江戸時代の遊郭・吉原には「吉原三景容」という、お客も遊女も盛り上がる三大イベントがありました。流行やファッションの発信地でもあった吉原は、お客だけでなく、旅行者や見物人も多く集まったそうです。
春の夜桜
吉原のメインストリートには、春になると根が付いた桜の木が植えられました。下草には、鮮やかで可憐な花・山吹(やまぶき)が添えられたそう。雪洞(ぼんぼり)も立てられ、日が暮れると美しい夜桜が楽しめます。
雪洞に照らされた満開の桜の下を、美しく着飾った遊女が練り歩きます。その妖艶な姿は、この世のものとは思えぬ美しさ。吉原でなければ見られない特別な光景です。
桜は、花の散る頃には全て引き抜かれます。ほんのひととき根を張った桜。過酷な環境から、多くが若くして命を落としたと言われる遊女。桜と遊女の人生を重ね合わせてしまうのは、私だけでしょうか。
玉菊燈籠(たまぎくとうろう)
お盆になると、吉原では店先に燈籠が飾られました。これを「玉菊燈籠」と言います。今のように電気や街の明かりがなかった時代、燈籠がズラリと並ぶ様子はさぞかし幻想的だったことでしょう。
「玉菊燈籠」は、玉菊と呼ばれた才色兼備の遊女に由来します。気立ての良かった玉菊は、お客はもちろん、吉原で働く人々からも愛されていました。残念ながら25才という若さで亡くなってしまい、玉菊を偲ぶ有志がお盆に燈籠を飾り弔ったそう。これが「玉菊燈籠」というイベントの始まりだと言われています。
俄(にわか)
俄とは、俄狂言(にわかきょうげん)という、素人が演じた狂言のことです。路上で突然始められることが多かったため、「にわか」という言葉の語源になったとも言われます。
俄はさまざまな場所で演じられましたが、吉原で演じられた俄は「吉原俄」と呼ばれ有名でした。芸者や幇間(ほうかん/男芸者とも)を中心に、吉原で働く人々も参加して、賑やかな芝居や踊りが繰り広げられたそう。まるでテーマパークのパレードのようですね。
番外編:花魁道中(おいらんどうちゅう)
演劇や映画でも演じられる「花魁道中」。美しい遊女が吉原を練り歩く、言わば「華やかなパレード」です。
花魁道中ができるのは、吉原で働く遊女の中でも格の高い女性だけ。上級遊女はお客に呼び寄せられると、たくさんのお供を連れ、豪華絢爛な衣装を身にまとってメインストリートを歩いて向かうのです。
花魁は、高さが約15~18センチもある黒塗りの下駄を履き、「外八文字(そとはちもんじ)」という独特の歩き方をします。豪華な衣装や髪飾りはかなりの重さだったため、花魁道中はかなりの重労働。途中で転んだりしないよう、何度も練習を重ねました。
花魁を呼び寄せたお客は、自分のために行われる華やかなパレードにご満悦。他のお客や見物人も、美しい花魁を一目見ようと集まりました。歌舞伎などの演目では、艶やかな花魁に一目惚れする男性も描かれています。
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アイキャッチ画像:メトロポリタン美術館蔵
参考:『日本国語大辞典』『日本大百科全書(ニッポニカ)』『図説吉原事典』永井義男著