2018年に放送されたドラマ『アンナチュラル』は、死因究明のスペシャリストが集まる架空組織「UDIラボ」を舞台に、石原さとみ演じる法医学者・三澄ミコトが同僚とともに不自然な死の真相を明らかにする法医学ミステリー。現実の社会問題を織り込みながら法医解剖の世界が描かれ、さまざまな死を扱いながらその裏側にある謎や事件を解明する姿が共感を呼んだ。
「法医学って死んだ人のための学問でしょ、生きている人を治す臨床医の方がまだ……」と本音をこぼす窪田正孝演じる新人記録員・久部六郎に三澄ミコトは「法医学は未来のための仕事」と返す。
「法医学」と聞いて何を思い浮かべるだろう?生きている人ではなく“遺体”を診察する法医学者の世界を『アンナチュラル』を軸に少しのぞいてみたい。
目に見えない感染症は脅威
第1話では、MERSコロナウイルスが取り上げられ、「PCR」や「濃厚接触」といったワードが登場。感染拡大によりパニックとなる様子が描かれた。2020年の日本を予言したかのような内容と言わざるを得ない。
法医学者にとって目に見えないものは怖い。つまり、肉眼所見での診断が難しい感染症は脅威だ。例えば結核の場合、結核菌が遺体内で長時間生き続けるため、CT画像をみれば結核かどうかは解剖前にわかるのだが、CTを撮らずに胸を開け、肺をみた瞬間に気づくことが少なくないのだという。搬送時に胸腔内の空気が外に出る可能性があるため、結核が疑われる遺体にN95マスクがつけられ運び込まれるケースがあるそうだ。
持ち込まれた遺体は感染症の有無が事前に判明しているケースばかりではない。万が一見逃せば、自分だけでなく周囲にも感染を拡大させてしまう可能性がある。ドラマでもゴム手袋2枚の上に軍手をはめ、マスクとゴーグルで完全防備しているシーンが登場するが、現場では常に「感染症をもっている遺体かもしれない」という前提で対応し、針刺しやメス等のけがによる血液感染や空気感染から身を守る対策をとるという。
「法医学」という言葉は明治時代から
そもそも法医学の歴史は古い。1247年、中国で世界初の法医学書と言われる「洗冤録(せんえんろく)」が刊行され、「洗冤録」はその後朝鮮を経て日本に渡り、泉州の河合甚兵衛尚久が邦訳、1768年には「無冤録述(むえんろくじゅつ)」が刊行された。これが日本初の法医学書となり、江戸時代にはこの本やそれに基づいたマニュアル本が広く読まれ、遺体の調査に生かされたという。
かねがね東洋医学の五臓六腑説に疑問を抱いていた山脇東洋は1754年、京都で日本初の解剖を行い、認識の誤りを明らかにした。それは当時の医学会に影響を与え、1771年には杉田玄白が前沢良沢らと江戸で解剖を行っている。
明治時代になるとあらゆる分野で改革が進む。4年の欧州留学から帰国した片山國嘉が東京大学医学部初代法医学教室教授に就任すると、1891年にはそれまで「裁判医学」と呼ばれていた名称を「法医学」に変えた。それ以降「法医学」という単語が使われるようになったという。
法医学の知識を生きている人に応用する
生きている人は嘘をつくが、死体は嘘をつかない。なぜならば、死亡直後の状態を体に刻んだまま死亡するからだ――。
監察医として20,000体の検死を担当し、5,000体以上もの解剖を行った上野正彦氏は著書の中でそう語る。
いじめがテーマの第7話では遺体に残された無数の痣から「日常的に執拗な暴力が繰り返され、暴力行為が見過ごされていた」事実が暴かれるが、傷や痣などから原因を特定する法医学の専門性を生かし、いじめや虐待が疑われる子どもの保護や支援に役立てようとする取り組みが始まっている。
2018年7月、千葉大学医学部附属病院小児科に国内初の「臨床法医学外来」が開設された。傷痕から受傷経緯を分析することに長けた法医学者と子どもの診察に慣れた小児科医が協力して子どもの傷を鑑定し、医学的所見を示すという試みだ。
「臨床法医学」とは法医学の知識や経験を生きている人に応用し、傷の原因などを調べるのに生かそうとするもの。欧州等では既に専門分野として確立しているという。
虐待の見逃しを防ぎ、保護や支援につながる存在として法医学者の科学的見解は大きい。命を救うために法医学ができることはたくさんあるのだ。
なぜ死ななければならなかったのかを知りたい
井浦新演じるもう一人の法医学者・中堂系は、家族が災害で亡くなったり悲しい事件に巻き込まれたりした人が感じるという「生存者の罪悪感」に苛まれている。亡くなった人と自分を分けたものは何なのか。どうして自分だけが生きているのか――。
2011年3月11日に東日本大震災が起こり18,000人以上もの尊い命が奪われ、あるいは行方不明になった。日本法医学会は阪神・淡路大震災の教訓をもとに3月12日には災害時死体検案支援対策本部を設置し、被災地に医師118名、歯科医師31名を派遣。現地の警察、行政当局、法医学教室などと連携しながら約4カ月にわたり検案支援を行ったという。
ライフラインは壊滅状態。雪の舞う中、遺体は次々に安置所に運び込まれた。遺族の慟哭が響く中で医師たちは涙しながら来る日も来る日も必死に検案を行った。
解剖できないため死因の第一優先を「溺死」とすることが現場で共有されたものの、遺体の状況から死因不詳とせざるを得ないケースもあったという。
しかし時間が経つにつれ、死因だけでなく死亡時の正確な状況を知りたいと願う遺族の声が届き始めた。津波で死んだのか、その後に発生した火事で死んだのか。なぜ死ななければならなかったのか調べてほしいと――。
「現場ではベストを尽くしたが、解剖できない以上、死因を正確に判定できなかった。プロフェッショナルな活動ができなかった」と、ある法医学者は悔しさをにじませる。
現在、法医学教室は医学部のある82大学に設置されているが、日本法医学学会の認定医は150人ほどしかいないという。病気はもちろん事故や犯罪といった、さまざまな分野に精通する必要があるため、人手不足と言わざるを得ない。
診察するのは遺体だが、究明した結果は生きている人や社会に還元される。死因を決めるという責任の重みを胸に法医学者たちは日々遺体の声に耳を傾け、死因につながる証拠をすくいあげている。
そういえば、現在放送中の『MIU404』第6話に登場する「検体者記録」の執刀医欄に三澄ミコトの名前があった。今日も死と向き合い、誰かの命を救っているようだ。