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Culture
2019.08.24

新選組「池田屋事件」の集合場所は?メンバーは?幕末の夜に起こったサスペンスを徹底追跡

この記事を書いた人

「俺たちだけでやろう」
副長土方歳三(ひじかたとしぞう)がうながすと、局長近藤勇(こんどういさみ)はうなずいた。

元治元年(1864)6月5日、祇園祭宵々山の夜。祇園囃子(ばやし)が響く中、会津藩(あいづはん)との申し合わせ時間を待たずに動くことを近藤は決断。近藤と土方は二手に分かれ、巡検を始める。やがて三条小橋西の旅籠池田屋に、近藤は尋常ならぬ気配を感じた・・・。

今年(2019年)の京都の祇園祭宵々山は7月15日。155年前の宵々山の夜、幕末を震撼(しんかん)させる事件が起こりました。新選組(しんせんぐみ)の池田屋事件です。本稿では池田屋事件の真相と新選組の戦いの実際を、これまで小説やドラマで描かれてきたエピソードとの違いにも注目しながら紹介します。

池田屋騒動之址碑

「維新史蹟 池田屋騒動之址」。そう刻まれた石碑の建つ、かつての旅籠(はたご)池田屋の跡地は現在、「池田屋はなの舞」という居酒屋になっています。全国の新選組ファンは京都市内の新選組ゆかりの史跡めぐりをした後、池田屋で打ち上げをするのが最近の定番コースなのだとか。私が新選組に関心を持ち始めた学生の頃、跡地はフライドチキン店でした。

当時、司馬遼太郎の作品をテレビドラマ化した「新選組血風録」や「燃えよ剣」などの影響もあり、新選組にはすでに一定のファンがいましたが、小説やドラマではまだまだアンチ・ヒーローとして描かれることが多く、「鞍馬天狗」あたりでは完全な悪役でした。しかしその後、大河ドラマとなり、今やコミック、ゲーム等で人気のキャラクターとなっています。

30年以上前の池田屋跡。バイクの右に石碑が見える

池田屋事件当日の流れ

古高俊太郎邸跡

前置きはこのぐらいにして、池田屋事件当日の新選組の動きを追っていくことにしましょう。新選組結成から池田屋事件直前までの流れは、本稿の前編にあたる「新選組の応募資格、知ってる? 誰もが知る剣客集団を超解説」にまとめましたので、先にご一読頂くと、よりわかりやすいかと思います。

放火、暗殺で大混乱?

流れを簡単におさらいすると、前年(文久3年)に起きた8月18日の政変で、それまで反幕府勢力の中心として京都朝廷に取り入っていた長州藩が、幕府の京都守護職を務める会津藩などによって中央政界から追われました。長州藩は巻き返しを図ろうとし、それに合わせて多数の過激派浪士が京都市中に潜伏。親幕府派の中川宮(なかがわのみや)の家臣や会津藩士を殺して恫喝(どうかつ)するだけでなく、風の強い日に御所周辺に放火、混乱の中で会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)や中川宮を暗殺するという噂が流れます。

新選組が出動

京都守護職会津藩お預かりの浪士組として治安維持にあたる新選組は、元治元年(1864)6月5日早朝、過激派浪士の中心人物の一人である古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)を捕え尋問したところ、放火の噂が実際の計画であることを知り戦慄(せんりつ)しました。折しも朝に古高の自宅で押収したばかりの武器類が何者かに奪われたと知らせが入り、新選組は一刻の猶予もならないと会津藩に連絡の上、過激派浪士を捕縛するために出動します。

八坂神社から見た祇園町会所跡。道を挟んだ角のコンビニの位置にあたる

とはいえこの時、新選組は総勢40人しかいません。実は数日前に、8人が脱走したと記録にあります。新選組といえば厳しい隊規があったことでも知られ、特に脱走は死罪でした。ところが当時、隊規はあくまで建前として隊士たちにとらえられていたようです。いざという時に困ったこの経験から、以後、隊規は厳しく適用されるようになりました。

また、過激派浪士らが囚(とら)われている古高を奪還しようと、壬生(みぶ)の新選組屯所を襲撃する恐れもあるため、副長の山南敬助(さんなんけいすけ)ら6人が屯所に残ることになり、出動人数は局長近藤勇以下34人になります。この人数で京都市中に潜伏する浪士らを見つけ出すことは至難であり、上部組織である会津藩の応援は不可欠でした。

新選組の集合場所は祇園町会所

5日午後、隊士らは、かたびらの下に撃剣(剣術)の胴をつけると、「これからみんなで京都の道場荒らしに出かけるのだ」と近所の人に言って、軽装でぶらぶらと屯所を後にしたといいます。過激派浪士の手の者に、新選組の出動を悟らせないためであったでしょう。壬生から彼らが向かったのは、四条通を東に真っ直ぐ進んだ先の、八坂神社前にある祇園町会所(町人たちの寄り合いの施設)で、ここを集合場所と決めていました。

書いた人

東京都出身。出版社に勤務。歴史雑誌の編集部に18年間在籍し、うち12年間編集長を務めた。「歴史を知ることは人間を知ること」を信条に、歴史コンテンツプロデューサーとして記事執筆、講座への登壇などを行う。著書に小和田哲男監修『東京の城めぐり』(GB)がある。ラーメンに目がなく、JBCによく出没。