Culture
2022.01.21

寒~い江戸の必需品「こたつ」の歴史を大解剖!

この記事を書いた人
この記事に合いの手する人

この記事に合いの手する人

寒中お見舞い申し上げます。
「寒中」とは、「二十四節気(にじゅうしせっき)」の「小寒」から「立春」のまでの期間を指し、1年で一番寒い時期とされています。

寒い冬を乗り切るために不可欠なものが暖房器具。ストーブ、エアコン、オイルヒーター、床暖房など様々ありますが、日本の冬の代表的な暖房器具と言えば、炬燵(こたつ)。最近は、夏はテーブルとしても使える炬燵や、椅子用の炬燵など、デザイン性の高い炬燵も登場しています。

スタイリッシュなのも好きだけど、おばあちゃんの家にあるレトロなこたつが一番落ち着く(笑)

実は、炬燵が江戸時代の都市で発達した暖房器具だったことをご存じでしょうか?

初代歌川豊国「雪見八景 らくがん」 国立国会図書館デジタルコレクション
炬燵に入って、三味線のおさらいをする女子。着物の上に、「ちゃんちゃんこ」のようなものを羽織っています。

江戸時代の暖房事情

江戸時代は、現代よりも気温が低く、寒かったと言われています。江戸時代中期から後期にかけては寒波に見舞われ、江戸でも隅田川が凍ることもあったのだとか。

初代歌川広重「新撰江戸名所 日本橋雪晴ノ図」 国立国会図書館デジタルコレクション

江戸時代は、木や炭を燃やすことで暖をとりました。江戸時代の暖房器具の代表は、囲炉裏(いろり)、炬燵、火鉢(ひばち)の3つです。

囲炉裏は主に農村の暖房器具で、床の一部を四角に切り抜き、灰を敷き詰めて薪(まき)を燃やします。暖房としてだけではなく、煮炊きや夜間の照明にも使われました。
囲炉裏には家屋の耐久性を向上させる働きもありました。部屋中に暖かい空気を充満させて木材を乾燥させることで、腐食にくくなります。また、薪を燃やす時の煙に含まれるタールが梁(はり)や屋根の建材に浸透し、防虫性や防水性を高めていました。

囲炉裏の場合、室内で薪を燃やすために十分な広さと天井の高さが必要であり、薪を置くためのスペースも必要です。このため、燃料の薪が乏しい上に薪の置き場所もなく、常に火事の危険を考えなくてはいけなかった江戸市中では、炎が大きく出る囲炉裏は使うことができない暖房器具でした。

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど、江戸は火事が多かったようです。

江戸で使われた暖房器具は、火鉢と炬燵

江戸の町で使われていた暖房器具は、木炭や木炭を加工した炭団(たどん)を燃料とする火鉢と炬燵です。

火鉢は冬の暖房器具として、奈良時代に使われるようになりました。平安時代に書かれた『枕草子』の「春はあけぼの」の段では、火鉢の炭火を急いでおこして運ぶ姿を、冬の早朝にふさわしいものとしています。

冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりていとわろし。

出典:『日本古典文学全集 18 枕草子』 小学館

火桶とは、丸い木製の火鉢のこと。清少納言には、昼になって、火鉢に白い灰が多くなってしまうのは「好ましくない」ようです。

火鉢は、家の中で使う便利な暖房器具でした。木炭や炭団を使うので、囲炉裏のように煙が出ず、安定した火力を長く保つことができました。江戸時代になると、木を使った箱火鉢、長火鉢、くりぬき火鉢などのほかに、金属製の金火鉢や陶磁器製の瀬戸火鉢など、調度品としても楽しめるスタイリッシュな火鉢が好まれるようになります。炭を扱うための火箸、鉄瓶(てつびん)を置いて湯を沸かす器具の五徳(ごとく)、煙草盆などのグッズを用意して、暖かい火鉢の周りで過ごしていました。

一勇斎国芳「時世粧菊揃 つじうらをきく」 国立国会図書館デジタルコレクション
時代劇などでよく登場する長火鉢は、裕福な町家で使われました。火鉢のそばで、ねこがまるくなっています。
現代でも使いたいくらいオシャレ!!

日本独特の暖房器具と言える炬燵。炬燵には、掘り炬燵と移動可能な置き炬燵があります。
掘り炬燵は、現在の掘り炬燵とは違い、部屋の床に炉(ろ)を設け、その上に木製の櫓(やぐら)を載せて、布団をかぶせたもの。当初は、布団ではなく、小袖などの衣類をかぶせていました。
夏は、炉の上に畳などを載せてふさいでおきます。

高木貞武画『絵本和歌浦』(『日本風俗図絵 第5輯』収録)より 国立国会図書館デジタルコレクション
めくった布団の間から、炉と櫓が見えます。

小型の火鉢の上に櫓を載せて布団をかぶせたものが置き炬燵で、持ち運びができます。

炬燵の起源は明らかではありませんが、室町時代に囲炉裏の火がおき火になったところで櫓をかけ、足を乗せて温めていたのが掘り炬燵の原型であると言われています。当初、櫓は低いものでしたが、現在の高さになったのは江戸時代です。
炬燵は、江戸のような都市から使われるようになった暖房器具で、元禄時代(1688年~1704年)頃になると、一般にも普及します。江戸時代に炬燵が急速に普及した理由には、木綿が普及し、綿の入った布団を炬燵布団として利用できるようになったこともあるようです。

鈴木春信「あやとり」 シカゴ美術館

火鉢や炬燵の燃料によく使われていたのが炭団(たどん)。炭団は、木炭を製造したり、運搬したりする時に生じる砕けた炭の粉を拾い集め、布海苔(ふのり)や角叉(つのまた)・紅藻(こうそう)などを糊の代わりに混ぜ、練って丸く固めた、木炭のリサイクル品です。火力はそれほど強くなかったものの、種火の状態で1日中燃焼し続けました。何より、最大の魅力は安く手に入ることでした。自宅で、余った炭の粉を集めて自家製の炭団を作ることもよくあったのだとか。

江戸時代のリサイクル事情は、現代の私たちも見習いたいところ。

明治時代以降は、石炭が熱源の主流となったため、木炭ではなく石炭の粉を固めた豆炭(まめたん)や練炭(れんたん)が燃料の主流となりました。

炬燵の利用にもルールがあった?

江戸時代、暖房器具を使い始める日は「10月の亥の日」と決まっていました。この日は、「炬燵開き」「炉開き」と呼ばれます。
武家屋敷の「炬燵開き」は旧暦10月の「初亥の日(=最初の亥の日)」で、庶民は「初亥の日」から12日後の二番目の亥の日と決まっていました。

喜多川歌麿「絵本四季花」より シカゴ美術館
雪の日、女性たちが炬燵でのんびり過ごしています。炬燵の上に陣取ったねこが、暖かいのか、満足そうな顔をしているような? 右側には、丸い火鉢も見えます。

それでは、なぜ「亥の日」に「炬燵開き」を行うのでしょうか?
旧暦では、月日にも十二支が割り振られており、旧暦10月は亥の月です。亥(=猪)は、火を防ぐ動物とされ、「亥の月亥の日」に火(暖房器具)を使い始めると、その冬は火事に合わないと信じられていました。また、「万物は、陰・陽と、木・火・土・金・水の五行の要素で成立している」という思想・陰陽五行説では、亥は「水性の陰」にあたり、火に強く、火災を逃れるとされるため、この日が「炬燵開き」になったとも言われています。
旧暦の10月は、現在の11月頃にあたり、だんだん寒くなる時期で、人々も冬支度を始めます。江戸の人々は季節感を大切にしていたので、この日まではどんなに寒くても炬燵を置かなかったのだとか。

私だったらこっそり出しちゃいます……(笑)

歌川国丸「三幅封 思いの初夢」 メトロポリタン美術館

このように、炬燵などの暖房器具の使い始めにはきちんとしたルールがあったようですが、炬燵をしまう時期については不明。暖かくなって、暖房を使わなくても済むようになった頃に、炬燵をしまっていたのではないかと思われます。

それでも寒い場合は、重ね着をして乗り切る!

江戸時代の家屋は、冬は家の中でも寒かったと言われています。浮世絵では、炬燵と火鉢の両方を使って暖をとる様子が描かれています。

二代歌川国貞「東京美女ぞろひ 柳橋きんし」 国立国会図書館デジタルコレクション
炬燵に入りながら、長火鉢でひとり鍋を楽しむ女子。お酒とおつまみの用意もバッチリ。

暖をとるものとしては、行火(あんか)もよく使われました。行火は炭火を入れて手足を温める道具ですが、火鉢よりも経済的と考える人が使っていたようです。持ち運びができ、布団の中に入れることもできました。
それでも寒い時は、重ね着をします。裏長屋の住人たちは、綿入りの夜具を着こみ、屏風を立てて隙間風を防いで我慢する人が少なくなかったのだとか。

三代目歌川豊国、二代目歌川国久「江戸名所百人美女 今戸」 国立国会図書館デジタルコレクション

女性が一番上に着ている、縞模様の着物が「どてら」。綿が入っているので、着物よりもサイズが大きく作られています。江戸時代後期には、「どてら」が部屋着の定番になりました。綿入れ半纏(はんてん)の袖がない「ちゃんちゃんこ」を着ることもあったようです。

ちゃんちゃんこ、子どもの頃はよく着ていました! 懐かしいなぁ。

寒くても、雪が降っても、レジャーとして楽しむ江戸の人々

江戸の人々は、季節ごとに様々なレジャーを楽しんでいましたが、冬も「雪見」などのレジャーに出かる人もいました。特に、炬燵や行火を置いた屋形船に乗り、隅田川を下りながらお酒を楽しむ「雪見船」は冬の粋な遊びとして人気がありました。

初代歌川豊国「雪見八景 晴嵐」 国立国会図書館デジタルコレクション
隅田川に浮かぶ屋形船の炬燵に入って、雪見酒を楽しむ女子? ワイングラス風の器がおしゃれですね。

あるいは、愛宕山や上野の山、湯島、神田明神、谷中などは高台から江戸の町を見下ろせる雪の名所としても知られていました。

江戸に雪が降っていたことは、雪景色を描いた浮世絵が多かったことからも推測できます。
雪国育ちの私には、長い冬と雪は「大変だった」という思い出が強いのですが、「大変だけど、それぞれの季節を楽しんで乗り切ろう」という江戸の人々の心意気は見習いたいと思っています。

確かに! 逃れられないなら楽しんじゃおう!

主な参考文献

  • ・『日本大百科全書』 小学館 「こたつ」の項目
  • ・『世界大百科事典』 平凡社 「炬燵」の項目
  • ・『実は科学的!? 江戸時代の生活百景』 西田知己著 東京堂出版 2018年9月
  • ・『CGで甦る江戸庶民の暮らし-傘張り職人、唐辛子売りなど職業別・長屋の内部、男女混浴だった「湯屋」まで完全再現!-』 小学館 2018年8月
  • ・『浮世絵でみる年中行事』 中村祐子文,大久保純一浮世絵監修 山川出版社 2013年8月

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。

この記事に合いの手する人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。