2020年は、外出自粛の影響もあり、家の中でできるアナログ的なものが見直されています。
その一つが、ボードゲーム。中でも、1860年頃にアメリカで誕生した「人生ゲーム」は、就職や結婚など人生に関わるさまざまな出来事を疑似体験しながら、波瀾万丈なもう一つの人生に一喜一憂することができるゲームです。日本では昭和43(1968)年に発売され、その時代の流行をとり入れつつ、50年以上たった現在でも、大人から子どもまで楽しめる人気ゲームとなっています。
ところで、すでに江戸時代に、現代の人生ゲームのような「出世双六」と呼ばれるものがあったことをご存じですか? しかも、女性版出世双六のゴールは、まさかの「玉の輿」!?
江戸時代は身分制度が厳しかったと言われていますが、実は「玉の輿」という、女性ならでは成り上がり、ではなく、出世方法があり、双六にも取り入れられていたのです。
双六の歴史
双六には、絵双六と盤双六があります。
貴族に人気があった盤双六
盤双六は、盤の上に白と黒の駒を置いて陣地を取る遊びです。盤双六の起源は古く、インド起源説があるほか、古代エジプトにもあったと言われています。盤双六は、中国を経由して日本へも伝来し、貴族などの上流階級の人々のの遊びとして5~6世紀頃から流行します。双六には賭博性があったことから、持統3(689)年12月には「双六禁止令」が出されたことが『日本書紀』に記されるなど、たびたび禁止令が出されました。
正倉院には、桓武天皇愛用の螺鈿(らでん)細工の華麗な双六盤が収められています。
盤双六は『万葉集』『今昔物語集』『源氏物語』『枕草子』など多くの文芸作品にも記されています。『徒然草』第百十段には、
双六の上手といひし人に、その行(てだて)を問ひ侍(はべ)りしかば、「勝たんと打つべからず、負けじと打つべきなり。いづれの手かとく負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」といふ。
道を知れる教(をしへ)、身を治め、国を保たん道も、又しかなり。
とあり、双六の名人と呼ばれている人に必勝法について聞いてみたところ、
「勝ちたいと思って打ってはいけない。負けてはならぬと思って打つのだ。どんな打ち方をしたら、たちまち負けてしまうかを予測し、その手は打たずに、たとえ一マスでも負けるのが遅くなるような手を使うのがよい」
との答えが返ってきて、「その道を極めた人の言うことであって、研究者や政治家の生業にも通じる」と思ったことが記されています。
また、碁・将棋・双六の三種の盤上遊戯具は、一揃いで「三面(さんめん)」と呼ばれ、大名家の姫君の婚礼調度には欠かせない道具でした。
庶民の娯楽として普及した絵双六
絵双六は、江戸時代に庶民の娯楽として普及しました。
絵双六には、「廻り双六」と「飛び双六」の二種類があります。
最初はサイコロの目に沿って順番にコマを進める「廻り双六」という形式の絵双六だけだったのですが、やがて「一回休み」のコマが作られたり、サイコロの目に応じて離れたコマに移動する「飛び双六」が生まれたりと、娯楽として発展しました。双六は子どもの遊びという印象がありますが、子どもには難しい内容を含むものもあり、年長者と子どもが一緒に遊んだものと考えられます。
また、江戸時代後期になると、錦絵という極彩色の木版画が作られるようになり、絵双六は当時の人気絵師らによって描かれ、その美しさから、遊ぶだけでなく観賞する対象にもなっていたのです!
「廻り双六」の基本は「道中双六」
「廻り双六」は、さいころの目にしたがって順番に進んでいく双六で、江戸・日本橋をふり出しにして京都に至る、東海道の各宿を双六にした「道中双六」が基本の形とされています。江戸末期には、当時のベストセラーでもあった十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』のエピソードをアレンジした絵双六が数々刷られ、人気となりました。「弥次さん喜多さん」の愛称で知られる弥次郎兵衛と喜多八が東海道を上って旅をするというエピソードを、宿場単位で、原作の絵とエピソードをアレンジして各コマに投影しています。
双六は、遊びであるとともに、例えば道中双六であれば自然に東海道五十三次が覚えられるといった教育的な効果もありました。
「飛び双六」は、さいころの目に左右される?
「飛び双六」は、さいころの目の数によって指定された場所に飛んでいくように作られており、これを繰り返して「上り」を目指します。「上り」となる最上段では、右からは「一」、左からは「六」の目が出なければ上がれないようになっているなどの工夫がされています。
まるで人生ゲーム? 「出世双六」とは?
江戸時代には、現代の人生ゲームのように、社会的地位の上昇の夢を描いた多種多様な出世双六が数多く作成されました。双六の需要層は町人が圧倒的に多かったので、ほとんどが町人を扱ったものです。
江戸時代は厳しい身分制度が敷かれていたため、身分を越える出世が描かれることはなく、それぞれの身分内で完結していることがわかります。多くの場合、上りとして描かれているのは、長者や富裕であり、町人にとって金銭的な成功が出世の証としてとらえられていました。
そして、出世双六には、女性版もあるのです!
女性版出世双六のゴールは、「玉の輿」にのって、「奥様」と呼ばれる身分になること。江戸時代の女性には、「玉の輿」という身分制度を超える裏道(?)があることが絵双六のゴールとして堂々と描かれています。
三代歌川豊国による、女性の成長を描いた二つの双六「奥奉公出世双六(おくぼうこうしゅっせすごろく)」と「奥奉公二偏娘一代成人双六(おくぼうこうにへんむすめいちだいせいじんすごろく)」を例に、女性版出世双六がどのようなものか見ていきましょう。
江戸のキャリアウーマンを描いた「奥奉公出世双六」
「奥奉公出世双六(おくぼうこうしゅっせすごろく)」は、奥勤めの女性の身分、職種をコマにした「飛び双六」です。
この双六では、武家の生まれではなくとも大奥へ奉公にあがり、将軍の側室になることを目指す、女性の出世の可能性を表しています。まさに、一発逆転の人生ゲームのような、女子の「成り上がり」? ただし、現実的には、町人層から奥仕えをする者が選ばれることは少なく、当時の女性の夢を描いた双六と言えるでしょう。
各コマの中には、様々な役職や役目の奥女中が仕事をしている様子などが描かれています。双六とはいえ、大奥における役職や役目について詳しく知ることのできる資料です。
「お目見え」「御はした」などの下働きから、「御仲居(おなかい)」や「御末(おすえ)」などを経て、「部屋子(へやご)」「呉服間(ごふくのま)」「御三の間(おさんのま)」「御次(おつぎ)」などになります。一番上の身分は「中老(ちゅうろう、「中臈」とする場合もあります)」「御部屋様」「老女(ろうじょ)」「御側(おそば)」です。ここに出世するまで、実に様々な役職・役目があることがわかります。
「老女」は、「御年寄(おとしより)」とも呼ばれる大奥の取締りにあたる最高重役。
「中老」または「御中臈」は、将軍と御台所の身の回りのお世話をする役で、それぞれ5~10名程度いたそうです。将軍付きの中老は、将軍のお手が付いて側室になることもあり、男児を産めば「御部屋様」、女児を産めば「御腹様」と呼ばれました。
「御三の間」は掃除、雑用係ですが、旗本の娘が新規採用された場合は、「御三の間」からスタートするのが基本だったそうです。
裕福な農家や商家の娘たちの武家奉公は、花嫁修業の一つであり、娘の栄達の登竜門でもありました。ここで箔をつければ、嫁ぎ先も好条件になるうえ、武家のお眼鏡にかなえば、玉の輿も夢ではなかったのです!
その最高峰が、江戸城大奥への奉公で、江戸時代の女性にとって、大奥はあこがれの場所でもありました。江戸城大奥の奥女中は、幕府から直に給与をもらう「直の奉公人」と、奥女中が個人的に雇い入れる「部屋方」と言われるか下級女中がおり、約2000人いたと言われています。大奥は、現代では想像できないほどの厳格さを持ち合わせた、女性だけの巨大なキャリア・ピラミッド社会でもありました。
江戸時代は身分制社会です。「御三家」や「御三卿」の家に生まれないかぎり将軍になることはできませんが、女性ならば武士の家に生まれなくとも将軍の母になる可能性はあるかもしれないという江戸時代の女性の夢物語を描いているのかもしれません。
江戸版女性の人生ゲーム? 「奥奉公二偏娘一代成人双六」
「奥奉公出世双六」の続編で、女性の誕生から結婚までの成長過程と典型的なできごとや喜怒哀楽がコマ絵として描かれ、様々な結婚へと導かれる「飛び双六」です。コマ絵には、その場面に合わせて、セリフ仕立ての文字も書き込まれています。
この双六の上りは「奥様」。江戸時代、大名や旗本の正室は、「奥様」「奥方様」と呼ばれました。奥様の夫は「殿様」です。御家人や御目見得以下の下級武士の妻は「御新造様(ごしんぞうさま)」と呼ばれ、武士であっても夫の位により、正室の呼び名が異なっていたのです。
また、商家の娘は、婿を取って家の商売を継ぐ「婿取り婚」が行われていました。息子がいたとしても跡を継がせず、娘を手堅い奉公人と結婚させることが少なくなかったと言われています。
江戸などの都市部の豪商や武家は、女児の稽古事に熱心でした。読み書きをはじめ、琴、華道、茶道などの良家の子女の習い事だけではなく、唄や三味線、踊りなど、芸事を身につけることも花嫁修業であり、これらは武家奉公をする時にも役立ちました。
絵双六の魅力、再発見
絵双六は、江戸時代には庶民の遊びとして欠かせないものとなり、明治時代になると、欧米の風俗習慣や維新後の新制度を描いた双六も現れます。絵双六は、近代になっても新しい印刷技術によって刊行され続け、少年少女雑誌の正月号の付録の定番となりました。
江戸時代に人気のあった絵双六は、様々な種類のものが刊行されていますが、中には、当時の一流と言われる絵師が原画を描いているものもあり、 小さな区画に描かれた絵は、細部にも非常にこだわっていることがわかります。絵双六の中には、江戸時代の人々の暮らしや憧れ、夢や理想がぎっしり詰まっているのです!
江戸時代の人々になった気分で、江戸のボードゲーム・絵双六を楽しんでみるのはいかがでしょうか?
主な引用・参考文献
- 『江戸の絵すごろく:人気絵師によるコマ絵が語る真実』 山本博文監修 双葉社 2018年3月
- 『日本の古典をよむ 14 方丈記・徒然草・歎異抄』 神田秀夫ほか校訂・訳 小学館 2007年10月
- 『国史大辞典』 吉川弘文館 「双六」の項
- 第12回本の万華鏡「紙の上の旅・人・風俗-江戸の双六-」(国立国会図書館)