江戸時代の人々がこだわっていた「美白」。肌を白く見せるために「白粉(おしろい)」が流行したのですが、その驚きの原料の一つとは……!?
白粉の原料に使われたのはなんと「鉛」
白粉の原料の一つに、なんと「鉛」がありました。鉛白粉は、値段も安く、落ちにくく、江戸時代の庶民が手に入れやすかったのだとか。さらに鉛白粉を使用していたのは、女性だけではありません。当時、庶民に人気のあった歌舞伎役者もこの鉛白粉を大量に使用していました。ところが演技中に足の震えが止まらなくなった役者の症状が鉛中毒によるものであったことが判明します。この明治20(1887)年に起きた事件をきっかけに鉛の有毒性が明らかになり、鉛白粉の使用も問題視されるようになりました。まさに命がけの化粧となってしまったわけです。しかし、しばらくは使い続けられ、昭和9(1934)年にようやく「鉛入りの白粉」の製造が正式に禁止されました。
流行り病で顔に痣が残る
医療技術が発達していなかった時代には、はやり病の疱瘡(ほうそう、天然痘のこと)にかかると、命は助かっても顔に痣が残ることが多々ありました。現在、放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀の妻、煕子とのエピソードにこんな話があります。
天然痘にかかってしまった煕子は、病は完治しても顔に痣が残ってしまいました。婚姻が破談になることを恐れた煕子の家族は、なんと妹を替え玉にして嫁がせたのです。しかし、明智光秀はこれを見破り、家族から事情を聞いた光秀は、「容姿は変異するが、内面は変わらない」と煕子を妻にしました。
妊娠中の妻を背負って逃げる。貧しい暮らしを髪を売って支える。明智光秀と熙子の夫婦愛
江戸時代も美にかける熱意はすごかった!
今の女性たちは美容にかける時間やお金がすごい!と思われがちですが、江戸時代の女性たちも負けてはいませんでした。江戸の美容家とも伝わる佐山半七丸(さやまはんしちまる)が書いた『都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)』には、美白だけでなく、手足のボディケアや美脚マッサージ、ヘアアレンジなど、現代の女性誌と同じような項目が並んでいるのです! いつの時代も「美」にかける熱意は変わらないのですね。
美白テクからニキビの治し方まで!江戸版おしゃれマニュアル『都風俗化粧伝』を読んでみた
アイキャッチ出典:国立国会図書館デジタルコレクション