とにかくチームの役に立つ人でいたい
前回は、高校時代のお話をさせていただきましたが、所属していた陸上部の話をもう一つさせてください。
私は陸上部の中でも長距離のチームでキャプテンを務めていました。伝統的に非常に強い高校で、中学時代に京都や大阪の府代表チームに選ばれたような選手が集まっていました。陸上競技においてチームメイトは時にライバルでもあります。私もキャプテンとして人一倍練習を重ねていましたが、冷静に「限界」を感じている自分もいました。「自分はトップにはなれない」と。
選手として一流になりたいしそのために練習してはいるけれど、おそらく自分は一流にはなれない。そう実感した時、このチームの中で自分はどういう”キャラクター”であるべきか、どういう立ち位置にいればチームに必要とされる人間になれるかを、ものすごく真剣に考え始めたのでした。
みんなが幸せを感じるには、良いチームを作りチームで結果を出していくこと。とにかくチームの役に立つ人でいたい。そのために、自分は「ムードメーカー」のようになれるかもと思い、みんなを支える人になるべき——という考えに行き着き、行動し始めたのもそのころでした。チームにマネージャーはいたのですが、自分はサブマネージャーのような役回りで、キャプテンでありながらも、チームのみんなのケアをとにかく心がけました。たとえば、元気がなさそうな人がいたら声をかけたり、みんなが楽しくなるような話をしたり…とはいえ、いわゆる「天然」なところも私は少しあって、自分がおもしろいとは思っていなくても、みんなが自然に笑ってくれることも多々ありました。
そんなチームづくりをみんなで続けていけたことが、高校総体の都道府県大会で優勝し続けられた所以だと思っています。
自分は何を未来へ伝えていくべきか
そういう役回りの中で、自分の特性や性格、長所と短所を自然と自覚するようになった気がします。その意味で、高校時代の経験は非常に今に生きるものでした。この着物という世界でお仕事をさせていただいていると、ここで自分はどんな役回りに徹したら着物業界全体にとって良いのだろうか、自分は何を未来へ伝えていくべきかということをよく考えます。そんな考え方は、陸上部時代に自問していたころとまったく同じだと感じます。
春にはお寺の廊下の上をはらはらと桜が舞い、夏には青々とした苔の上を朝露が光りを放ち、秋には眩しいほどの月光が闇夜を照らし、冬には白砂が雪化粧をして魅せて、そのどんな時も想像を超えて美しく、四季の移ろいと共に心洗われる景色をみせてくれる禅寺に生まれ育ち、その中でお坊さんの衣やお客様の着物の美しさに魅了され、その所作に宿る心の美しさに感銘を受け続けてきました。
袂にそっと手を添えて、大切なものが人から人へ送られる心遣い。お草履を綺麗に揃えて下座に丁寧に置き、人や場に畏敬の念を忘れないこと。着物を着て音を立てずに静静と歩く美意識。風呂敷に丁寧に包まれたものを、お渡しするおもてなしの心。
幼少期から肌で感じてきたそんな日本の稀有な美意識やこころを着物文化を通して未来へ手渡すこと。
その伝え方には、私にしかできないことがあるのではと、今強く感じています。若かりしころ人生の道に彷徨って、何を選択すればいいのかわからなくなった時に、「着物と生きる」という道を選んだ事で、私のモノクロだった人生が色鮮やかに輝きはじめました。
禅という世界にある「引き算」の美しさ、そこから生まれる「余白」の豊かさ。それらに導かれるように進むべき道を考えてきました。
心に余白があるということは、私にとって穏やかな日々を紡ぐためにとても良い状態です。余剰を削ぎ落とし、自分にとって必要なものが自然と浮き彫りになる、未来への道筋がすっと引かれていく感覚があります。生まれ育った場で肌で感じてきたかけがえのない日本特有の美を着物を通して、未来へギフトするという挑戦を、これからも続けていきたいと思っています。