狛犬の起源をご存知だろうか?狛犬は神社で鳥居の前などでよく見かけるが、なぜ犬なんだろう?獅子ではないの?などと疑問は膨らむばかり。そんなとき、石川県金沢市で取材した神社の神主さんから、上杉千郷の著書『獅子狛犬の源流を訪ねて』という本を勧められた。その本によれば、狛犬の起源は少なくとも紀元前3000年頃の古代オリエントまで遡れるとのこと。それ以来、狛犬のご先祖様の壮大なスケールの物語にのめり込んだ。本記事では、狛犬がどのような歴史をたどって現在に至ったのかをご紹介する。
狛犬の起源は古代オリエント!?
紀元前3000年頃、ライオンは強さの象徴だった。チグリス・ユーフラテス川流域に栄えた古代文明に、ライオン狩りをする武人らしきものたちの図が描かれた彫刻や、ライオンの頭を掘った彫刻が発見された。ライオンを狩ることは強さの証とされたようだ。紀元前15世紀に王国をつくったヒッタイトは、城を守る門の両脇にライオンのような像を配置した。これは守護獣の発想の表れで、日本の神社を守る狛犬とも近い。また、紀元前14世紀のエジプトの王・ツタンカーメンの墓には、獅子があしらわれている。王の守護や権力の象徴として神殿や墳墓の入り口に築かれたスフィンクスも、顔は人間だが体はライオンだ。
このように、古代オリエントではライオンの霊力から王の権威を示す考え方が根付いていた。先ほどご紹介した本の著者・上杉千郷はこれを「獅子座の思想」と呼んでいる。次は、日本の狛犬にもう少し近づくため、中国の霊獣について見ていく。
中国で狛犬の先祖が誕生
古代中国は様々な霊獣を生み出していった。西から伝えられた獅子はもちろん、他にも狛犬の元になった霊獣がいくつかある。その代表的なものが獬豸(かいち)と角端(かくたん)。獬豸は古代中国で神判に用いられた霊獣で、不正を噛む獣とされていた。牛や羊に似ていると言われている。また、角端は中国の王座の両端に置かれた霊獣。四方の言語に精通しており1日に1万8000里(約7万km)を走るという。これらは後に日本の狛犬に大きな影響を及ぼしたと言われ、双方の合成で狛犬ができたとも言われているくらいだ。
日本各地に広がる狛犬
さて、ここからは日本の狛犬がどうして誕生したのかを具体的に見ていく。日本で狛犬が誕生するきっかけになったのは、インドから中国、朝鮮半島を経て仏教が伝来したこと。仏教が伝わったと同時に、仏像も入ってきて、前方に2頭の獅子を配置するという習慣もできた。つまり、獅子が神を守る守護獣であるという思想は、古代オリエントの頃と全く変わりがない形で伝わったのだ。ただし、この段階ではまだ獅子であって、狛犬ではない。
獅子が狛犬に変化した過程
奈良時代に仏像の前に置かれた獅子は、今の狛犬と決定的に違うところがある。それは「口が開いている」ということ。中国でも同様の特徴が見られるため、その影響が大きかったと考えられる。仏教が伝来した当時は、まだ口を閉じた狛犬という形態が見られなかったのだ。
しかし、平安時代以降になると、獅子と狛犬という2つの形態が出てくる。写真のように、正面から向かって右が口を開ける「阿像(あぞう)」で獅子、左が口を閉じる「吽像(うんぞう)」で狛犬となったのだ。インドのサンスクリット語によれば、「阿」は全ての始まりを表し、「吽」は全ての終わりを表す。すなわち、煩悩や執着を消して平和や安楽の世界にたどり着くという意味が込められている。また、中国の陰陽の影響を受けているという話もある。それに加えて、左右非対称を好む日本人特有の美意識が加わり、この阿吽の形態が生まれたと考えられる。
また、狛犬には角があるものもあり、これは先ほど紹介した中国の霊獣である獬豸や角端が1つの角を持つことに由来すると言われる。時代を経て、この獅子と狛犬はまとめて「狛犬」と呼ばれるようになり、両者の差異は混同されて多様化していった。
狛犬の語源について
ところで、狛犬という言葉はなぜ誕生したのだろうか。朝鮮半島(高麗)から伝わったことから次第に「高麗犬」と呼ばれそれが変化して「狛犬」になったのが定説。ただし、「狛犬」の「狛」は朝鮮だけでなく、中国本土の周囲を広く指すという説もある。また、なぜ犬が出てきたかというと、九州南部に住む隼人(はやと)という人々が犬の声を真似て天皇を警護したからという説が存在する。このように、得体の知れない霊獣を日本独自の解釈で捉えた結果、狛犬という呼び方が誕生したのだ。
狛犬はどのように発展したのか
平安時代や鎌倉時代の狛犬は、今のように石造ではなく木造だった。理由としては、宮中や神社、お寺などの室内に置かれたために、雨風にさらされるということがなかったからだ。加えて、建物に置く神像や仏像が木造だったのでそれに合わせて木造で作られたという経緯もある。宮中では魔除けとして、几帳や屏風の揺れ動くのを抑えるおもしとして使われたという話も残っている。それが次第に、神社の社殿や鳥居の前に一対の狛犬が配置されることが多くなり、今に至る。
狛犬の種類はバラエティ豊かになった
時代を経るに従って、狛犬の形態は多様化していった。狛犬なのか獅子なのか、はたまた違う生き物なのか。今では区別がよくわからないものも多い。
茨城県つくばみらい市の不動院では白犬伝説が狛犬と合わさった事例がある。江戸時代、難産に苦しめられる人が多かったが、村の名主の夢枕にそのような人々を救うという白犬のお告げがあった。村人総出で参詣して、護摩祈願を行い、白犬一対を奉納したところ、難産で苦しむ人がいなくなったそうだ。2005年にこの奉納した白犬とは別に、拝殿両脇に白犬の像を設置。一見、配置が狛犬のようだが、見た目はリアルな犬という姿が話題を呼んでいる。
この他にも全国には、笑う狛犬、ウナギ狛犬、狛ウサギ、カッパ狛犬、狛虎、狛猿など、実に多様な形態が存在する。狛犬に似ているようで、似ていないような曖昧な狛◯◯がたくさん存在するのだ。
シーサーや獅子舞との違い
沖縄でよく見るシーサーや、日本全国各地に存在する獅子舞と狛犬の違いについても触れておく。どれも、獅子が元になっているというという点が共通だが、それぞれ発展の仕方が異なる。
まず、シーサーは阿吽の形態をとらず、民間の信仰とともに広がった。神様を守るというよりは、村や家を守るという意味合いが強いのが特徴だ。建物の屋根や門などに設置されている。
また、獅子舞の獅子は、厄除けや魔除けの意味では狛犬とも似ているが、民俗芸能として定着した点が異なる。インドやネパール、中国などを経て仮面舞踊に取り入れられた獅子は、朝鮮半島を経由して伎楽の形で日本に伝来。その演目の1つであった獅子の舞いが日本全国に伝わったという経緯がある。
狛犬の先祖を辿る壮大な物語
このように、狛犬の先祖を辿ると壮大なドラマがあり、獅子に始まる信仰の多様さを知ることができる。人間がアフリカ大陸から日本列島まで渡ってきたように、狛犬も歴史的な大移動があったからこそ今の形がある。そう思うと非常に感慨深い。日常の中でこの物語に想いを馳せながら、狛犬とその仲間たちに着目してみるのも面白いだろう。