若者に人気のシェアハウス。そこでの暮らしがうまくいくかは、共同生活するルームメイトとの人間関係にかかっている。では、もしルームメイトが人間じゃなかったら…。2020年8月1日スタートのドラマ『妖怪シェアハウス』(テレビ朝日系/毎週土曜23時15分)は、女優の小芝優花さん演じる主人公が幽霊や妖怪たちと共同生活するという奇想天外なストーリーだ。
一緒に暮らすルームメイトは、お岩さん、酒呑童子、座敷わらし、ぬらりひょんと、いずれも日本を代表する幽霊や妖怪たち。見た目は怖いが、実はお節介で気のいい彼らは、主人公・澪の悩みを聞いてやり、たびたび窮地を救ってくれる。
酒呑童子は、もともとは現在の京都府北部にある大江山に出没したと伝えられる鬼。酒好き、女好きで少々乱暴な酔っ払いだが、ひきょう者は許さない正義感あふれる男だ。一見怖そうに見えて、実は女性に優しい。
座敷わらしは、本来は東北地方に伝承される、屋敷や蔵に住み着く精霊で、これがいると家が繁盛すると言われる。今は妖怪シェアハウスの寮母としてみんなの世話をしている。涙もろく、泣き出すと止まらない。
ぬらりひょんは、忙しくする他人の家にいつの間にか上がり込み、たばこを吸ったりお茶をすすったりのんきに振る舞っては、いつの間にか去って行く妖怪。今は弁護士兼経営コンサルタントをしている。のらりくらりとした性格だ。
そして彼らの中でも、劇中で最も中心的な役割を果たすのがお岩さんだ。お岩さんの人間の姿である四谷伊和は、主人公・澪が悪い男にだまされて有り金も仕事もなくし、借金取りに追われて路上で倒れていたところを助け起こし、妖怪シェアハウスへ連れてくる。
そうした行動からも分かるように、このドラマに登場するお岩さんは心根の優しい幽霊だ。しかし過去に夫の伊右衛門に裏切られた恨みから、裏切った男には報復すべき、泣き寝入りは許さないと考えるアグレッシブさを持ち、やられたらやり返すのが信条。普段は優しく、怒ると超絶怖いという振り幅が過剰な女性なので、シェアハウスで共同生活するにあたっては、その点に気をつけて接するようにしなくては…。
お岩役を演じるのは女優の松本まりかさん。「今回私が演じるお岩さんの現代の姿である四谷伊和は、四谷怪談で創作されたお岩さんの狂気と本来の心優しいお岩さんが合わさり、非常に過剰な作りとなっています(笑)。過剰に澪を心配し、ほんのちょっとのことでも助けずにはいられないナースです。いつも澪の味方で、澪に愛情を注ぐ本当に優しい巫女のよう」と説明する。
松本さんも語っている通り、「四谷怪談」のお岩さんには、モデルとなった実在の人物がいる。江戸時代初期の御家人の娘・田宮岩という女性だ。本当のお岩さんはどんな人だったのだろうか。知りたくなって東京・四谷の左門町を訪ねてみた。
四谷に2つある「於岩稲荷」の謎
四世鶴屋南北が書いた戯曲「東海道四谷怪談」が歌舞伎で初演されたのは、江戸時代も末期の1825(文政8)年。だが、そのずっと以前からお岩さんは江戸市中では有名な存在で、四谷左門町にはお岩さんをまつる「於岩稲荷」が江戸時代初期からあった。夫を呪い殺した幽霊などでは決してなく、良妻賢母の模範、「貞女の鑑(かがみ)」として崇敬を集めたという。
実は四谷には2つの「於岩稲荷」がある。外苑東通りを東に1本外れた住宅街の狭い道に面して、片方は神社で「於岩稲荷田宮神社」、その斜め向かいにあるもう一方はお寺で「於岩稲荷陽運寺」。
於岩稲荷田宮神社には東京都教育委員会の「東京都指定旧跡 田宮稲荷神社跡」という案内板が立っており、由来が記されているので、ここが江戸時代から続く「於岩稲荷」だと分かる。敷地内には実在のお岩さんの子孫である田宮家の住居もある。神社の禰宜(ねぎ)を務める栗岩英雄さん(91)に話を聞いた。
田宮家の当主の娘と結婚した栗岩さんは、長年にわたり小学校教諭を務め、校長や千代田区教育委員長などを歴任後、現在は於岩稲荷の禰宜として神職に携わっている。禰宜というのは宮司に次ぐこの神社のナンバー2だ。宮司は栗岩さんの長男で田宮家11代目当主の田宮均さん。
本殿にあがらせてもらうと、祭壇の周囲には歌舞伎俳優や講談師、映画会社、テレビ局などからの奉納品が並んでいた。夏場になると怪談を上演する機会が増えるため、関係者がおはらいを受けに来るという。
栗岩さんに、道を挟んで斜め向かいにある「於岩稲荷陽運寺」について尋ねると、「あれはうちとは関係なし。戦後にできたんだ」とのこと。於岩稲荷田宮神社が戦災でなくなっていた間にできたのだという。田宮家の側からは「勝手にそんなもの造られては困る」と抗議し、裁判所にも訴え出たが解決に至らず。「そうしたら、お寺がそこにいろんなものを造りだしたの」。昭和30年代ごろには寺の境内にお風呂屋さんまであったが、火災で焼失したそうだ。
於岩稲荷田宮神社は戦災の被害を受け、小さなほこらだけになっていたが、1952(昭和27)年、元の場所に再建された。これも、地元・四谷の信者たちから「こっちに『於岩稲荷』を名乗る変なお寺ができたから、ちゃんと神社を再建した方がいい」と進言されたのが、ひとつのきっかけだったという。もっとも、2つの「於岩稲荷」の間にかつてはトラブルもあったものの、今は平和共存しているようだ。「今の陽運寺の住職はいい人だよ。会えばきちんとあいさつするし。昔のいきさつは知らないと思う」と栗岩さん。
奉公に出て家を支えたお岩さん
栗岩さんによると、田宮家に伝わる実在のお岩さんこと田宮岩は、徳川家康に従って駿河から江戸に移ってきた田宮家の初代の娘。婿養子に入った夫の田宮伊右衛門とは人もうらやむ仲の良い夫婦で、終生円満に暮らしたという。だが田宮家の禄高はわずか30俵。台所はいつも火の車だったため、お岩は家計を支えるため、大名や旗本の家に奉公に出て働いた。こうして夫婦は田宮家を再興したと伝えられている。
そのお岩さんがいつもお参りしていたのが、田宮家の敷地内にある屋敷神の伏見稲荷だった。そのご利益で田宮家が盛り返したと近所で評判になり、1636(寛永13)年にお岩さんが亡くなった後、親類縁者や近所の人たちが、ほこらをお参りするようになった。田宮家でも参拝に来る人を断り切れなくなって、1717(享保2)年には寺社奉行に勧請して「於岩稲荷社」となり、正式に参拝を受け入れるようになった。祭神は「於岩命」つまりお岩さんだ。江戸市中で於岩稲荷社は、家内安全、商売繁盛などの神様として人気を集めた。明治時代に入って「於岩稲荷田宮神社」となり、現在に至っている。栗岩さんは「民間信仰から始まって、しかも祭神の子孫が代々宮司を務めている神社は、全国でもここだけでしょう」と話す。
鶴屋南北はお岩さん人気を利用した?
実在のお岩さんが死去してから189年後、その人気に目を付けてショッキングな怪談話に仕立て上げたのが、劇作家の四世鶴屋南北だった。1825(文政8)年に初演された「東海道四谷怪談」で、なんと夫の伊右衛門を金と欲に目がくらんで妻に毒を盛った悪い男、そしてお岩さんを恐ろしい容貌の幽霊にしてしまった。歌舞伎や講談で人気を集めたが、「あくまでフィクション」と栗岩さんは強調する。「四谷怪談」ではお岩さんも伊右衛門も死んでしまい、これではお家断絶となるはずだが、実際の田宮家は現在に至るまで続いているじゃないかと。
田宮家の人々も先祖をオバケや悪人扱いされたのではたまったものではない。「四谷怪談」では「田宮」を「民谷」に変えるなど架空の話であることをほのめかしてはいるものの、人々は実在の田宮家にスキャンダラスな事件があったかのように誤解してしまう。これが於岩命の怒りを買った…かどうかはともかく、「四谷怪談」を上演すると関係者に事故が相次ぐとのうわさが広まっていった。お岩を演じる役者たちはたたりを恐れて於岩稲荷に参拝するようになり、この習わしは現代まで続いている。かつては「四谷怪談」の映画を上映する際も、映画館の入り口に祭壇が設けられ、観客は参拝してから入館したという。
たたりは本当にあるのだろうか。栗岩さんは「まだ電気も何もなかった頃に、暗い中で役者がああいう仕掛けの多い芝居をやったから、けがをするようなこともあったんでしょう」と推測するのだが…。
ともあれ、「四谷怪談」が世に広まって以降、於岩稲荷にお参りする人は激増した。「だから私のうちとしては、いいこと半分、悪いこと半分なんだ」と栗岩さん。1879(明治12)年、於岩稲荷田宮神社は火災で一度焼失したのを機に、当時芝居小屋の多かった現在の東京都中央区新川にも造られた。まだ交通が不便な時代。芝居関係者がお参りしやすいよう近くに来て欲しいと、歌舞伎の初代市川左団次が要請したのだという。このエピソードからも、当時「四谷怪談」がいかに絶大な人気を集めたか、そして演劇界でお岩さんの「たたり」がいかに広く信じられていたかがよく分かる。新川の於岩稲荷の境内にはお茶屋などもあり、芝居見物帰りの人などで大いににぎわったそうだ。
ちなみに、新川の於岩稲荷田宮神社は今もあり、田宮家11代目の田宮均さんが四谷の於岩稲荷と宮司を兼任している。ただ、現在は交通が便利になったこともあり、芝居関係者は四谷の方に参拝するようになった。
「四谷怪談」がきっかけで於岩稲荷を参拝するようになったのは芝居関係者だけではない。「悲しい商売をやっている女性や、悪い男と縁を切りたいという女性がお参りに来るようになった」と栗岩さん。芝居の中で、自分を裏切った夫に幽霊となって仕返しするお岩さんは、弱い立場の女性たちからは、救いの神としてあがめられるようになったのだ。ただ、田宮神社では縁切り祈願は受け付けていないそうだ。
もう一方の「於岩稲荷」はカフェテラスのあるお寺
斜め向かいにあるもう一方の「於岩稲荷」、陽運寺も訪ねてみた。ちなみにテレビ朝日によると、ドラマ『妖怪シェアハウス』主演の小芝風花さんとお岩さん役の松本まりかさんは、こちらの陽運寺で撮影安全祈願を行ったそうだ。
門をくぐると、境内の一角にはおしゃれなカフェがある。2020年6月にオープンしたばかりだそうで、境内のテラス席で飲食できるようになっている。「四谷怪談」のおどろおどろしいイメージとはほど遠いカジュアルな雰囲気だ。
五代目住職の植松健郎さんに話を聞いた。このお寺ができたのは戦後間もない頃。かつてこの近辺にあった於岩稲荷が戦災でなくなったため、初代住職の日建(にちごん)上人が、地元有志と共にこの地にお岩さんをまつるお堂を建てたのだという。もともと、今のお寺の敷地内には、お岩さんをまつったとみられる小さなほこらや、お岩さんが産湯を使ったとされる井戸もあったとのこと。このため、「おそらくお岩様の生家があったのはここだと私は認識しています」と植松住職。
ほこらはもう残っていない。お岩さんゆかりの井戸は今も境内にあり、かつては新宿区の文化財に指定されていたが、現在は指定を取り消されているとのこと。
このお寺でまつっているのは、実在のお岩さんが神様となった「於岩稲荷大善神」。その人物像について、植松住職は「心が優しい人で、みんなから慕われて悩みを聞いたりした。夫婦仲も円満だったと伝えられています」と話す。本堂には日蓮上人像の隣にお岩像が安置されている。拝観させてもらうと、着物姿の優しげな女性で、「四谷怪談」の怖いお岩さんとは全く違う、慈母のような雰囲気。いつごろ作られたものかは分からないが、このお寺が建立されたときからあるそうだ。
参拝する人は20~40代の若い女性が中心という。奉納されている絵馬を見ると、祈願の内容は縁結びと縁切りが圧倒的多数。住職は「やはり女性の味方というイメージがあるんじゃないかと思います。いろんな苦労もきっとしている強いお岩様像の一方、ここでお伝えしている優しいお岩様像があるのでは」と推測する。
このお寺でまつっているのは、あくまでも、実在した優しいお岩さん。参拝者の中には「四谷怪談」で夫への恨みを晴らした女性というイメージを持っている人も多いが、「そうした誤解を解くために、まずは入ってもらって、実際は人を恨むような怖いお岩さんじゃないということをきちんと説明します。それが私の一番の仕事かもしれない」と植松住職は強調する。境内にカフェテラスを設けるなどの工夫も、「四谷怪談」の怖いイメージを拭い去り、明るい雰囲気にしたいとの思いからという。
ところで、このお寺にはお風呂屋さんがあったんですかと尋ねると、「そうです。ここの初代がアイデアマンで、本堂の隣にミストのサウナがあったんです。日本初のミストサウナだったとも聞いています。ご祈祷した後に汗を流してもらおうというアイデアだったんだと思いますね」と植松さん。ぼやを出したのが原因でサウナはなくなったという。3年ほど前に寺を改築したとき、下から大きなタイル張りの浴槽や焼け焦げた柱の跡が出てきたそうだ。
聞きづらいけど、向かいの田宮神社との関係は良好ですか、と尋ねてみた。「…と思っています。神社の禰宜さんにはいつも朝、門の前まで掃き掃除をしていただいたり、会えばごあいさつもしますし。もともと仲が悪かったという話もあるけど、私は全然そうは思っていません」。四谷にお参りに来る人の多くは両方の於岩稲荷に参拝するそうで、相乗効果で参拝者が増えているという。やはり今はうまく共存しているということか。「だから、どっちが本家とか、そんなものはないんですよ。両方ともお岩様をおまつりしているが、おまつりの仕方が神社とお寺では違う」と植松住職は語る。
ちょっと気になる話も聞いた。お岩さんをはじめ田宮家代々の墓所は西巣鴨の妙行寺にある。しかし植松住職によると、お岩さんの夫・伊右衛門の墓はそこではなく、早稲田にあるのだとか。「不思議なことですね。夫婦円満だったら同じところに入っているはずですが」と植松住職は首をかしげる。
この点を於岩稲荷田宮神社の栗岩禰宜に確認すると、「伊右衛門はお岩さんの墓に一緒に入っていると考えています」と全面否定。妙行寺の松村観宗住職にも問い合わせたところ、「伊右衛門が田宮家の墓に入っているかどうかは分かりません」とのことだった。
ちなみに、妙行寺のお岩さんの墓の近くには「由緒」という案内板があり、「お岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなった…爾来、田宮家ではいろいろと『わざわい』が続き…」などと記載されている。これでは「四谷怪談」そのまんまではないか。田宮家の菩提寺でありながら同家の見解と全く違う。
この点についても妙行寺に尋ねると、松村住職は「お岩様は貞淑な女性だったと言われる一方、夫とは不仲だったと伝えられています」とショッキングな回答。ただし「こうした伝承には確証がなく、おそらく四谷怪談からの混交もあったかもしれない」と述べ、虚実入り交じった話が後世に伝わった可能性もあると推測している。
女性の救いの神となったお岩さん
いずれにせよ、実在のお岩さんが貞淑な女性だったことは間違いなさそうだ。「四谷怪談」のお岩さんだって、幽霊となってまで男性優位社会と戦った果敢な女性とみることもできる。
松本まりかさんは自ら演じるお岩さんについて、「旦那さんに尽くして尽くしてきたお岩は、その旦那が他の女性と結婚したいが為に毒を盛られ、顔はただれ髪は抜け落ち、半狂乱の末、自害。その晩化けて出て、旦那と新妻を呪い殺すのです。恨めしや~と。ですが…そんなお岩さんを私は怖いと思えないのです。知れば知るほど、心優しい本来のお岩さんに魅了されてゆくのです」と語り、お岩さんへの憧れを明かす。
ドラマの中のお岩さんは、主人公・澪を苦しめた二股男をルームメイトの妖怪たちと協力して懲らしめたり、番町皿屋敷のお菊さんと組んでセクハラ男をやっつけたりする女性の味方。このようなキャラクター像は、「於岩稲荷」を訪れる女性たちが抱くお岩さんのイメージとも合致していそうだ。
そんなお岩さんがシェアハウスのルームメイトだったら、女性にとってこれほど心強いことはないだろう。一方で、女性をむげに扱ったり浮気をしたりするような男性は、お岩さんの「クズ男センサー」に探知され、きっとひどい目に遭わされるので気をつけよう。
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