ついこの間のこと。
包丁で軽く指を切ってしまった。
切ったといっても、人差し指の上皮部分のみ。「切る」よりも「触れた」の方が近いかも。でもなぜか、痛くないのに大流血である。自分でも、なんと、大層なと思ってしまうほど。
そして、ふと思う。
あれ?
我が家には包丁が3本あるのだが。いつも怪我をするのは、この包丁を使った時だけ。
この包丁って……。まさか、血が好きなのか……。
いわれてみれば。
刀剣の類に血なまぐさい話がついて回るのは、何も珍しいことではない。一度刀を抜くと血を見なければ収まらない刀とかなんとか。
一方で、そんな話が一切聞こえてこない、武勇伝なしの日本刀も。
そこで、今回は、なぜだか流血とは無縁の、あの方の愛刀をご紹介。
「越後の龍」でおなじみ、上杉謙信(うえすぎけんしん)の愛刀、「姫鶴一文字(ひめつるいちもんじ)」である。
じつは、コチラの刀。信じられないような話も語り継がれているのだとか。明治天皇もその魅力にハマった「姫鶴一文字」。早速、ご紹介していこう。
上杉謙信は刀剣マニアだった?
刀に魅せられる。そんな戦国武将の代表格が、上杉謙信(うえすぎけんしん)。
越後守護代、長尾為景(ためかげ)の子として生まれ、天文17(1548)年に、家督を継いで越後(新潟県)を統一。のちに、越中(富山県)、加賀(石川県)、能登(石川県)にまで勢力を拡大。武田信玄や北条氏康(うじやす)らと争い、あの織田軍にも「手取川の戦い」で快勝。寿命が長ければ、天下統一を狙えるともいわれた戦国武将である。
そんな上杉謙信の別の顔といわれるのが、刀のコレクター。かなりの愛刀家で、多くの名刀を所蔵していたとか。そして、この刀剣マニア癖を、家督と共にそのまま受け継いだのが、上杉景勝(かげかつ)。
上杉謙信の所蔵の品から、上杉景勝が鑑定して優品の刀35腰(こし、刀の数え方の単位の1つ)を選んでリスト化。その文書は残っていないのだが、別に、景勝自らが「秘蔵」として書き上げた文書がある。それが、コチラ。
「上杉景勝自筆腰物目録(うえすぎかげかつじひつこしものもくろく)」である。この中に、謙信が愛用した「姫鶴一文字」が記されている。
「御腰物書付
上ひさう(秘蔵)
一 くさま一もんし
一 ひめつる一もんし」
(東京帝国大学文学部史料編纂所編『大日本古文書 家わけ 十二ノ三』より一部抜粋)
上杉景勝が、自ら選定した名刀の名を書き連ねたものだが、数えると28腰ある。このうちの2番目に登場するのが「姫鶴一文字」である。
さて、この「姫鶴一文字」。一体どのような刀なのか。
どうらや、鎌倉時代中期の福岡一文字派の作といわれており、長さは71.8㎝、反りは2㎝。一般的に、刀の柄(つか)に入る部分となる「茎(なかご)」の上に作者の銘を彫る。「姫鶴一文字」も茎の上に「一」の銘が見て取れる。
その刀文(焼き入れによって刀身に生じた模様)は、華麗な丁子(ちょうじ)乱れ。丁子の実を連ねたような形に見えるというもの。焼幅に高低があり、変化に富んでいると評されている。そんな名刀ゆえ、国の重要文化財に指定され、現在は米沢市の上杉博物館に所蔵されている。
謎の姫が懇願する内容とは?
この「姫鶴一文字」を、どのようにして上杉謙信が手に入れたのか。その経緯は分からない。ただ、謙信がその美しさを気に入っていたのは事実。
謙信といえば。
ああ。あの「馬上杯」ね、ということで。大の酒好きだった謙信は、騎乗しながら酒が飲めるようにと「馬上杯」を作らせたのは有名な話。わざわざ持ちやすいように高台(こうだい、茶碗や鉢の底につけられた台部)を高くした杯である。
それと同様に。また、刀も騎乗しながら使えることを重視して選んでいたという。「馬上」仕様の杯と刀。いかにも謙信らしいではないか。ただ、そういう意味では、この「姫鶴一文字」は少し刀身が長すぎた。それでも構わず手に入れたのだから、相当気に入っていたのだろう。
長すぎれば、カスタマイズすればいいだけのこと。謙信は、早速、「姫鶴一文字」の刀身を切るように指示をする。
こうして、「姫鶴一文字」は、一時的だが、お抱えの研ぎ師の手に渡る。多くの刀を見てきた研ぎ師でさえも、見惚れるほどの美しさ。ここでも、魅了されてしまう者が一人。こんな美しい刀を自分の手で。そう思うと、やはりテンションは上がるもの。研ぎ師は興奮しつつ、明日の仕事を考えて床についた。
その夜。
研ぎ師の枕元に、1人の女性の姿が。
身なりからして、姫君のよう。しかし、一度も見たことがない女性である。どうやら、上杉家ゆかりの姫君ではなさそうだ。お決まりだが、流れる黒髪、白肌、切れ長の目。美女の条件が完璧に揃った姫君であったという。
研ぎ師が驚いていると。
美しい姫君の目元が濡れているではないか。よく見れば、涙を浮かべている。謎の姫君は、じいっと研ぎ師を見たかと思うと。
「どうか、きらないで…ください」
「……?」
「どうか、きらないで…。お願いします」
意味不明な言葉を残して、姫君は懇願し消えていった。
翌日になって、昨晩の夢が気になる研ぎ師。あれほど作業ができると興奮していたにもかかわらず。「姫鶴一文字」を取り出すのだが。これが、なかなかどうして、気が進まない。自分でも理由は分からないのだが、作業に集中できそうにないのである。
せっかくの名刀なのだからと。研ぎ師は、気乗りしないため、作業に取り掛かるのを見送る。結局、日を越すことにした。
そして、その夜。
また、研ぎ師の枕元に、昨日と同じ姫君が立つ。それも、全く昨晩と同じ内容の繰り返し。
「きらないで…ください」
これでは一向に埒が明かないので。研ぎ師はとりあえず、姫の名を聞くことに。
すると、
「鶴と申します。お願いします。きらないでください……」
鶴という姫君は、泣きながら懇願し姿を消した。
同じ夢を2晩も続けて見た研ぎ師。さすがに気のせいでは済ませられない。もう、不安いっぱい、胸騒ぎが止まらない様子。
まさか。
ひょっとしたら、あの夢に出てきた姫君は、この刀ではないのか。
そう思い当たった研ぎ師は、「姫鶴一文字」を手渡してきた家臣に相談。すると、なんと、この家臣も同じ夢を見ていたというのである。
「これは、一大事」
研ぎ師らは、こう判断して、主君である謙信に報告。自らを「毘沙門天(びしゃもんてん)」と称する上杉謙信のこと。即座に作業は中止が決定。その結果、謙信は、「姫鶴一文字」の刀身を短くすることなく、そのまま使ったという。
さて、実際のところ、夢に出てきた姫君が、「姫鶴一文字」の化身なのかは分からない。ただ、「姫鶴一文字」という名の由来はこの不可解な出来事から付けられたという説がある。一方で、刀身が鶴の羽に似ているからという説も。
どちらにせよ。
「姫鶴一文字」は、当初の長さのまま。我が身を傷つけられることなくご満悦。そうして、上杉謙信に、常に寄り添うことになったのである。
最後に。
じつは、明治天皇も上杉謙信と同様に、刀剣愛好家。そんなマニア愛が爆発してしまったのが、米沢(山形県)の上杉家に立ち寄られたときのこと。
明治天皇は即位後、日本全国各地を回るべく、地方巡幸の途に就かれることとなる。なかでも、明治14(1881)年7月~10月は、東北・北海道地方を巡幸。その途中で立ち寄られたのが、上杉家。そこで、代々伝わる名刀の数々を、閲覧されたという。
もちろん、名刀の中には、あの「姫鶴一文字」も。実際に手に取られ、大層気に入られたご様子だったとか。押形(おしがた)とは、刀剣の上に和紙を押し当て、墨で形などを刷りとり、刃の文様などを描き込んだもの。明治天皇は、この「姫鶴一文字」の押形をご所望されたという。
見れば見るほど、時間が経つのを忘れてしまう。その結果、当初の予定よりも時間が長引いてしまったとか。なんなら、そのあとのスケジュールが狂ってしまったという逸話まである。
そんな刀剣愛好家の明治天皇が、それほど魅了されたという「姫鶴一文字」。
その魅力は、一体どこにあるというのか。
惚れ惚れするほどの美しさも、もちろんなのだが。
個人的には、やはり、上杉謙信に刀を抜かせなかったというところだろうか。
じつは、「姫鶴一文字」を帯刀しているときは、謙信が危機的状況に陥ることがなかったのだとか。これには、謙信の家臣らも不思議がったというから、なんとも信じられない話。
まさか。
ひょっとしたら、私たちは思いっきり勘違いをしているのかもしれない。
謎の姫が頼んだのは、「切らないで…」ではなく。
案外「斬らないで…」だったのかも。その代わりに、目がキラーン。「ワタクシが守りますわよ」的な。
それにしても、血を流させないその心意気。
誰もが魅了された理由が、なんとなくわかる気がした。
参考文献
『刀剣・兜で知る戦国武将40話』 歴史の謎研究会編 青春出版社 2017年11月
『名将言行録』 岡谷繁実著 講談社 2019年8月
『戦国武将の都市伝説』 並木伸一郎著 株式会社経済界 2010年12月
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