その一、たとえ時間が余っていても
尊蔵(そんぞう)と円明(えんみょう)のふたりは、堺の津田宗及(つだそうぎゅう)と夜咄(よばなし)の約束をしていました。当日、尊蔵は「夜の茶会まで時間があるから、今のうちにちょっとだけ利休の茶をのぞいてくる」と出かけたのです。
尊蔵が訪ねると、利休はご馳走(ちそう)でもてなしてくれましたが、一向に終わる気配がありません。やっと解放されて宗及の家に着くと、「茶会はすでに終わりました」と一切取り合ってもらえませんでした。
利休は「茶会に招かれている者が、時間が余っているからといって、他所(よそ)に出かけるなどもってのほかだ。茶人の修業としての第一歩を誤っている」ということを教えるために、わざと尊蔵を手間どらせたのです。
●「夜咄」 冬の夜に、灯火を使って催される茶事。
その二、自然から「風情」を演出する
朝茶に招かれた利休。露地(ろじ)は昨夜の風で椋(むく)の葉が散り積もり、さながら山中の林の道を歩くようでした。利休いわく「これはなんとも面白い。風情があることだ。けれど今日の亭主は巧者ではないから、落ち葉を掃き捨ててしまうでしょう」。
その言葉どおり、中立(なかだち)のときに一枚残らず取り除かれていました。そして利休はこうも述べました。
「露地の掃除は、朝の客であれば前の晩に、昼の客なら朝に行うもの。それ以後はたとえ落ち葉が積もっても、そのままにして掃かないのが巧者というものです」
●「中立」 茶事で初座(しょざ 前半)と後座(ござ 後半)の間にあたる休憩のこと。そのとき客は露地にある腰掛待合で待つ。
その三、最も美しく朝顔を見せる
利休の庭に、朝顔が見事に咲いているとのことで、秀吉は楽しみに出かけました。ところが庭には朝顔がまったく見当たりません。興ざめな思いで茶室に入ったところ、色も鮮やかな一輪だけが床の間に飾ってあったのです。秀吉は上機嫌になり、利休はたいそうな褒美を頂戴しました。
※12のエピソードは、『長闇堂記(ちょうあんどうき) 』『茶道四祖伝書(ちゃどうしそでんしょ)』『茶話指月集(ちゃわしげつしゅう)』『源流茶話(げんりゅうちゃわ)』『南方録(なんぽうろく)』『茶窓閒話(ちゃそうかんわ)』『松風雑話(しょうふうざつわ) 』といった昔の茶書の現代語訳を参考にして作成しました。
※本記事は雑誌『和樂(2022年12・2023年1月号)』の転載です。
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