琉球語とは単に琉球地方で話されている言葉ではない。太古の昔とも深い関係で結びついており、歴史的にも価値あるものなのだ。
その昔、日本列島に住んでいた人が北や南へと移住。一説によると、その末裔に相当するのが琉球人やアイヌ人であるとされている。琉球人やアイヌ人が日本人の古い特徴を数多く受け継いでおり、縄文人に非常に近いということは人類学者や医学者などの調査でも追認されている。さらに時代は遡り、旧石器時代には沖縄本島南部に港川人と呼ばれる日本最古の人類が住んでいたとも言われている。
縄文時代の言語資料ということになると、ほとんど残されていない。2009年2月、国連教育科学文化機関(UNESCO)」によりアイヌ語や八丈語とともに将来消滅の可能性が高い言語に認定された琉球語。日本における古(いにしえ)の文化を知る何らかの手がかりを与えてくれるかもしれない。
さあ、現代日本語のルーツとも関係があると思われる琉球語の世界を覗いてみよう。
琉球語って何?
琉球語とは読んで字のごとく、琉球地方で話されている言語である。ただ、琉球と聞いて沖縄だけをイメージする人は少なくないはず。
正確に言うと、奄美諸島から沖縄県に属する沖縄本島およびその島嶼部にかけてのエリアが琉球だ。よって、行政上は鹿児島県に属する奄美諸島(奄美大島、喜界島、加計呂麻島[かけろまじま]、請島[うけじま]、与路島[よろじま]、徳之島、沖永良部島[おきのえらぶじま]、与論島)もまた琉球である。
琉球語とは以上の地域にて話されている言葉を指し、琉球語には奄美方言(奄美群島で話される方言)、沖縄方言(沖縄本島の方言)、宮古方言(宮古列島およびその周辺の島嶼部の方言)、八重山方言(八重山列島の方言)、与那国方言(与那国島の方言)が含まれる。なお、必ずしも「沖縄で話される言葉=琉球語」というわけではない。例えば台風の季節にテレビのニュースなどでよく耳にする南大東島。行政上は沖縄県に属するものの、そこで話されている言葉は八丈方言だ。
沖縄の言葉と聞いてまず思い浮かぶのが「ハイサイ」「うちなーぐち」「でーじ」などだろう。
一般に、沖縄県の方言として、多くの旅行サイトでもそのように紹介されている。しかし、それらの言葉は本来、沖縄本島の中南部の言葉として使われていたものである。
一言に琉球と言っても幅広い。琉球諸島がこれまで歩んできた歴史を考慮しても、北琉球と南琉球は全く異なる文化圏にあると言っても過言ではない。言語学的に奄美諸島から沖縄本島までのエリアは北琉球、一方で沖縄本島より以西のエリア、すなわち宮古諸島、八重山諸島、与那国島は南琉球として括(くく)られる。
琉球語というのは実に多様性に富んでいる。どれほど多様なのかというと、琉球の島々を日本列島の本州と照らし合わせた地図が非常に分かりやすい(ちなみに、以下の地図は、2011年に開催された 国立国語研究所第3回国際学術フォーラム「日本の方言の多様性を守るために」 での琉球大学の狩俣繁久教授の資料の中に提示された図をもとに作成したものである)。
この地図によると、北端の喜界島(奄美諸島の一部)は仙台、沖縄本島の那覇は長野県周辺、宮古島は京都と大阪の府境付近、石垣島は淡路島の西側、西端の与那国島は岡山と広島の県境付近だ。琉球列島の最北端に位置する喜界島と最西端の与那国島とでは全く会話が成り立たず、また沖縄本島の人が宮古島の人の会話を理解することは困難を極める。
さて、上の地図を見て、ふと思わないだろうか。実際、岡山出身の人が訛りの強い仙台弁を理解できないだろうが、会話が全く成り立たないということはない、と。そこで、琉球語を専門とし、琉球語用のフォント「しま書体」の開発にも携わっている熊本県立大学の小川晋史先生に尋ねたところ、非常に興味深いコメントを頂いた。
いまであれば仙台と淡路島の人が会話できるのは、日本語共通語が媒介言語として存在するからです。しかし100年前とか江戸時代は難しかったのではないでしょうか。日本語は共通語化(あるいは標準語教育)が進んだだけ、”多様でなくなってきてる”とも言えます。琉球語は(話者は日本語で教育を受けてるので日本語共通語で会話できますが)、琉球語には共通語(標準語)が存在しないので、琉球語は”多様なまま”(通じない)わけです。
日本全国の人々と普通に会話ができるというのは一見メリットのように思えるが、これはある意味で方言の多様性が喪失してしまっているという現実でもあるのだ。
明治政府により日本語の標準語教育が敷かれ、琉球の人々は日本語を使用するようになった。が、彼らの琉球語は依然として多様なままであった。 それが、(『琉球のことばの書き方-琉球諸語統一的表記法』(小川晋史/くろしお出版)に提示された琉球語用の表記法および、それに対応したフォントである「しま書体」の開発へつながったという。
さらに、美ら海水族館や首里城などの観光名所を有し、多くの観光客にとって身近な存在である沖縄本島。広さにして札幌と同程度の1208.53平方キロメートル(国土地理院による全国都道府県市区町村別面積調(令和2年10月1日現在)に基づく)の沖縄本島だが、市町村や地域によって方言が異なり、言語差も大きいという。
ただし、現在の琉球語話者は日本語で教育を受けており、基本は日本語と琉球語のバイリンガルである。あえて琉球語のみで話すとなると会話が成り立たないかもしれないが、現実は異なる地域の人が話す時には、標準語である日本語を頼りに理解しようとしているようである。
バイリンガル云々については、琉球語の話者に限らず、他の方言の話者にも言えないだろうか。つまり、大阪出身者であれば、大阪弁と日本語のバイリンガルであるわけで、異なる地域の人と話す時には標準語で理解しようとする。
標準語で解釈する時にのしかかる認知的負担の面では、標準語化が進んでいない以上、琉球語の話者において大きいものだろう。琉球語話者の会話時における認知的負担を軽減するという意味では「しま書体」は有用な方法と言える。
琉球語は多様性に富んだ言葉?
では、日本の方言の中でも琉球語はなぜこれほどまでに多様性を示しているのであろうか。
そもそも北琉球と南琉球とではルーツが異なる
琉球の歴史について簡単に説明すると、「グスク時代」「琉球王朝時代」、そして「近世~近代」の3つの時代に分けられる。グスク時代とはおおよそ12世紀から16世紀までの期間を指し、それ以前には「貝塚時代(なお、これは北琉球地方における呼び名である。南琉球地方では「先島先史時代」と呼ばれている)」があった。
グスク時代以前の琉球は、北琉球と南琉球とでは文化が全く異なっていた。実際、北琉球には縄文文化、一方の南琉球には台湾系のオーストロネシア文化が根付いていた。北琉球の縄文文化は南琉球において全く見られないというし、一方で北琉球にはオーストロネシア文化の痕跡は見つかっていない。したがって、北琉球と南琉球は同じ琉球と言えども、全く別の歴史を歩んできたのであり、その文化がそれぞれの島の言葉に反映されていると見てよいだろう。
琉球諸語の共通の語彙(ごい)は8割程度
言葉というのは時代とともに常に変化しており、時代の流れの中で生まれたものもあれば、消えたものもある。これは琉球地方に限らず、どの地域の言葉にも当てはまるだろう。ところが、琉球語の場合、原形からは予想できないほどに変化を遂げた言葉が多く、これが琉球語の多様性の一因へと繋がっている。例えば、標準語で「頭」を表す言葉だが、琉球諸語だとこんなにも異なる。
a. はまち (奄美大島加計呂麻島諸鈍方言)
b.ちんぶ (沖縄本島今帰仁方言)
c. かなまい゜ (宮古列島大神方言)
d. あますくる (波照間方言)
e. みんぶる (与那国方言)
標準語ではあまり見かけない「い゜」という文字が……。これは主に宮古諸島で見られるものである。「い」と「う」の中間音であり、舌先を歯茎の後ろで構えて発音する。
Googleマップ上をネットサーフィンしていると、日本本土にはない独特の地名をいくつも見かけることがある。例えば具志堅(ぐしけん)や安次嶺(あしみね)、安慶名(あげな)など。実際、琉球語と現代日本語との共通の語彙は70パーセント程度であるという。本州在住の筆者から見て沖縄の言葉が異質に思えるのはこのためであろう。(筆者としては、沖縄の地名はどことなく奈良時代の『万葉集』に使用される万葉仮名に似ている気もするわけだが……)。さらに、琉球諸語となると共通の語彙は80~85パーセントほど。あえて琉球語で話そうとした場合、意思疎通が成り立たない理由はここにあると言える。
特に宮古諸島の方言が理解できない?
私たちが普段使う日本語で半濁点(゜)が付くのは、ハ行の「パ」「ピ」「プ」「ぺ」「ポ」のみである。宮古方言の場合、他の行の音にも半濁点が付き、「い゜」「み゜」といった、意味不明な仮名も。沖縄本島の人と宮古島の人との会話において困難を強いられることはすでに述べたが、その理由はこうした特殊な言語体系にあるのかもしれない。和樂webでは、「沖縄の離島「多良間島」の行き方・楽しみ方は?不思議な島の魅力を紹介!」の記事で多良間島の方言を取り上げたが、多良間島の方言は宮古方言のひとつである。
宮古諸島には世界の言語学者の間で注目を集めている方言がある。それは大神島で話されている方言だ。
池間大橋が架かる池間島と、その島から見渡せる位置にある大神島。比較的近距離にありながら、海を挟んだ両島では全く異なる言葉が話されている。例えば、池間島には「ブ」「ガ」「ジ」の音が存在するが、大神島にはない。実際、池間島でお腹を意味する「バタ」。大神島ではその発音は「パタ」である。
現代日本語では、「卵(tamago)」の例に見るように、その言葉を構成する「タ(ta)」も「マ(ma)」も「ゴ(go)」も母音と子音がセットになっているというのが基本である。ところが、大神島の方言の場合、英語のように子音が3つ以上連なるケースも少なくないという。また、大神島には基本的に母音のように、声帯を振動させて発音される音がない。こうした現象はモロッコのベルベル語やカナダのハイルツク・オウエキヤラ語(ブリティッシュコロンビア州の一部地域で話されている言葉)といったあまり聞き慣れない言語でも報告されている。とにかく大神島の方言は世界的にも珍しい事例であるということだ。
琉球語自体が現代日本語からかけ離れているが、大神島の方言ということになるとさらに遠い存在であることが分かる。昔から「神様が住む島」として言い伝えられてきた大神島。その神秘性は島の内部にとどまらず、話されている言葉にも満ち溢れているのだ。
こうして見ると、北琉球よりも南琉球のほうがより言語多様性を示しているとも思われる。しかしながら、北琉球と南琉球を天秤にかけた場合、どちらが多様性に富んでいるかに関して一概に言えないという。標準語では「あ」~「わ」までの音が50音で表されるが、琉球語だと200音近くだとか、80音くらいだとか、島によってばらつきがある。(そもそも日本語の発音の基本をなす母音の数が島ごとに異なっていたりする)。島ごとに独自の言語体系が確立されており、それが琉球語全体の多様性へと繋がっていると言える。
琉球語は日本語のルーツなのか?
日本最古人類としての明石原人の可能性が否定された今、日本最古の人類として有力な候補に挙がるのが、沖縄本島南部で生活したとされる港川人や山下洞人である。いずれも、旧石器時代に生活していたとされる人類だ。この流れから、琉球語を日本語のルーツとして考えるのはごく自然なことのように思われる。実際、日本語の古代語ともいくつかの共通点を有する。
琉球語は日本の古代語と共通点が多い
現代日本語の母音は「あいうえお」の5音のみだが、古代には8つの母音が存在したとも言われている。その点で今日の琉球語に通じるものがある。もしかすると古代日本語は現代よりも多様性に富んだものであり、その後文法規則が簡略化し、現代のようになった、という可能性は考えられないだろうか。
その他にも、係り結びが存在したり、万葉集の時代に適用された文法が一部の語彙が見られたりするなど、琉球語には日本語の古い形態が残っている。以上より、琉球語は古代日本語の特徴を受け継いだ言葉として考えることができる。
琉球語と台湾の言葉との関係は?
日本最西端に位置する与那国島は台湾とは目と鼻の先にある。距離にして約110キロメートル。これは対馬と韓国・釜山(プサン)との距離とほぼ同等だ。対馬から釜山の花火大会が見えたとの話を聞いたことがあるが、110キロメートルは極めて近距離だ。
よって、はるか昔に与那国島と台湾間において人の出入りがあってもおかしくはない。実際、与那国島をはじめとする、宮古島、八重島諸島の南琉球エリアへのオーストロネシア民族による入植が確認されている。が、オーストロネシア民族との接触があったとする証拠は現時点では存在せず、オーストロネシア語からの借用は認められていない。さらに、生物学的に見ても、琉球諸島の住民がオーストロネシア系の台湾原住民と無関係であるようだ。少なくともこれまでの調査を参照する限りにおいては、琉球語がお隣りの国である台湾の影響を受けた言葉であるとは言えない。
1980年代初頭、レイコフ&ジョンソンの『Metaphors We Libe By(邦題タイトル:レトリックと人生[渡部昇一他訳])の出版が端を発して認知言語学が成立、1990年以降には考古学の下位分野として認知考古学が登場し、人間の心理の観点から古代の歴史を明らかにする動きが出始めている。その過程の中で人間の心理が投影された言葉について解明されても不思議ではない。ところが、土偶の持つ意味に関する研究はあっても、その当時どのような言葉が話されていたのかという研究は皆無である。
日本語や琉球語の歴史を辿っていくと共通の祖先に辿り着く。しかしながら、その祖先が具体的に何であるかについてはいまだに分かっていない。現在、国立国語研究所では研究プロジェクトを通じてそのルーツを探っている最中であり、今後の研究の進展を見守りたいところである。
琉球語を体験しよう
各地方でとり行われている伝統行事や祭祀において詠まれる神歌や、各地方に伝わる琉歌(りゅうか)を通じて琉球語に親しむことができる。琉歌とは聞き慣れない言葉だが、言うなれば日本列島における和歌のようなものだ。
こちらは、沖縄人類発祥の地として知られ、沖縄本島の国頭郡今帰仁村の沖合にある古宇利島で1988年夏に執り行われた「サーザーウェー」と呼ばれる祭祀の様子を撮影した写真である。(音声を再生し、神歌の中の琉球語を聴いてみよう)。
沖縄出身のアーティストによる活躍が目覚ましい昨今であるが、彼らが発表した音楽の歌詞の中でも琉球語由来の言葉を発見できるかもしれない。例えば2000年、沖縄出身のアコースティックバンドBEGINのシングルとして発売され、その後夏川りみさんによりカバーされた「涙そうそう」。涙の読みが「なみだ」ではなく「なだ」であるのは、沖縄の方言に由来する。なお、琉歌では韻律の特色上「なだ」と詠まれることもあれば、「なみだ」と詠まれることもある。
北海道や東北地方にはアイヌ語由来の地名が多く、一方で九州地方には邪馬台国(所在については諸説あるが……)の名残からその影響を受けた地名が多いと言われている。北海道や東北地方の地名を通じてアイヌ文化を知るように、沖縄の地名は古代の言葉に関するヒントを与えてくれるかもしれない。
冒頭でも述べた通り、琉球語は今、消滅の危機に瀕している。一方で、古代日本とも関わりのある言葉でもあり、守るべき理由はここにあると言えよう。
あとがき
沖縄の離島を舞台に展開されたドラマ『Dr.コトー診療所』では、離島から船に乗り込み、何時間もかけて沖縄本島の病院へ出向く場面があった。沖縄では島から島への移動はまさに命懸けで、ドラマでは吉岡秀隆扮(ふん)するコトー先生が船酔いするシーンも。ドラマのシーンからも分かるように、沖縄ではとにかく島間の移動が壮絶だ。それがゆえに、基本的に生活の基盤が島の中のみで完結せざるを得なくなり、その結果島ごとにコミュニティーが形成され、それぞれに独自の言語体系が生み出された。そして、それが琉球語の多様性を生む一因となっていると言える。
同様に、それぞれの島が海で隔たれた瀬戸内海の島嶼部でも、琉球諸島には及ばないにせよ、それなりの言語の多様性が見られるのではないか……。ということで、瀬戸内海の島嶼部の方言をちょっと探ってみたくなった。
アイキャッチ画像:写真AC
(取材協力)
熊本県立大学 小川晋史先生
(主要参考文献)
「琉球方言から考える言語多様性と文化多様性の危機」狩俣繁久 日本の方言の多様性を守るために:国立国語研究所第3回国際学術フォーラム
『琉球列島の言語と文化:その記録と継承』(田窪行則 編)くろしお出版