左近さんが「驚いた」拵えは、『春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)』の静御前です。
『曾我物語』の題材となった曽我十郎・五郎兄弟と、『義経千本桜』に登場する静御前。人気のキャラクターが作品を超えて共演する舞踊で、左近さんは静御前を勤めました。
「赤姫と呼ばれるお姫様の衣裳です。この拵えで舞台中央に立つのは初めてで、掛け(打掛)が重くて踊りにくくて、こんなにも辛いものなのかと驚きました。静御前は義経の愛妾です。女方さんはこれを年中着ているなんてすごいものだ、と思ったことを覚えています」
左近さんは、「紀尾井町」の呼び名で親しまれる尾上松緑家に生まれました。お父さま、お祖父さま、曾祖父さまも、立役で人気の歌舞伎俳優です。女方のお化粧はどのように学び、仕上げたのでしょうか。
「自分でも研究しますが、静御前の時は中村種之助のおにいさんに見ていただき、こっちの方がいいかも、など教えていただきました。舞踊『四季』で女方をやらせていただいた時は、他の演目に出演されていた坂東玉三郎のおにいさんの楽屋へ伺い、イチから顔をする様子を後ろから見学させていただきました。化粧には決まり事もありますが、皆さん手順も道具も本当に様々です。そして皆さんそろって“最後は好みだから”とおっしゃいます」
化粧をすることを、「顔をする」と言います。
「僕は自分に自信があるタイプではありません。でも舞台には、自分は美しいでしょう? という気持ちで立たなくてはいけません。だからこそ顔をするのは好きなんです。女方に限らず、化粧は丁寧に綺麗にやりますしその時間が好きなんです。2023年の俳優祭では、尾上菊五郎のおにいさんにみていただき『車引』の桜丸の隈取をとりました。気持ちが引き締まるものでした」
歌舞伎の本興行は、1公演が約25日間続きます。1ヶ月の中で化粧も変わっていくのだそう。
「静御前の枠組みから外れない範囲で、千穐楽までにもっと良くしていきたいという気持ちから、化粧は毎日変わっていくんですよね。変えすぎてよく分からなくなるときもあるくらいです(笑)。『化粧が固定されて化粧が止まっちゃったら芸の上達も止まるよ』という言葉を聞いたことがあります。この言葉をきっかけに、化粧も芸のうちと考えるようになりました。化粧の時間は唯一楽しい時間かもしれません。舞台より楽しいくらいです。でも出来あがった自分の顔を見て、結局また落ち込むんです(苦笑)」
こいつぁ春から縁起がいいわぇ
そんな左近さんが、11月の歌舞伎座で出演しているのが、『三人吉三(さんにんきちさ)』というお芝居です。お嬢吉三という役で、“お嬢”と呼ばれますが実は男性。お嬢さんの姿で相手を油断させて盗みを行います。
「この役が持つ中性的な面に昔から惹かれていました。大川端(おおかわばた)の場面では女として舞台に出て金を盗みます。女性の衣裳で男として見せないといけません。振袖で立ち回りもしますし、女方では絶対にしない男性的な動きもあります。そこも楽しんで見ていただけたらうれしいです。尾上菊五郎のおにいさんに教えていただいているのですが、『あの衣裳は楽そうに見えるけど滑るから気をつけてね。立ち回りはしっかりと腰を入れないと危ないぞ』など教えていただきました」
この作品は、七五調(しちごちょう)と呼ばれるメロディアスな台詞回しも有名です。「こいつぁ春から縁起がいいわえ」の名台詞も、お嬢吉三の台詞として登場します。
「菊五郎のおにいさんのお嬢吉三はヒールな感じで、その抜け感や色気が魅力です。僕の中でお嬢吉三と言えば尾上菊五郎のおにいさんなんです。でも今、まだ芸も未熟な僕がお嬢をやらせていただくなら、抜け感は意識せず自分の年齢でできる事を全力で。教えていただいたことをハッキリ、しっかりやらせていただきたいと思っています」
左近さんにとって、音羽屋(おとわや)のトップとして長年けん引してきた菊五郎は憧れの存在。しかし「菊五郎さんに憧れているのですね」とあらためて聞くと、左近さんは「はい」と頷き、一瞬考えてから答えました。
「特に“昭和の三之助”が大好きなんです」
“昭和の三之助”とは、市川新之助(十二世市川團十郎)、尾上菊之助(現・菊五郎)、尾上辰之助、3人のスター俳優の通称です。その一人「辰之助」は、1984年に40歳という若さで世を去った左近さんの祖父にあたります。
「あの世代の先輩方の雰囲気、空気感に憧れています。決まりもの(古典の型や決まりがしっかりとある演目)は本当にがっちりとやり、世話物で決まりがないところは今の時代では怒られてしまいそうなくらいにふざける(笑)。祖父は早くに亡くなってしまいましたからその空気感を映像でしか僕は見たことがありませんが、あの時代に3人揃っていたからこそのものがあったような気がします」
立役の家に生まれ、女方での大抜擢
9月、左近さんは坂東玉三郎さんに抜擢され『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 吉野川』で女方の雛鳥という大役を勤めました。10月は立役と女方、11月は女装の立役、12月は江戸っ子の立役、そして1月は『新春浅草歌舞伎』で立役と女方の両方の役が決まっています。立役の家系でありながら女方での大抜擢。そこに迷いはなかったのでしょうか。
「今でも迷っています。父が僕の歳の頃には僕より背が高く身体もしっかりしていて、骨太な荒事の立役ももうやっていました。祖父や曾祖父もきっとそうです。もし僕も同じように生まれていたら、今のような迷いはなかったはずです。でも舞台の上で、実際よりも体を大きく見せるのも歌舞伎役者としての技、それも含めての柄だと思うので。代々受け継がれてきたものを守るのは歌舞伎役者の使命だと思っていますし、紀尾井町(尾上松緑家)の役者ですから六代目菊五郎から曾祖父、祖父、父に受け継がれてきた荒事、生世話(きぜわ。世話物とよばれるジャンルの中でもより写実的な描写のお芝居)の立役は憧れです」
そんな左近さんを、父の言葉が支えます。
「父から“お前の柄なら、家になかった役もできるだろう”と言ってもらいました。曾祖父や祖父が“新しいこともやっているな”と見てくれていたらうれしいです。僕にこの役を、と考えてくれた方、役を教えてくださる先輩方の期待を裏切りたくないし、“僕は自分の今の体型を考えて女方になりました”とは絶対に言いたくありません。今は、立役も女方もやらせていただけているこの状況がとてもありがたいです」
思いを語る声や表情は明るく、歌舞伎俳優であることに迷いはありません。
「同世代や少し上の皆さんほど真っすぐに、歌舞伎が好きです! と言えるかというと実はそうでもなくて。もちろん好きですし、一生続けていくことに迷いはありません。でも畏れもあって、心の底から大好きだと今は言えません。小さい頃から緊張しぃで、楽しんで舞台に立つことが苦手でした。でも代々を応援してくれているお客さん、僕を応援してくれた人たちへの期待に応えたい、失望させたくない気持ちが一番にあります。今はとにかく基礎となる古典をやる。立役も女方も、いただいた役を精一杯やる。それを続けていくこと以外、今はまだ分かりません。“今は”ばかりになってしまいますが、今はそれが答えかなと思います」
尾上左近さん出演情報
十一月歌舞伎座特別公演
ようこそ歌舞伎座へ
Welcome to Kabukiza
2024年11月1日(金)~23日(土・祝)
会場:歌舞伎座
『三人吉三巴白浪』お嬢吉三
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/881
十二月大歌舞伎
2024年12月3日(火)~26日(木)
会場:歌舞伎座
第二部『加賀鳶』昼ッ子尾之吉
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/882
新春浅草歌舞伎
2025年1月2日(木)~26日(日)
会場:浅草公会堂
第1部『絵本太功記』佐藤正清
第2部『春調娘七種』曽我五郎
『絵本太功記』初菊
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/play/915
歌舞伎座公演情報
松竹創業百三十周年記念 壽 初春大歌舞伎
2025年1月2日(木)~26日(日)
会場:歌舞伎座
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/921
三大名作一挙上演
2025年3月 通し狂言『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』
2025年9月 通し狂言『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』
2025年10月 通し狂言『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』
会場:歌舞伎座
https://www.kabuki-bito.jp/news/9075