Culture
2021.03.17

このお札何かがおかしい…京都で見つけた「十銭札」のヒミツに迫る

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2019年の4月、2024年をめどに日本の紙幣デザインが変更されると報道されたことを覚えていますか? このように、日本のお札は偽造防止や時代の移り変わりを理由として定期的に変更されます。こうしてデザインが一新されると、それまで発行されていたお札は「旧紙幣」という扱いになり、基本的に新しく製造されることはなくなります。

マニアも多い旧紙幣ですが、私はふとしたキッカケからとある旧紙幣を購入する機会がありました。今回は、ナゾ多き十銭札のヒミツに迫ります。

京都で出会った十銭札

昨年某日、私は京都で開催されていたとあるイベントにブースを出展していた骨董品屋を訪ねていました。歴史ライターとして活動している手前、なにかネタとして活用できるものはないか。そんな思いで商品を物色していたとき、例のお札に出会ったのです。

そのお札は、このような状態で売られていました。

商品説明に「日本銀行券10銭」と書かれているように、これはかつて日本で流通していた十銭札です。100枚つづりで1500円程度だったと記憶しており、ほかに目ぼしい商品がなかったことや、案外リーズナブルだったことも手伝い、とりあえず購入してみました。

しかし、このお札は本体とラベルを見れば見るほど「不審」な点が多いと感じられる代物でした。なぜなら、お札のとあるデザインに対して、発行された年数がおかしいからです。

戦後なのに「八紘一宇」?

まず、このお札に施された塔のようなデザインは、いわゆる「八紘一宇(はっこういちう)」と呼ばれるものです。

しかし、そもそも八紘一宇とは何なのでしょうか?

『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』を参照すると、以下のような説明がなされています。

「世界を一つの家にする」を意味するスローガン。第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。『日本書紀』のなかにみえる大和橿原に都を定めたときの神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き,八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす) とあることを根拠に,田中智学が日本的な世界統一の原理として 1903年に造語したもの。 40年第2次近衛文麿内閣が「基本国策要綱」で東亜新秩序の建設を掲げるにあたり,「皇国の国是は八紘一宇とする肇国の大精神に基づく」と述べ,以後東亜新秩序の思想的根拠として広く唱えられた。

つまり、戦時体制下の日本において国民の戦意を高揚させ、戦争を正当化するために用いられたのが「八紘一宇」でした。さらに、このスローガンが塔として描かれる理由は、昭和15(1940)年に神武天皇即位に端を発する「紀元二千六百年記念事業」の一環として、宮崎市の宮崎平和台公園に「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」が建てられたためです。

宮崎平和台公園にある八紘之基柱(出典:画像AC https://www.photo-ac.com/main/detail/3026635?title=%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%8F%B0%E5%85%AC%E5%9C%92&searchId=2911107598)

しかし、ご存知の通り日本は太平洋戦争に敗れ、日本を占領したGHQによって「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件(通称:神道指令)」が出されました。国家神道を廃止し、軍国主義的イデオロギーを排するための指令だったため、「八紘一宇」といった国家神道や軍国主義と切り離せない用語の使用も公文書において禁止されました。

そのため、この八紘一宇がデザインされたお札も、戦後に発行されるとは到底思えません。ところが、お札の説明には「昭和28(1953)年」発行とあります。じつに不思議ですね。

お札のプロに聞いてみた!

ナゾの10選札について調べてみましたが、ネットだとWikipediaのほかに情報を得る手段がなさそうでした。しかし、このナゾを見なかったことにするのは気が引ける……。そうだ、この疑問は「お札のプロ」に聞いてみればいい!

……ということで、東京・王子にある「国立印刷局 お札と切手の博物館」所属の学芸員・松村記代子さんに、ナゾの十銭札についてメールでお答えいただきました。

まず、このお札は「昭和19(1944)年11月1日に発行されたもので間違いない」とのこと。その根拠は、同年10月25日付で大蔵省から出された告示第489号の「日本銀行券ノ種類ニ拾銭券及五銭券ヲ加へ昭和十九年十一月一日ヨリ之ヲ発行ス」という記述だそうです。

この昭和19年(1944)年の11月といえば、連戦連敗で日本が追い込まれていた時期。これは私の推測ですが、この時期に十銭札を作り始めた理由は「資源不足」ではないでしょうか。事実、それまで日本は十銭を札ではなく硬貨で流通させています。しかし、戦局の悪化で金属が足りず、紙幣に切り替えられたのではないかと考えます。

また、「昭和28(1953)年12月1日発行」という説明については、「発行はおろか、この時期には使われてすらいなかったのではないか」という回答が。「このお札は昭和19年に発行されてから昭和28年12月31日まで通用できていたものの、昭和22(1947)年にGHQの認可を得た新仕様の銀行券が発行されて以降は、その銀行券の通用へと切り替わっていったと考えられる」のが理由だそうです。

つまり、このラベルに書かれている説明書きが「そもそも間違っている」というのが、ミステリーの答えになりそうです。この誤解が生まれた理由は定かではありませんが、個人的には昭和28年に「通用が停止された」という事実を、「発行された」と誤解したことが原因ではないかと思っています。

……ちなみに、このお札は昭和28年に出された「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」により通用が禁止されているため、現在は使用できないばかりか、現行の通貨と交換することもできません。古札市場でもそれほど値がついているわけではないため、実家の物置で十銭札を見つけた場合はコレクションしておくのが吉でしょう。

書いた人

学生時代から活動しているフリーライター。大学で歴史学を専攻していたため、歴史には強い。おカタい雰囲気の卒論が多い中、テーマに「野球の歴史」を取り上げ、やや悪目立ちしながらもなんとか試験に合格した。その経験から、野球記事にも挑戦している。もちろん野球観戦も好きで、DeNAファンとしてハマスタにも出没!?