この夏の話題をさらったドラマ『半沢直樹』が終わり、「半沢ロス」に陥っている人が増えているようです。それにしても、このドラマを見て、改めてサラリーマン社会の大変さを思い知りました。根回し、接待、土下座、自分の保身のために懸命に立ち回るも、状況が悪くなればあっさりと切られてしまう様子は、まるで「あやつり人形」。サラリーマンなら当たり前の光景だ! と思いつつ、怒りが頂点に達しそうな時、半沢直樹の「倍返し」に仕事を頑張る気力を与えられた人も多かったのではないでしょうか。
『枕草子』にも登場する『傀儡子』
答えは、『半沢直樹』のドラマでも上司に思いのまま、動かされてしまっていた部下を比喩した言葉。そう、「あやつり人形」でした。
語源は中国語で「あやつり人形」を意味する「傀儡(かいらい)」に由来します。日本に伝わり、当時人形遣いをしながら周遊する旅芸人たちにその言葉を充て、彼らを「傀儡子(くぐつし)」と呼びました。宮廷の文人官僚・大江匡房(1041~1111年)が書いた『傀儡子記』や清少納言の『枕草子』にも、木で作った人形を操り、歌や踊りを披露し、諸国を周遊していた旅芸人たちが登場します。そこから派生して、「人を思い通りに動かす。人を裏で操る」といった意味にも使われるようになりました。
江戸時代には人形浄瑠璃として花開く
全国各地を行脚する人形遣いは各地で隆盛を極めました。また、歌や音楽に合わせて物語る浄瑠璃も庶民の人気を集めていました。それが江戸時代に入り、浄瑠璃を人形に演じさせる「人形浄瑠璃」へと進化します。これが無形文化遺産である「文楽」の原点で、今では高尚な伝統芸能とされていますが、元は大衆芸能の一つだったのです。元禄16(1703)年に大坂(現在の大阪)で旗揚げした「竹本座」で、浄瑠璃や歌舞伎の作者であった近松門左衛門が座付き作家となり、文楽は歌舞伎以上の人気を誇る芸能となりました。
市井で起こる様々な出来事を題材に、残酷なシーンやなまめかしい男女の痴情のもつれなど、ドロドロとした人間模様を人形に演じさせた文楽は、現代のテレビドラマのように、日常生活の鬱憤を晴らす最高のエンターテインメントであったと言えます。
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あの『麒麟がくる』で斎藤道三が言い放った怖~い言葉!
もう一つ、現在放送中の人気ドラマ『麒麟がくる』でもこんな場面が登場しました。本木雅弘演じる斎藤道三は、かつて自分を引き立ててくれた恩人でもある土岐頼芸を守護に仕立て、自分の思うままに美濃を動かそうと企てます。それを知った土岐頼芸はこんなセリフを吐きます。
「守護がいようがいまいが、守護代のそなたがすべてを取り仕切っているではないか。今や土岐家など、そなたのあやつり人形じゃと皆が申しておる。今更、守護など。まだそなたに毒は盛られたくない」
するとすかさず、斎藤道三は、
「あやつり人形に毒は盛りませぬ」
と言い放ちます。
斎藤道三を演じた本木雅弘の凄みのある演技に、視聴者からも「背筋が凍るシーン」と話題になりました。
※守護=鎌倉時代から室町時代に置かれた武家の職制。国の地方官。
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『麒麟がくる』ではさらに、将軍足利義輝が討たれ、その跡を継ぐ足利義昭を裏支えする織田信長が、最終的には利用して天下統一を目指します。織田信長のあやつり人形となった足利義昭は、最後には京から追放され、室町幕府は滅亡してしまいます。下克上の戦国時代には、部下が上司を操ることも珍しくなかったのでしょう。
時代によって、操られる側も変わるもの。時には「俺、今、上司を傀儡ってるんだぜ!」なんてことを言ってみたいものですね!
アイキャッチ画像:メトロポリタン美術館所蔵より