悪いことをすれば、何かしらの罰を受けるもの。しかし、その罰があまりにも残酷であれば、罰を与える方も苦しみを感じるものです。
江戸時代には「鋸挽(のこぎりびき)」という、最も重い刑罰が定められていました。しかし、あまりに残虐だったため、誰も処刑を引き受けなかったのだとか。一体どんなに恐ろしい刑罰なのでしょうか。
鋸挽とは
鋸挽は、当時最も罪が重いとされていた「主殺し(主君殺し、父親殺しも含む)」を犯したものに適用される、江戸時代の最高刑。刑罰自体は、江戸時代以前からも行われていました。
江戸以前の処刑方法
江戸時代より前の時代では、実際に竹の鋸や鉄の鋸で罪人の首を挽いていました。鋸を使ったことがある方はわかるかもしれませんが、鋸は素人が簡単に使いこなせるものではありません。私も、学校の授業でうまく木材が切れず苦労した記憶があります。
そのようなもので人の首を挽けば、どんな大惨事になるか想像できるのではないでしょうか。
形式化した江戸時代の鋸挽
江戸時代になると、鋸挽は最高刑として定められました。刑は、このような順序で執行されます。
1. 市中引き廻し
2. 2、3日晒しものにする
3. 鋸で首を挽く
4. 磔(はりつけ)にする
三代将軍・徳川家光の頃には「7日かかってようやく挽き終えた」という例もあったそうで、あまりに残酷なため、誰も首を挽きたがらなくなってしまいました。
そのため鋸挽は形式化し、晒しもの→磔の順になりました。ただ、もし挽きたい者がいれば挽いても良かったのだそうです。
罰を与えるものの苦しみ
火刑や厳しい拷問を行っていた江戸時代でも、誰も執行したがらなかった鋸挽。どれほど残虐だったのかと想像されます。
筆者の私には子どもがいますが、子どもが間違ったことをすれば、親が厳しく注意しなければならなりません。涙を流す子どもの顔を見ると、叱っているこちらの胸が苦しくなることもあります。そんな些細なことでさえ辛いのですから、重い罪を犯せば、被害者はもちろん、罰を与えなければならない人までひどく苦しめることになるのでしょう。
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参考
『変態風俗の研究』田中祐吉 著
『世界大百科事典』平凡社
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『司法制度沿革図譜』国立国会図書館デジタルコレクションより