身にまとう衣服によって性の境界を乗り越えてきた歴史をテーマにしている展覧会があると聞き、浮世離れマスターズのつあおとまいこは、渋谷区立松濤美術館に出かけました。展覧会名はズバリ「装いの力―異性装の日本史」。江戸時代のある時期から男だけで演じるようになった歌舞伎役者を描いた浮世絵など想像していたもののほかにも人形、着物、錦絵新聞などの多くの展示物を見て、二人は感心しきり。「自分の本質的な性の追究もあるのだろうけど、ひょっとすると、美しくなりたい、強くなりたい、かっこよくなりたいという“変身願望”の表れという側面もあるのでは?」とつあおが言うと、「装いもさることながら、お化粧をするということも、実は男女ともに理想的な姿に変身したいという願望の表現なのかも」とまいこが答えます。
えっ? つあおとまいこって誰だって? 美術記者歴◯△年のつあおこと小川敦生がぶっ飛び系アートラバーで美術家の応援に熱心なまいここと菊池麻衣子と美術作品を見ながら話しているうちに悦楽のゆるふわトークに目覚め、「浮世離れマスターズ」を結成。さて今日はどんなトークが展開するのでしょうか。
江戸文化の豊かさが現れた若衆の絵
つあお:葛飾北斎が描いたこの肉筆作品、どう思いますか?
まいこ:色白で切れ長の目におちょぼ口。繊細な感じ。典型的な江戸の美人に見えます。
つあお:首をかしげている。恋文をどう書くかを悩んでいるのかな?
まいこ:女性らしい! 美人ほくろも見つけました!
つあお:おお! 着物の柄はあまり派手ではないけど、よく見ると花がちりばめられていて、なかなか美しい。
まいこ:ほんとだ。梅の花柄のような模様が金色で緻密に描かれている。高そうな着物ですねえ。
つあお:広がった着物とかしげた首が作る造形美は、さすが北斎! っていう感じです。
まいこ:頭頂部の青い部分は何なんでしょうね?
つあお:おお、何だろう? ひょっとしたら剃ってるのかな?
まいこ:もしかしてこの人は???
つあお:この絵、タイトルを見ると「若衆(わかしゅ)」って書いてあります。
若衆=
1 年若い者。若者。若い衆。
2 美少年。特に、男色の対象となる少年。ちご。
「ほれた—と参会の夜」〈仮・犬枕〉
3 江戸時代、元服前の前髪姿の少年。
「さもいつくしき女房たち、又は—も打ち交じり」〈仮・恨の介・上〉
4 男色を売る男。また、歌舞伎役者で、舞台をつとめるかたわら男色を売った者。歌舞伎若衆。歌舞伎子。陰子(かげこ)。色子。
「堺町の若女形、瀬川菊之丞といへる—の色に染められて」〈根無草〉
(出典=小学館「デジタル大辞泉」/Weblio辞書)
まいこ:なんと! 男子なんでしょうか?
つあお:そう言われてみると、男子っぽく見えてきました。女子なら青い剃りが頭に入っていることは、あまりなさそうだし。
まいこ:でも、ものすごく華奢な感じ。
つあお:じつは、着物の中はムキムキだったりして(勝手な想像です)。
まいこ:いわゆる「細マッチョ」ですね。聞くところによると、若衆は男性でも女性でも引き受けたそうじゃないですか。
つあお:なるほど。美しい人は万人に愛されるのですね。考えてみたら、今の世の中でも、女性に人気のある女性は当たり前にいますし。
まいこ:この時代は、自由に性を行き来する方々がいっぱいいらっしゃったのかな?
つあお:おそらく、江戸の町ではすごく多様な文化が栄えていたから、その豊かさの一環だったんじゃないでしょうか?
まいこ:絵の中の彼も女性らしさを日々研究して、一番素敵な振る舞い方を実践してるみたいで楽しそう。
つあお:女性に変身するのって、楽しいことだと思いますよ。
まいこ:えっ?! つあおさんにもそんな願望が!!
つあお:たわくし(=「私」を意味するつあお語)の場合は、思い切りの悪い性格なのでなかなか実現できないのですけど、美しく華やかな世界への憧れにはすごく共感できます。
まいこ:それは「変身願望」なんでしょうか?
つあお:だって、誰しも美しくありたいと思うじゃないですか。スポーツ選手だってヴァイオリニストだって、一流の人々は男女関係なく所作も格好も美しい。憧れます。
まいこ:はたして、それは異性である必要があるんでしょうか?
つあお:なかなか異性になるのは難しい。だからこそ、ちょっとでもなってみられればとは思うなぁ。若衆が着たんじゃないかと考えられるこの友禅染の着物は振り袖なんだけど、「端午の節句」を意識した菖蒲柄。美しいですよね!
まいこ:うわぁ。これはいいですね! つあおさん、ぜひ着てみてくださいね!
つあお:まずは夢の中で!
まいこ:けっこう似合って、 はまっちゃうかも?! (笑)
マリリンの理想美を表現した森村泰昌の変身
つあお:この展覧会、現代の表現までカバーしているところも面白いですね。
まいこ:森村泰昌さんのマリリンにはミステリーを感じます。どんな現象なのでしょうか?
つあお:森村さんが制作した「セルフポートレート」シリーズで女優のマリリン・モンローを演じた作品のことですね。これを見てすごいと思うのは、まずはどう見てもマリリンに見えちゃうってことかな?
まいこ:森村さんが表現しているのは、あの有名な、地下鉄の通気孔から吹き上がる風でスカートがめくれあがるシーンですね。
つあお:『七年目の浮気』(1955年製作、米映画、監督:ビリー・ワイルダー)に出てくるシーンですね。たわくし、実はその映画を見たことがない。でも、すごくよく知っています。あのシーンがまぶたの裏に焼き付いている人は、今でも多そう!
まいこ:この作品からは、森村さんの女装願望というよりは、マリリン自身の願望のほうが強く感じられます。
つあお:ほぉ! どういうことですか?
まいこ:私はマリリンの伝記映画を見たことがあるのですが、彼女はもともと地毛がブルネットでこのようなルックスではなかったのだけど、スターになりたくて、髪をブロンドに染めたり歯を矯正したりしたということなんですよ。
つあお:そうなんだ!
まいこ:そのスター性のある理想的な女性美の部分を、森村さんがバッチリとらえて表現している感じがするんです!
つあお:そうか、森村さんは一種の美の極致を表しているわけですね。
まいこ:人工的だったとはいえ、マリリンには女性美の普遍性があったから、時代のアイコンになれたんだと思うんですよ。
つあお:ということは、マリリンが持っていた強い美人願望を、森村さんがすごい感性で捉えてこの作品ができたっていうことか。
まいこ:それはあると思います! 私自身も、マリリンのように、自分なりに理想的な美しさを表現したくなる気持ちはわかります。
つあお:まいこさんがマリリンになろうと思ったら、かなりの変身が必要そうですね。
まいこ:その指摘は鋭すぎます(笑)! まだ、オードリーのほうがやりやすそう。
つあお:うわぁ! たわくしは「オードリー・ヘプバーン大好き人間」なんです。映画『ローマの休日』でオードリーが演じたヒロインの相手の新聞記者役をやりたい! ぜひオードリーへの変身をお願いします。
まいこ:わかりやすいオーダーを、ありがとうございます!
つあお:実際、どうやったら変身できるんでしょうね?
まいこ:例えば、私は最近、化粧をしないと絶対出かけたくないという強いこだわりが自分にあることに気がついたんです。
つあお:そうか。そもそも化粧は変身願望の表れってことか。化粧というのは、長い歴史を持つ文化ですから、いろんな表現方法がありそうですよね。
まいこ:はい! それで私は、これまで異性装をしたいという願望にとりわけ共感したことはなかったのですが、 今回脱皮しました! 自分がこれだけこだわっている化粧も、 実は「理想美に近づきたい」という願望の表れで、異性装のそれと根本は同じなのじゃないかと、ふと思ったんです
つあお:そう言われてみると、最近男性でも化粧をする人が増えていると聞きます。
まいこ:化粧をすると、たとえば、目が垂れ目だったり小さかったりしても、雑誌で見た憧れの目に近づけることができるんですよ。
つあお:確かに、たわくしも、もうちょっと目が大きかったらよかったかなぁなんて思ったことはありましたよ。
まいこ:そうなんですね! 女性の場合、一般的に化粧でかなり実現できるんです。男性だからって、社会的に変だと思われちゃうのはちょっと気の毒。ジェンダー・アイデンティティに加えて、自分のありたい姿は、男女共に自由にできるほうがハッピーですよね。
つあお:とりあえずたわくしの個人的な変身術としては、女装ではないんだけど、もともとの一重まぶたを裏技で二重まぶたにしてみたり、ピンク色を基調に自分で描いたイラストをプリントしたTシャツを着たりしています。
まいこ:新しい変身術ですね!
つあお:「変身」ってやっぱり楽しいと思うんですよ。いつもの自分ではない姿に変身すると、新しい世界に飛翔できるような気がするんです。
まいこ:そう思います! 気のせいかもしれませんが、すっぴんで出た時とばっちりメイクで出た時とでは、男性の対応が違うような気がします(笑)。
つあお:たわくしの目には、まいこさんはいつも魅力的ですが…。ということは置いておいて、たわくしも、今教員として教えている大学では、自分で描いたイラストのTシャツを着て講義をしたときのほうが、学生の反応がいいです。
まいこ:「変身」にはいろいろな効果があるんですね! そして私の変身の罠(わな)に、つあおさんがきっちりかかってくれていることが今日わかりました (不敵な笑み)。
特別トーク:同人誌的絵巻がサントリー美術館にも登場!
つあお:ところで、「装いの力―異性装の日本史」展には1点、ものすごく破天荒なストーリーで描かれたモノクロの絵巻が出てましたね。ある女子が男装して帝(天皇)に仕えるんだけど、女子だってばれちゃった。ところが、結局は帝に寵愛されて子どもまで生んじゃう。そして…。どんどん思いも寄らない話が展開する。
まいこ:ありましたね! 日本の絵巻物ってすごいなぁと思いましたよ。
つあお:それでね、あれはどうもプロの絵師ではなくて素人さんが趣味で描いたものの可能性もあるらしいんです。
まいこ:へぇ! 絵巻物って漫画のルーツと言われているから、さしずめコミケとかで売っている同人誌みたいなものということになるのかな?
つあお:そうなんですよ。それでね。この展覧会に出ているのは絵巻の上巻のみで、サントリー美術館の所蔵品なんですが、なんとそのサントリー美術館の方で開催中の「美をつくし―大阪市立美術館コレクション」展では、下巻の内容も見ることができるんです。
まいこ:えっ! 大阪市立美術館には上下巻セットであったんですね!
つあお:両館の所蔵品は、別々の伝本(現在まで伝わっている写本や版本)だったようです。サントリー美術館の方がオリジナルか、さらにさかのぼって元の絵巻があって、それぞれ別々に写した可能性があるそうです。
まいこ:へぇ!
つあお:当時は写真なんてありませんから、また見たいとか手元に置いておきたいとか思って模写をするということがあったんでしょうね。素人さんにも絵が達者な人がいて、一生懸命模写をするわけです。
まいこ:なるほど。
つあお:それでね、素人さんが描いたと言っても、線描の感じなどはなかなか魅力的だとたわくしは思うんですよね。「見せる」というか「魅せる」というか。
まいこ:描くときの情熱がすごいんでしょうか。
つあお:破天荒な変身ストーリー、模写をした人はやっぱり熱中して描いたでしょうね! 禅僧が絵を描いたり、青物問屋の主人をしていた時代から絵を描いていた伊藤若冲のような絵師が存在したりする日本美術史には、アマチュアリズムが流れていることがあるなぁと時々思うんですけど、同人誌的な作品まであったとは驚きです。
まいこセレクト
この作品には、昭和初期にドレスアップした場合の女性らしい服装と男性らしい服装がわかりやすく描かれているように見えます。
今、自分が男装するとしたらどんなアイテムが必要なのかな? 黒いパンツとジャケットをセットで身に付ける? でも、現代は女性がただパンツとジャケットを身に付けただけで男装してるとは見られないでしょうね。女性用のパンツスーツも普通にいろいろと売っているし、制服になっている場合もあるし、もはや全然特殊ではないですね。この絵のように、パリッとした白いシャツをはだけて着て、黒い帽子をかぶったりすると多少は「男っぽい!」と思われるかもしれません。あとは、ネクタイをするとかでしょうか? 男性がスカートを履いていたら一発で「女装だ!」とわかるのに、ファッションの自由を謳歌(おうか)している現代日本の女性がいざ男装しようとすると、意外と難しいのだなと実感しました。
私が憧れる男装は、あまりにも有名ですがマレーネ・ディートリッヒのスタイル。あのころの男装の麗人は、シルクハットがシンボルマークだったみたいですね。そして優雅にタバコを吸ったりしていました。男装だけど女性としての色気もたっぷり。こんなスタイルで男性にも女性にもモテモテ状態になってみたい!
つあおセレクト
井伊直弼の次女、弥千代のために備えられていたものという。ただし、朱色を基調としているのは性別とは関係なく、井伊家の武具類の特徴。「井伊の赤備え」と言われる。
この甲冑は小ぶりで、こころなしか曲線的なデザインのようにも見える。厳密に言えば男装とは少し違うのかもしれないが、一般的には男の仕事だと思われる武将に「変身」するための象徴的な道具といえるのではないだろうか。
つあおのラクガキ
浮世離れマスターズは、Gyoemon(つあおの雅号)が作品からインスピレーションを得たラクガキを載せることで、さらなる浮世離れを図っております。
変身願望から着物を着た猫を描いたイラスト入りのTシャツを着るという、重層構造の変身願望が現れた姿を自撮りしたセルフポートレート作品です。トルソ(胴体だけの彫像)的な構図になっているところにも味わいがあります。
展覧会基本情報
展覧会名:装いの力―異性装の日本史
会場名:渋谷区立松濤美術館(東京・渋谷)
会期:2022年9月3日~2022年10月30日(展示替えあり)
前期:9月3日~10月2日
後期:10月4日~10月30日
※土・日曜日、祝休日・最終週は「日時指定予約制」
公式ウェブサイト:https://shoto-museum.jp/exhibitions/197iseisou/
展覧会名:美をつくし―大阪市立美術館コレクション
会場名:サントリー美術館(東京・六本木)
会期:2022年9月14日~11月13日(展示替えあり)
公式ウェブサイト:https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2022_4/index.html
参考文献
上野友愛『「新蔵人物語絵巻」 ふたつの伝本』(「美をつくし―大阪市立美術館コレクション」展図録収録論考)
西美弥子『「装いの力」の可能性ー日本の異性装の「これまで」と「これから」』(「装いの力 異性装の日本史」展図録収録論考)