坂本龍馬が活躍した時代に、同じ高知出身の天才絵師がいたのをご存知でしょうか?歌舞伎や浄瑠璃の場面を独特のタッチで描く作品は、ドラマチックで、スキャンダラスで、見る者を惹きつけます。「絵金さん」の愛称で親しまれ、今も高知各所の夏祭りで飾られる作品の数々。高知県外では半世紀ぶりの大規模展覧会が、大阪・あべのハルカス美術館で開催中と知り、出かけてきました。間近に見た絵金の魅力をお伝えします。
謎に包まれた絵金の生涯
絵金は文化9(1812)年、高知城下・新市町(現・はりまや町)の髪結の子として生まれました(異説もあり)。名前は金蔵で、後に「絵師の金蔵さん」の愛称として絵金さんと周囲から呼ばれるようになります。それだけ周囲に浸透して愛されていたのでしょう。
幼い頃から絵の才能があった絵金は、町内の南画家の手ほどきを受けた後に、土佐藩御用絵師から学びます。その後18歳で江戸へ遊学して、駿河台狩野派系(するがだいかのうはけい)の土佐藩御用絵師の下で3年間修行。帰郷後、土佐藩家老・桐間家の御用絵師となりますが、当時としては町人からの大出世でした。ところが、33歳の時に御用絵師の身分を奪われて、城下を追放される憂き目にあいます。贋作事件に巻き込まれたとの言い伝えもありますが、真相は謎のままです。
失意の後に描いた芝居絵屏風
城下を追われた絵金は土佐藩の各地を放浪した後、赤岡(現在の香南市)に住んでいたおばを頼って滞在していたと伝えられています。そこで絵金は旦那衆の求めに応じて芝居絵屏風(しばいえびょうぶ)を数多く残しました。江戸時代末期頃から、町の北部にある須留田八幡宮神祭(するだはちまんぐうじんさい)に奉納する目的で描かれた芝居絵屏風は、神祭の夜に氏子の店先に並べられたそう。蝋燭の灯りで妖しく浮かぶこの風景は、現在も夏の風物詩として愛されています。
あべのハルカス美術館・上席学芸員の藤村忠範さんは、「60年近く前に雑誌『太陽』で特集されたのがきっかけで、絵金は小説や舞台、映画になるほど一大ブームになったことがあるんですよ。1970年代に東京や大阪の百貨店で絵金展が開催されましたが、絵金の代表作を並べた大規模な展覧会は、高知県外では半世紀ぶりですね」と言います。
おどろおどろしくて惹きつけられる芝居絵屏風
絵金の芝居絵屏風は、歌舞伎や浄瑠璃で上演される物語のクライマックスの場面を描いています。絵の中から登場人物が出てきそうな勢いで、刺激的でありながらも陰湿さは感じません。
『伊達競阿国戯場 累(だてくらべおくにかぶき かさね)』では、過去に実の姉を殺害した与右衛門と、知らずに夫婦となった累(かさね)が描かれています。姉の怨念で醜く変貌したことを、鏡を見て知ってしまった累。頭から上がる炎は、その怨念を表しているのだとか。この後、誤解から嫉妬に怒り狂った累は、与右衛門に手前の鎌で殺害されてしまいます。
「絵金の傑作の1つと言われている作品ですが、構図が素晴らしいですね。弟子が同じ題材で描いていますが、やはり絵金の迫力には及びません」と藤村さん。また、絵金が描く作品は、おどろおどろしいだけではない魅力があると話します。
「『播州皿屋敷 鉄山下屋敷(ばんしゅうさらやしき てつざんしもやしき)』では、お菊が皿をなくしたと責められている場面を描いていますが、手前の男の着物をよく見てください。裃の背中には、男女の和合の紋が入っています。以前よりお菊に横恋慕している男の、下心を表しているのです。こんな風に遊びを入れている作品も多くて、ユーモアを感じますね」
なぜ残酷な場面を描いたのか?
絵金が描く芝居絵屏風は大人気となり、町絵師として成功を収めます。その一因は、歌舞伎や浄瑠璃を愛する土地柄だったからではないかと藤村さんは推測します。「天保の改革の影響で歌舞伎役者の巡業が禁止され、高知城下では芝居の興業ができませんでした。それでも地芝居は、高知郊外や土佐藩内の各地で行われていたようです」。
当時の住職・井上静照(じょうしょう)が書いた『真覚寺日記』を調査したところ、地元の有志で演じる地芝居に関する記述が多数出てきたそうです。また書いた住職自身も、浄瑠璃本(じょうるりぼん)※を借りてきて読み、そのあらすじを日記に書くほどの芝居好きであったのだとか。「安政南海地震の復旧作業時には、男女がそれぞれ揃いの浴衣を新調して行うなど、苦難の時も明るく乗り越える、お祭り気質が感じられます」
現在も度々歌舞伎で上演される「鈴ヶ森」は、前髪の美少年が襲いかかってきた、ならず者を切り倒し、その腕前に侠客(きょうかく)の男が感心するという場面です。絵金が描いた屏風絵では、ならず者たちの首や手が飛び、恐ろしさが際だっています。なぜこんな残酷な描写をしたのでしょうか? 「絵金はエンターテイナーだったのだと思いますよ」と藤村さん。なるほど、芝居好きな人たちを楽しませたい思いが、ここまでの描き方になったのかもしれません。
高知の夏祭りを再現した展示
絵金の芝居絵屏風を神社の夏祭りに飾る風習が、いつ頃から始まったのかは定かではありません。残された屏風の数から、江戸時代末期頃から相当流行したと考えられています。また、二つ折りの屏風以外にも、木枠に絵を張り込んだパネル形式のものも見られます。祭礼の展示方法も、「台提灯」や「絵馬台」と呼ばれる木製の台を組んで見せたりと、地区によって様々なのだそう。絵金亡き後も、弟子や孫弟子によって描かれた芝居絵を飾る文化が、各地で脈々と続いています。
今回、この夏祭りの様子を再現した展示があるのも特徴です。高く組まれた絵馬台を下から見上げると、まるで高知の夏祭りに参加しているような気分になりました。暗闇になったり、明るくなったりと、照明も工夫されていて臨場感があります。
拝殿風の「手長足長絵馬台」は、装飾が美しくて見応え十分。中央の「手長」「足長」の木彫は、中国古代の奇書を起源とする異国の神や妖怪のイメージで施されたものだとか。地元の宮大工によって造られたユニークな木彫は、芝居絵屏風と合わさって、独特の魅力を放っています。
ゆかりの地で見る『葛の葉(くずのは)子別れ』
歌舞伎や文楽の人気演目「葛の葉子別れ」は、親子の悲しい別れを描いた作品。信太(しのだ)の森に住む白狐は、人の姿と名を借りて恩人の安倍保名(あべのやすな)の妻となり子をなすが、正体が発覚して森へと帰っていきます。絵金が描いたのは、保名と共に葛の葉姫が、母を慕う子を必死に止めている姿です。白狐は葛の葉になりすましていたのですが、葛の葉はいきさつを知って、母親の代わりになろうと決意。一方の狐は、正体を現しながら狐火と共に飛び立つ姿が描かれています。
狐の切ない気持ちが伝わってくる芝居絵屏風ですが、絵金は歌舞伎や文楽が好きだったのではないかと、この作品を見て思いました。人間ではない異形の狐に対して、保名の葛藤や、他の登場人物の思いやりの気持ちが、この作品から感じられます。腕組みをして考え込んでいるのは、葛の葉姫と一緒に訪れた父の庄司。娘の行く末を案じつつ、狐の心情を思いやっているようです。歌舞伎や文楽では、狐の変身が見どころとなっていますが、その様子も忠実に再現して描いています。依頼を受けたから描いたというだけなら、ここまで細かく描写しなかったのではないでしょうか。
この子どもは後の安倍晴明で、阿倍野区にある安倍晴明神社は、誕生の地と伝えられています。境内には、晴明が生まれた時に使用された産湯の井戸が再現されています。
作品からにじみ出る人柄
幕末の激動の時代に町絵師として活躍した絵金は、65歳で亡くなるまで、芝居絵屏風だけでなく、美人画、年中行事絵、五月節句の幟、絵馬など多様な作品を描きました。晩年の作品『常盤御前図(ときわごぜんず)』は、病で右手が利かなくなった時期に、左手で描いたのではと伝えられています。牛若丸を胸に抱き、子どもたちを連れて逃避行する常盤御前を描いていますが、親子の温かい関係性が伝わる作品です。通常は悲しい場面として描かれることが多いのに、これが絵金の個性なのかもしれません。
「絵金が、恐らく子どもか孫のために描いた昔話の絵本が残されていますが、これは売り物ではなくて、家族のために作ったようです」と藤村さん。御用絵師の地位を奪われても、絵の技術1本で豊かな人生を送った絵金。怖くて恐ろしい絵からユーモアや温かみを感じる絵と、バラエティに富んだ絵金の世界は、一度入ると抜け出せない魅力が詰まっています。
幕末土佐の天才絵師 絵金
会期:2023年6月18日(日)まで
開館時間:10時~20時(月土日祝は、10時~18時)入館は閉館30分前まで
会場:あべのハルカス美術館(大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43あべのハルカス16階)
観覧料:一般1600円、大高生1200円、中小生500円
あべのハルカス美術館公式ウェブサイト https://www.aham.jp/
展覧会公式ウェブサイト https://www.ktv.jp/event/ekin/