“愛”にはさまざまな概念がある。好きな人に対して感じる愛もあれば、友人や家族など自分にとって身近な存在に対して感じる愛もある。性別に関係なく感じる愛もあれば、性別の枠組みを超えた人類への愛もある。さらに、国を思う愛もあれば、国という枠組みを超えた地球への愛もある。
言葉では同じ愛だが、それぞれ違ったニュアンスを含んでいる。その根底には、愛を支える概念が複雑に絡み合っている。歴史の中で宗教との対峙や家族像の変化があり、さらには国家体制に感化されて生み出された結果が今日における愛である。
儒教思想の「仁愛」と「渇愛」の違いは?
まず、歴史は聖徳太子の時代に遡(さかのぼ)る。聖徳太子は「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」の愛称で親しまれ、推古天皇の時代には摂政としての役割を任された。冠位十二階や十七条の憲法を定め、国家体制の樹立に尽力するとともに、遣隋使を派遣し、仏教や儒教を取り入れた。なお、仏教の伝来をめぐっては、推古朝以前に伝えられたとする説もあり、伝来時期については定かではない。
礼節を弁(わきま)えた国民性こそが日本の心と筆者は考えているが、この礼節とは儒教の考えを受け継いだ作法である。孔子が唱える儒教では、その中心に「仁」を据え、「愛」を説いている。儒教思想の「仁愛」とは、自分自身にとって身近な存在である両親や兄弟などの家族に対する愛を意味する。
さて、止められない危険な恋、つまり不倫愛を表す言葉に「渇愛」がある。これは仏教の中核をなす概念のひとつである。仏教では、”愛”そのものが人間の心を駆り立て、煩(わずら)わせ、狂わせ、悲劇をもたらす元凶であると捉えられているが、渇愛は人間の本体であるとともに、人間の苦悩の源泉と看做(みな)されている。渇愛の定義は以下の通りである。
喉の渇きに耐えかねたものが激しく水を求めるような衝動的な欲望のこと。仏教では最初期から、人間を動かし、迷いを生じさせるものは欲望であるとし、その欲望を集約する術後として一般的に用いられてきた。『サンユッタ・ニカーヤ』勝品(南伝十二・五六~八)の一連の偈文では、世間の渇愛に導かれ、悩まされること、世の人々は渇愛に制圧されていること、渇愛を断じ捨てることが、一切の束縛を断ち、涅槃に至ることであるなどと説明される。
(新纂浄土宗大辞典Web版より)
キリスト教の伝来でさまざまな「愛」が生まれる
1549(天文18)年、足利一族が世を治めていた時代に、イエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教の布教活動を開始。わずか1年間で多くの信者を獲得し、長崎県平戸市には日本初の教会を建設した。豊臣秀吉や徳川家康の禁教令の発令により長らくキリスト教がタブー視される時代が続き、明治の文明開化以降もしばらくはその余波が続いた。
明治政府の欧化政策により西洋の精神の中枢であるキリスト教に関心を持つ者が増え、各地にキリスト教系の学校が設立された。その頃から徐々にキリスト教の根本をなす愛の理念が民衆に定着し始め、さまざまな愛が生まれた。例えば、郷土愛、所属する組織(学校、会社など)への愛、あらゆる人類への愛を表す人間愛などがそうだ。これらはすべて、「自分を愛するようにあなたの隣りの人を愛せよ」というイエス・キリストの教えに基づいた愛の概念である。
変化していく「愛」の概念
明治の文明開化とともに、西洋の文化が流入し始めると、愛の概念にも変化の兆しが見られるようになった。仏教の影響を強く受けたこれまでの愛のイメージとは異なる。「色恋」という西洋的なニュアンスを含むようになった。
1890(明治23)年、日本の教育の基本方針について記載した教育勅語が明治天皇より下される。教育勅語では、「天照大神に始まる日本を治めるのはその子孫である天皇であるとし、国民は天皇に仕える臣民」と定義された。教育勅語発布後、太平洋戦争の終了とともにGHQにより撤廃されるまで、天皇は絶対的な存在であると信じ込まされ、最高位にある天皇に逆らうものは不敬罪に当たるとして処罰の対象となった。国のために戦争に勝ち抜くための国家方針が後押しし、愛国心が国民の心に強く植え付けられた。また、天皇と国家神道が明確に位置付けられるとともに、キリスト教への風当たりが強まっていった。
戦後、教育勅語が撤廃されて以降、国を愛する心にも変化が現れた。近年では一部で戦前回帰の傾向が見られるものの、戦前のような自国のみを絶対視する排他的な愛はタブー視され、自国を愛するとともに、他国を尊重するという別の愛国心が思想のひとつとして認められた。
さらに、キリスト教が広く受け入れられるようになった世相が影響し、キリストの教えを融合した新たな愛が生まれた。子育て関連でよく使われる「無償の愛」だが、自己犠牲を厭(いと)わない博愛主義を意味するキリスト教の愛のひとつである。戦後以降における「専業主婦」の定着と相まって、子育てにも大きな影響を与えた。
日本は神道の国と言われるが、私たちの生活は仏教や儒教、キリスト教の影響を色濃く受けており、そしてさまざまな愛が醸成されている。多様な宗教観に裏打ちされた姿こそが、真の日本文化と言えるかもしれない。
画像出典:『引札類 聖徳太子』(京都国立博物館所蔵)