現代のように、動画やアニメーション技術がなかった時代、「動き」は静止画の中でどのように表現されたのでしょうか?江戸時代の絵師、曾我蕭白(そがしょうはく)とイタリアの未来派画家、ジャコム・バッラの作品を題材に、表現方法とその歴史について藤原えりみさん(東京藝術大学美術研究科修士課程修了、専攻 美学。女子美術大学・國學院大學非常勤講師)が考察します。
左 曾我蕭白 『風仙図屏風』 江戸時代1764(宝暦14年 明治元年)年ごろ 155.8㎝×364㎝ 六曲一双 紙本墨画 Fenollosa-Weld Collection,11.4510 Photograph©︎2017 Museum of Fine Arts,Boston
右 ジャコム・バッラ 『鎖に繋がれた犬のダイナミズム』 1912年 油絵・カンヴァス 95.6㎝×115.6㎝ オルブライト=ノックス美術館蔵 DeA Picture Library アフロ
動きを捉える
藤原えりみ・文
動いている最中の動物や人間、または大海の波や風などを、どのように平面上で表現するか、これは、洋の東西を問わず古来絵師や画家にとって重要な課題であっただろう。たとえば古くはラスコーの壁画。地響きをたてて疾走するかのような野牛や野生馬は迫力満点だ。また、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、飛行中の鳥の翼や水流の動きの瞬間瞬間をとらえ、そこに働く力学を見極めようとした画家もいる。
ところが、19世紀前半に写真が発明されると、画家の観察眼には限界があることが判明する。フランスの画家ジェリコーが描いた競馬馬の歩様が、コマ撮りされた実際の馬のそれと異なっていたのだ。つまり画家の眼は「科学的には正確でない」ことになるのだが、それでも彼の描く馬は躍動感に満ちている。科学的な正確さなどという非芸術的(?)な判断基準と、絵画的イメージの説得力とは別ものなのだろうか、と考え込んでしまう。
さて、そこで。動きの表現といえば、空前絶後の独創性を発揮した絵師がいる。江戸時代中期に活動した曾我蕭白。なかでも『風仙図屏風』の左端の黒い渦。
容貌魁偉(ようぼうかいい)な人物や動物に奇怪な造形、毒々しいまでの色遣いで知られる、「奇想の画家」のひとり。本作は墨1色だが、闊達な運筆と墨の濃淡の巧みな使い分けが見どころ。もっとも濃い墨で渦を太々と描き、人物や植物などは、墨の濃淡を活かした繊細な筆遣いで描かれている。男たちの奇矯な表情とポーズに比して、事態を冷静に眺めているかのような右端の兎が可愛らしい。
中央の剣を持った男性が池に棲む龍を退治した場面のようなのだが、龍の姿はどこにもない。その代わり真っ黒な太い渦が空中に向かって伸び上がっている。ということは……この黒い渦は一目散に退散する龍の動きの痕跡ということになる。龍はよほどの勢いで逃げ出したのだろう。中央の男の衣服は激しく乱れ、2人の男が突風になぎ倒されている。眼では捉えられない「速度」を、これほど大胆なやり方で視覚化した例が蕭白以前にあるだろうか…(『鳥獣人物戯画』の『放屁合戦』のように見えない屁を線で表した例はあるにしても)。
同じく黒で動きをとらえた作品に、20世紀の未来派の画家バッラの絵がある。小型犬特有のちょこまかした足の動きが感じられて微笑ましいが、賛否両論を巻き起こしたというから、当時は斬新な試みだったのだろう。
20世紀前半にイタリアで展開した未来派は、機械化する近代社会を肯定的にとらえ、ダイナミックな機械の動きや運動速度を賛美した。その代表的な画家の1人であるバッラは、動感を呼び起こす形態や画面構成を通して絵画に時間的要素を取り込もうとした。この作品では、犬の脚だけでなく飼い主の靴、鎖までぶれた状態で描かれていて、複数のものの時間が巧みに畳み込まれている。
とはいえ、明らかに写真以後の「科学的な眼」による表現だ。蕭白の大胆な造形のなんとあっぱれなことか。