Culture
2020.03.17

妊娠中の妻を背負って逃げる。貧しい暮らしを髪を売って支える。明智光秀と熙子の夫婦愛

この記事を書いた人

現在放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』。私の中では、門脇麦さんが演じる少女・駒ちゃんが強く印象に残っています。

オリジナルキャラクターなので素性がわからず、登場回数も多い。オマケにぴょこぴょこと可愛らしいだけでなく、「これはラブコメか!」と突っ込みたくなるような匂わせシーンまで用意されていては、気にするなというほうが厳しいでしょう。

しかし、ドラマが歴史上の事実を重視するならば、明らかにヒロインっぽい駒ちゃんが光秀と結ばれ、幸せに過ごす未来は訪れないと断言できます。なぜなら、光秀には他に愛してやまない唯一の妻がいたから。

今回の記事では、光秀とその妻・熙子(ひろこ)との間に残されている、伝説的な「ラブラブエピソード」をご紹介していきます!

熙子についてハッキリ分かる史実はほどんどない

記事を書き進めていくにあたって、皆さんにはザンネンなお知らせをしなければなりません。

本記事における「ダブル主人公」の一角・熙子について、ハッキリ分かっている史実はほとんどないのです。そもそも名前の「熙子」という表記さえ確かな史料には記載されておらず、近年になって名付けられた呼び名であると考えられています。出自について分かっているのは、生まれが美濃国妻木(現在の岐阜県土岐市)で、同地で力をもっていた妻木氏という一族の女性であると推定されていることぐらい。
(ゆえに、彼女は「妻木熙子」ないしは「明智熙子」と呼ばれますが、当時は女性名を「姓+名」で表現することはありませんでした。なので、記事内では「熙子」とのみ表記しています)

このように彼女の出自はかなり不明点だらけなのですが、具体的な生涯はもっとよく分かりません。というか、ぶっちゃけな~んにも分かっていません。史料からハッキリ言えることとしては

・天正4(1576)年、「光秀の妻」が病気になった(『兼見卿記』)
・同年、「光秀の妻」の病気が回復した(『兼見卿記』)
・天正5(1577)年、「光秀の妻」が亡くなった(『西教寺過去帳』)

の三点だけ。オマケに「光秀の妻」が熙子であるという確証はありません。「ラブラブエピソードどころか、熙子のこと何にも分かんないじゃん!」そう言いたくなる気持ちも分かります。

しかし、彼女と光秀のラブラブエピソードは、彼らがとうに死んだ後世(主に江戸時代)に多く書き残された「軍記物」の中に多く登場します。これらは今風に言えば「歴史小説」なので、ぶっちゃけ信ぴょう性はイマイチ。話を面白くするために、エピソードが盛られることも珍しくありません。

つまり、光秀・熙子夫婦のエピソードは「事実でないとは言い切れないが、盛られている可能性がかなり高い」という類のものなのです。それをご承知おきのうえで、以下のエピソード集をお読みください。

病気で顔に跡が残ってしまった熙子を妻にした

熙子と光秀の婚約をめぐって、彼らの実家である妻木家・明智家は縁談を進めていました。しかし、話が順調に進み、熙子の嫁入りが間近になった際に悲劇が起こります。なんと熙子は天然痘に感染してしまい、死にこそしませんでしたが顔に病気の跡が残ってしまったというのです。これには妻木家も焦ったことでしょう。当時の結婚は家の存亡をかけた政略的なものでしたから、美貌を損なったことで話が流れてしまっては一大事。そこで彼らは一計を案じ、顔を患った熙子に代わって妹を替え玉として送り出したのです。

いざ光秀と対面する場面になりました。すると、光秀が替え玉を見破り「この女性は熙子ではない」と告げたのでしょう。妻木の者たちが慌てて事情を説明したところ、彼はこう言ったのです。「容姿は年月や病気によって変わってしまうもの。しかし、内面は不変である。」…と。結局、光秀はそのまま熙子と結婚しました。

「ヒューヒュー!光秀さんカッコイイ!」と、我々も光秀にホレてしまいそうな逸話。もちろん事実かは分からないのですが、仮にそうだとすれば妻木側の誰かがボロを出してしまったのか、光秀が天才的なカンで替え玉を見破ったのかは気になるところです。

落城の際、身重の熙子を背負って逃げた

弘治2(1556)年、光秀とその一族である明智家は「斎藤道三VS斎藤義龍」のお家騒動に巻き込まれます。彼らは道三寄りの中立を決め込みますが、長良川の戦いで道三はあえなく敗死。「道三の側についた」として、義龍の怒りを買ってしまうのです。明智家は大軍に攻め込まれ、本拠・明智城は落城します。光秀は一族と運命を共にしようとしましたが、叔父・明智光安の「生き延びて明智を再興せよ」という言葉に従い、逃げ延びて再起を図ろうとしました。

しかし、光秀はとある問題を抱えていました。当時熙子は妊娠中であり、敵の追っ手をかいくぐりながら逃亡させることはできませんでした。とはいえ、言うまでもなく彼女を残していけば確実に敵の餌食にされてしまう状況下にあったのです。

そこで光秀は、身重の熙子を背負って逃走を図りました。

戦場からの離脱は単身でも危険だらけですが、さらなるリスクを抱えてでも熙子を守り通そうとしたのでしょう。結果として光秀の策は成功に終わり、彼らは命からがら美濃を脱出することができたのです。

光秀さん、あんた超イケてますよ! まあ、マジレスしてしまうと当時の武士が一人で行動することは皆無だったので、背負ったとしても彼ではなく部下だったとは思いますが…。

貧しかった光秀の暮らしを、髪を売って支えた

明智一族の跡取りから、一介の浪人へと転落してしまった光秀。近年では越前朝倉氏のもとへ落ち延びたとも言われていますが、とにかく貧乏暮らしを強いられていたよう。しかしながら、戦国時代を生きていくには「カネ」が必要でした。

当時、光秀は連歌会を催すための準備(単に客人をもてなすためとする記述もある)をしていました。光秀は連歌に長けた武将でしたが、当時の連歌会主催にはとにかく資金が必要。しかしながら、連歌には娯楽だけでなく政治的な意味合いもあり、「カネがないから」といって避けては通れない道でした。

光秀は熙子に対し「客人をもてなしてくれ」と頼みましたが、家に先立つモノはありませんでした。そこで熙子は自分の髪を売ることで費用を捻出し、なんとか準備を整えたのです。

しかしながら、髪を売ってしまえば熙子の容貌は変わります。光秀は短くなった髪を目にし「お前、まさか出家するんじゃないだろうな!?」と怒りをあらわにしたといいます。言うまでもなく光秀は落ちぶれた身の上でしたから、熙子が愛想を尽かして出ていってしまうと考えたのでしょう。とはいえ、事実はむしろ逆。事情を知った光秀は妻に深く感謝し、「天下をとってもお前以外の妻は作らない!」と決意を固めました。

オー・ヘンリーの名作小説『賢者の贈り物』を彷彿とさせるハートフルなエピソード。実際、古くは平安時代から女性の髪は価値を認められていたので、真偽はともかく話の辻褄自体はバッチリです。光秀も信長の右腕にまで出世しますから、髪を売って支えた価値はあったのかもしれません。

ただし、近年では光秀が側室(正妻以外の妻)をもうけた可能性も指摘されており、本当に一人だけの妻を愛し続けたかどうかは微妙です。

病気になったお互いを気遣う仲だった

天正4(1576)年、光秀は過酷な労働が原因と思われる病に見舞われて倒れてしまいます。

このとき、熙子は光秀の友人・吉田兼見に病気治癒の祈祷を願い出ています。友人の危機を知った兼見はさっそく祈祷を実行に移し、一時は「アイツ、死んだんじゃね?」と噂されるほどであった病状も回復していきました。

しかしながら、今度は同年の冬に熙子が病で倒れてしまいます。看病疲れなのか、あるいは光秀の病が感染したものなのか、どんな病気かは分かりません。光秀は妻の有事に際して、かつての自分と同じように兼見へと祈祷の願いを伝えます。兼見はその言葉に応えて、ふたたび祈祷を実行。すると熙子の病状もすっかり快方に向かい、光秀は兼見に感謝の証として褒美を与えました。

夫婦の細やかな気遣いが垣間見えるエピソードですが、これは列挙してきた他の「眉唾ものエピソード」とは一線を画します。先ほど「熙子の生涯」を語るうえで触れたように、兼見の日記『兼見卿記』に残る確かな話なのです。

が、繰り返しになるものの、本文では「光秀の妻」としか書かれておらず、この女性が我々のイメージする熙子本人である証拠はありません。「光秀が側室をもうけないと宣言した逸話」も根拠にはならないので、真相は分からないのです。また、翌年には「光秀の妻」が亡くなってしまったという記録も残されています。「アレっ、熙子の病気は回復したんじゃないの?」と突っ込みたくなりますが、ここの答えも現状では分かりません。単純に熙子の病気がぶり返して亡くなってしまったのか、「病気から回復した光秀の妻」と「亡くなった光秀の妻」は別人なのか…。現状では神のみぞ知る領域です。

彼らの夫婦愛に感動した芭蕉が句を残した

明智光秀とその妻・熙子が亡くなってから100年近く経った元禄2(1689)年のこと。俳諧の第一人者である松尾芭蕉は、後に『おくのほそ道』としてまとめられる旅行の最中でした。彼は旅の途中で「熙子が髪を売って光秀を支えた話」が伝わる寺・称念寺を訪問。その後は弟子である山田又玄の家へ向かいました。この又玄という人は、才能は確かながら出世が叶わず、貧しい暮らしを強いられていることに悩んでいました。しかしながら芭蕉の訪問を歓迎し、彼の妻が甲斐甲斐しくもてなしました。気立ての良い彼女の姿を見た芭蕉は感激し、こんな歌を送ります。

月さびよ 明智が妻の咄(はなし)せむ

「明智が妻のはなし」とは、言うまでもなく髪を売った逸話。芭蕉はこの伝説になぞらえ「あなたは出世できず貧しい境遇にあるけれども、こんなに素晴らしい妻がいるじゃないか」と弟子に語りかけたのです。

かの芭蕉をも感激させた熙子の心遣い。『麒麟がくる』では木村文乃さんが熙子を演じると発表されており、今から登場が楽しみです!

書いた人

学生時代から活動しているフリーライター。大学で歴史学を専攻していたため、歴史には強い。おカタい雰囲気の卒論が多い中、テーマに「野球の歴史」を取り上げ、やや悪目立ちしながらもなんとか試験に合格した。その経験から、野球記事にも挑戦している。もちろん野球観戦も好きで、DeNAファンとしてハマスタにも出没!?