江戸幕府公認の遊郭、吉原。美しい遊女と一晩を過ごし、男性はつかの間の疑似恋愛を楽しみました。
吉原は高級な遊郭で、遊ぶのに大金がかかります。しかし、お金を払って性行為をしにきたのに、何もせず帰らされたり、隣に寝ている美女に手を出すことを禁じられたりという、理不尽なシステムがあったのだとか。
今では考えられない「蛇の生殺し」システムをご紹介しましょう。
年若い美女と過ごす不毛な時間「名代」
吉原の遊女は、同じ時間に複数の客をとることがありました。いわゆる「ダブルブッキング」です。現代なら考えられないことでしょう。
もちろん、同じ時間に複数の客の相手をすることはできません。そんな時は、新造(しんぞう)という遊女の見習いの女性を「名代(みょうだい)」として客にあてがいました。「ちょっとこの子と話をして待っていてくださいな」ということなのですが、この新造に手を出すのはご法度。布団の上で2人枕を並べながら、ただ喋っていろと言うのです。
若く美しい新造と同じ寝床に入って、当然男は黙っていられません。寛政13年に書かれた『恵比良濃梅』には「こっちを向きなさい。何でもあげるから」「やめてください。大声を上げますよ」などと、客と新造がもみ合う様子が描かれています。新造は、もし客と何かあった際は厳しい折檻を受けたため、必死に抵抗しました。男の方は、まさに蛇の生殺し状態と言えるでしょう。
結局何もせず帰ることも
遊女が同じ時間に複数の客をとっている場合、長々と待たされるだけでなく、結局何もせずに帰らされることもありました。これを「ふられる」と言います。
遊郭は「割床(わりどこ)」といって、大部屋で屏風を隔てた状態で性行為を行うのが一般的でした。そのため隣の楽しんでいる声が丸聞こえ。それを聞かされながら、遊女が来るのを今か今かと待ち、結局そのまま会えずじまい……なんてことになったら、どんなに悔しい思いをしたでしょう。
寛政2年に書かれた『傾城買四十八手』によると、待たされた客は、目はすっかり冴えて落ち着かないのに「今来たか」と思えば寝たふりをする……などと書かれています。散々待たされてイライラしているだろうに「全然待っていませんよ」という余裕を演出する男たち。そんな見栄を張る者もいれば、怒り出す者もいたようです。
なぜお金を払って「何もせず帰る」が許されたか
お金を払ったのに、正当なサービスが受けられない。現代では考えにくいことですが、なぜこんな理不尽が許されていたのでしょうか。それは、吉原は疑似恋愛をする場所でもあったため、思うようにならないことも趣として楽しんでいたのだと言います。お金を払えば何でもできる。吉原はそのような無粋な場所ではなかったのです。
……という理由もあったでしょうが、お客の方も「昨日吉原に行ったら、遊女が来てくれなくて、何もせずに帰ったんだよ」なんて恥ずかしくてなかなか言い出せないでしょう。お店にクレームをつけても「あなたが無粋だから、遊女が嫌がったんじゃありませんか」なんて言われたら恥をかくだけ。そんな男の見栄が、理不尽ともいえるシステムを許していたのではないか、とも思います。
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行為中の声が丸聞こえ!屏風一枚隔てただけの「割床」は吉原でも当たり前だった?