和樂web編集部スタッフから、「“菅原道真(すがわらのみちざね)と梅”が盛り上がっているらしい」という情報が届きました。それを聞いて、「現在、受験シーズンだし、菅原道真を祀っている北野天満宮や湯島天神は梅の名所としても有名。そろそろ梅が咲き始めている?」なんて思っていたら、人気マンガ『呪術廻戦』の登場人物・五条悟が菅原道真の子孫という設定で、梅が物語の鍵になっているからだとか。
何でもありの歌舞伎ですが、実は、歌舞伎にも菅原道真の主人公の演目があることをご存じでしょうか? それが、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』という人気狂言なのです!
この記事では、歌舞伎の菅原道真はどのような人物なのか、梅は登場するのか、道真は怨霊になるのかなど、『菅原伝授手習鑑』の見どころなどを紹介します。
菅原道真とは、どんな人物?
菅原道真は、平安時代前期の政治家兼学者。
承和12(845)年、学者の家に生まれた道真は、幼少より文才に優れ、向学心も旺盛。11歳で詩を作り、父を驚かせたのだとか。漢詩集『菅家文草(かんけぶんそう)』『菅家後集(かんけこうしゅう)』があるほか、『日本三代実録』『類聚国史(るいじゅうこくし)』という歴史の本を編纂する仕事もしています。
道真、九州へ左遷される
政治家・道真を特に信頼していたのが、宇多天皇です。
寛平2(890)年春、讃岐守の任を終えて帰京した道真は、宇多天皇の信任を受け、寛平3(891)年に蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢。寛平5(893)年には参議・左大弁(さだいべん)に登用されて、政治の中枢に携わることになります。
寛平9(897)年、宇多天皇が譲位し、醍醐(だいご)天皇が即位。道真は、藤原時平(ふじわらのときひら)とともに重用され、昌泰2(899)年、藤原時平は左大臣、道真は右大臣に任命されます。
しかし、延喜元(901)年、左大臣・藤原時平の讒言(ざんげん)により、道真は大宰権帥(だざいのごんのそち)として筑紫国・太宰府に左遷されてしまいます。道真の左遷には、藤原時平が「道真が自分の娘を后としている親王を天皇にしようとしている」と醍醐天皇に告げ口をしたという陰謀説のほか、道真の出世をねたむ者たちの反発があったなどの様々な説があり、詳細は不明です。
「頭が良すぎて、話が難しすぎる!」「真面目過ぎて、根回しができない!」という人物評もあったらしく、もしかしたら、菅原道真は「頭が良いけど、堅物で、融通が利かない人」だったのかもしれませんね。
左遷から2年後の延喜3(903)年2月25日、道真は太宰府で亡くなります。
すべては菅原道真のたたり?
鎌倉時代の絵巻『北野天神縁起絵巻』などによると、道真が死んでまもない夏の夜、比叡山の僧侶のもとに道真が現れて「怨みを晴らす」と告げたと言われています。
そして、立て続けに怪死事件が発生。
延喜9(909)年4月4日、道真を陥れた藤原時平が39歳の若さで病死。醍醐天皇の周りでも悪いことが次々と起こります。延喜23(923)年に皇太子・保明(やすあきら)親王が21歳で亡くなります。次々と続く関係者の死に、人々は「道真公の祟りだ」と噂しました。
醍醐天皇は、道真に正二位(しょうにい)の位を贈り、九州追放の際の詔書を破り捨て、その霊を鎮めようとします。
しかし、怪異はおさまらず、さらに衝撃的な事件が起こります。
延喜23(923)年、日照りや水害、疫病を鎮めるために「延長」と改元。延長3(925)年、保明親王の子で、5歳の慶頼(よしのり)王が死去。延長8(930)年には御所の清涼殿(せいりょうでん)に雷が落ち、醍醐天皇の目の前で多くの死傷者が出たのです! 醍醐天皇は恐怖のあまり病気になり、譲位。その後、まもなく亡くなってしまいます。
天神様となった道真
道真が死んで約40年後の天暦元(947)年、道真の霊を鎮めるために、都の北に道真を祀る祠(ほこら)を創建。それが、北野天満宮です。
道真を葬った安楽寺は、のちに太宰府天満宮となります。『筑前国続風土記』によると、「道真の棺を載せて運ぶ車が、安楽寺で動かなくなったので、ここを廟所(びょうしょ)とした」とあります。
その後、天満宮、天神様と呼ばれる道真を祀る社(やしろ)が全国に1万社以上もできました。
時代が経つとともに道真の優れた学者であったという面がフォーカスされ、天満宮は学問の神様、受験の神様となります。
菅原道真と飛梅伝説
「飛梅伝説」とは「梅の木が飛来して、その場所に根づいた」という伝説で、福岡県の太宰府天満宮にある「飛梅」が有名です。
太宰府に左遷されて九州へ旅立つ時、道真は屋敷の梅の木を見上げて歌を詠みます。
東風(こち)ふかば 匂いおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春ぞ忘るな
「東風」は、春風のこと。「東の風にのせて、この梅の香りを太宰府へ届けて欲しい」という願いをこめた歌です。梅の木は、道真を慕って、一夜のうちに都から太宰府まで飛んできたのだとか。この話は、鎌倉時代中期の説話集『十訓抄(じっきんしょう)』などに取り上げられています。
太宰府天満宮本殿の右側にある梅が「飛梅」で、太宰府天満宮の境内にある梅の木の中で最初にほころぶと言われています。
三大義太夫狂言の一つ『菅原伝授手習鑑』
『菅原伝授手習鑑』は、竹田出雲(たけだいずも)・三好松洛(みよししょうらく)・並木千柳(なみきせんりゅう)の合作で、全五段の作品です。延享3(1746)年8月、大坂・竹本座で人形浄瑠璃の作品として初演されて大人気となり、9月には京都・中村喜世三郎座で歌舞伎として上演されます。翌年には、江戸でも歌舞伎が上演され、東西で人形浄瑠璃と歌舞伎が上演されるという「菅原ブーム」が起こったのだとか。
『菅原伝授手習鑑』は、赤穂浪士の討ち入りを南北朝時代の『太平記』の世界に置き換えた『仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)』、源平の戦いで功績のあった源義経が都を落ちのびていく物語『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』と並び、義太夫狂言の三大名作の一つ。三大名作のなかでは最初に上演されました。
菅原道真が政敵・藤原時平によって太宰府に左遷された事件に、当時話題になった三つ子誕生のニュースを取り込み、三つ子の兄弟が敵味方となる悲劇の物語がからんで展開します。
通しで上演されることもありますが、三段目「車引」、四段目「寺子屋」の場面が単独で上演されることも多い、現在でも人気のある作品です。
歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の見どころ紹介!
『菅原伝授手習鑑』の主人公は、学問の神で「天神様」として親しまれる菅原道真。この作品の中では「菅丞相(かんしょうじょう)」と呼ばれ、政敵・藤原時平の名前は「ふじわらのしへい」と読みます。
三つ子の兄弟は梅王丸、松王丸、桜丸という名前で、三つ子の父・白太夫(しらだゆう)は、菅丞相の所領・佐太村の百姓で、菅家の下屋敷を預かっています。梅王丸は父が恩顧を受けた菅丞相に、松王丸は左大臣・藤原時平に、桜丸は醍醐天皇の弟・斎世親王(ときよしんのう)に、警護や雑用をつとめる舎人(とねり)として仕えています。
【大序】加茂堤・筆法伝授
【加茂堤】梅の花が咲く、うららかな春景色の加茂堤(かもづつみ)に1台の牛車が止まっています。中に居るのは、帝・醍醐天皇の病気平癒祈願で加茂神社を訪れた帝の弟・斎世親王。そこへ、菅丞相の養女・苅屋姫(かりやひめ)がやって来ます。
桜丸夫婦の取り持ちで、牛車でデートをする親王と苅屋姫ですが、藤原時平の家臣・三善清行に見つかり……。
斎世親王と苅屋姫は互いに思いを寄せていますが、なかなかデートをすることができません。そこで、親王の舎人・桜丸は妻・八重と協力して二人のデートの段取りをします。やっと会えたのに恥じらう二人を見て、興奮する桜丸夫婦。穏やかな春景色の中、若いカップルの初々しさと、大人のカップルの色気が対照的です。
しかし、斎世親王を探す三善清行の登場により、雲行きが次第に怪しくなります。清行から逃れるため、斎世親王と苅屋姫は牛車を抜け出して落ちのびていくのですが……。
これが後の菅丞相左遷という事件の発端となり、悲劇が始まる場面なのです!
前半の牧歌的な風情と、後半の緊迫感の対比が巧みな構成となっています。最後の場面では、桜丸の代わりに八重が牛車を引く場面にもご注目ください。
【筆法伝授】菅丞相は、家伝の筆法(ひっぽう/書道の奥義)を伝授するよう勅命を受け、勘当した武部源蔵(たけべげんぞう)を後継者として選んで密かに呼び寄せます。
源蔵に筆法の伝授を終えた菅丞相に、宮中から「至急参内せよ」との知らせがきます。
支度を終えて参内しようとしたところ、菅丞相の冠が落ちます。菅丞相は不吉な思いを抱きつつ、源蔵に早く帰るよう伝え、宮中へと出かけていくのでした。
菅丞相の愛弟子だった武部源蔵は、4年前、奥方付の腰元・戸浪と禁止されている職場恋愛をしたことで、破門。落ちぶれた源蔵夫婦は、寺子屋を営んでいます。
古参の弟子・左中弁希世(さちゅうべんまれよ)は、自分が筆法を伝授されるものと自認していますが、実は書の腕も素行も良くありません。呼び出された源蔵をあの手この手で邪魔をしますが、菅丞相の前で見事に清書をする源蔵。生活は苦しくても書の腕は衰えていない源蔵に、筆法が伝授されます。
伝授を機に、勘当を許して欲しいと願う源蔵に、
「伝授は伝授、勘当は勘当」
と言い渡し、これ以後の対面はかなわないと申し付けるのでした。
参内した菅丞相は、娘を皇后にしようという野心があるとの疑いをかけられ、太宰府への流罪が決定。
源蔵夫婦は、菅丞相の息子・菅秀才を梅王丸から預かり、逃れていきます。
【二段目】道明寺
【道明寺(どうみょうじ)】
菅丞相は太宰府へ流されて行く途中、判官代輝国の計らいにより、伯母の覚寿(かくじゅ)の館に逗留しています。加茂堤から行方不明になっていた苅屋姫も、実の母親である覚寿に匿われています。
菅丞相の流罪の原因を作った苅屋姫を赦すことができない覚寿は、苅屋姫を杖で打ちます。そこへ、折檻をやめるよう、障子の中から菅丞相の声がかかります。しかし、障子を開けると、そこにいたのは菅丞相が彫った自らの木造でした。
菅丞相は、人格も学問も優れた神のようなキャラ。だからこそ、政敵の藤原時平の謀略によって流罪にされてしまうのですが……。
「道明寺」の場面では、最愛の娘との別れという人間ドラマが見どころですが、その前に様々な事件が次々に起こります。
一つ目は、覚寿が苅屋姫を折檻する場面です。覚寿は、菅丞相の伯母で、立田の前と苅屋姫の実母。老女役の中でも風格、気丈さ、慈愛などの様々な表現が求められる難役です。
二つ目が、土師兵衛(はじのひょうえ)と宿禰太郎(すくねのたろう)の陰謀の場面です。親子で時平方と通じ、菅丞相の暗殺を企みます。宿禰太郎は、妻・立田の前に陰謀を知られると、立田の前を殺害し、池に沈める非道者。二人は、夜が明ける前に鶏を鳴かせ、菅丞相をだまして連れ出そうとします。しかし、菅丞相と見えたのは、自らが彫った木像でした。木像に魂が入り、時平方の悪人が差し向けた偽の迎えの輿(こし)に乗り込んで危機を救います。
三つ目が、木像が起こす不思議な現象と、親子の別れの場面です。菅丞相を勤める役者さんには、木像と本物の演じ分けが求められます。
また、苅屋姫との別れの場面では、感情を表に出さず、肚(はら)で哀切を表現しなくてはならないので、演者の技量が試される難役です。菅丞相は、
鳴けばこそ 別れを急げ 鶏の音の聞こえぬ里の暁もがな
と別れの歌を詠み、檜扇で顔を隠し、苅屋姫との別れを惜しみながら去っていきます。
「道明寺」の菅丞相を演じる役者さんは、心身ともに気を使うようです。十五代目片岡仁左衛門さんが菅丞相を勤める時は、楽屋に天神様(菅原道真)の軸を祀り、毎日、水と塩をあげ、香を焚き、身を清めて舞台に立つと、インタビューで話しています。
【三段目】車引・賀の祝
【車引(くるまびき)】藤原時平の策略で菅丞相と斎世親王は失脚。浪人となった梅王丸と桜丸は、偶然、道で出会い、主人の不運を嘆き合っていると、藤原時平が吉田神社に参拝するために通るというお触れが。
主人の仕返しをしようと、時平の牛車の前に立ちはだかる梅王丸と桜丸。はやる二人を止めたのが、時平の舎人・松王丸。3人の争いで壊れた牛車の中から、天下を狙う時平現れます。その恐ろしい姿にさすがの兄弟もすくみます。
時平は松王の忠義に免じて助けてやろうと言い、兄弟も父親の七十の賀の祝が済むまでは遺恨を預かろうと約束します。
単独で上演されることの多い「車引」。様式美が強調された、典型的な「荒事」仕立てで上演されます。義太夫狂言らしいリズミカルな三味線にのった3人のセリフも聞きどころです。
冒頭の梅王丸と桜丸が出会い、大きな笠をとって顔を見せる場面は、梅王丸の力強さと桜丸の柔らかさの対比が鮮やかです。一方、二人を止める松王丸は貫禄が必要な役。3人は三つ子なので同じ年齢なのですが、演目全体では梅王丸が長男、松王丸が次男、桜丸が末っ子という設定です。梅王丸は、本来の主人である菅丞相に仕え、菅丞相に愛された梅の名をもらっています。ただし、「車引」の場だけは松王丸が長男という心で演じられるのだとか。
それぞれのキャラに合った衣裳にも注目です。衣裳は三つ子らしくお揃いの「童子格子(どうじこうし)」と呼ばれるチェックの着物。その下は、梅王丸と桜丸は赤い着付け、松王丸は白い着付け。それぞれの名前にちなんだ梅、桜、松の模様です。
一方、菅丞相を失脚させ、皇位も狙おうとする藤原時平は、不気味な悪人で、魔王的な力の持ち主。「公家悪(くげあく)」と呼ばれるスケールの大きい敵役(かたきやく)で、藍を基調とした色使いの不気味な隈取りで登場します。
【賀の祝】三兄弟の父・白太夫が預かる菅丞相の下屋敷。庭先には菅丞相が愛した梅・松・桜の木が植えられています。
白太夫の七十の祝をする「賀の祝」にやって来た梅王丸と松王丸は、先日の吉田神社での遺恨から大げんかに。はずみで桜の枝が折れてしまいました。氏神詣から戻ってきた白太夫に、松王丸は勘当を、梅王丸は菅丞相のいる筑紫に行く許しを願い出ます。松王丸の願いは聞き入れられますが、梅王丸の願いは却下して、行方不明の菅丞相の御代と若君を探し出すよう命じ、二人を追い出します。
梅王丸、松王丸夫婦が去った後、入れ替わるように姿を現す桜丸。桜丸は菅丞相を流罪に追いやった自分の行動の責任をとって自害することを、朝早くやって来て父親に許しを受けていたのでした。
三兄弟の父親・四郎九郎は、70歳の賀の祝いに、菅丞相から白太夫の名を貰いました。その祝いに、三兄弟が妻を連れて集まります。梅王丸の妻は春、松王丸の妻は千代、桜丸の妻は八重と、夫の名前にちなんだネーミングであると同時に、着物も夫の名前にちなんだ模様です。妻たちが、庭の梅・松・桜を見ながら、夫の自慢をする光景も微笑ましい場面です。
吉田神社での遺恨から、口げんかをはじめる梅王丸と松王丸は、米俵を振り回しての大げんかに。その拍子に桜の枝を折ってしますが、二人とも「おいらは知らぬ」と子どもっぽく言いのがれするところは、歌舞伎らしいおおらかさが感じられます。
折れた桜の枝を見ても白太夫が何も言わなかったのは、桜丸の運命を悟っていたため。うららかな春の日差しがふりそそぐ、のどかな田舎の風景が、一転して悲劇の場面へと変わります。
隠れて桜丸の自害の場を見届けていた梅王丸夫婦に桜丸の供養を頼んだ白太夫は、菅丞相の身の回りの世話をするため、太宰府に向けて旅立つのでした。
【四段目】天拝山・北嵯峨・寺子屋
【天拝山】菅丞相は、都に残してきた梅が一夜のうちに配流先の安楽寺(あんらくじ)の庭に咲くという夢を語ります。
都からやって来た梅王丸から、時平が謀反を企てていることを聞いた菅丞相は激怒。天拝山の大岩の上に雷神と化した菅丞相が現れ、都へ向けて飛び去りました。
【北嵯峨】菅丞相の御代所・園生の前は、北嵯峨の隠れ家に春と八重に匿われていました。そこへ、時平方の追手がやって来ます。
八重は討ち死。御台所は、突如現れた怪しい山伏が連れ去ります。
「天拝山」「北嵯峨」の場面は、ほとんど上演されていませんが、原作には、太宰府の菅丞相を描く場面があります。菅丞相は、白太夫の世話を受けながらおだやかな日々を送っていました。そこに訪ねてきた梅王丸から、時平の謀略を聞くと、すさまじい怒りを見せて雷となり、都へ向かいます。
【寺子屋】武部源蔵は寺子屋に菅秀才を匿っていましたが、時平方に見つかり、時平の家臣・春藤玄蕃(しゅんどうげんば)から「菅秀才の首を討って渡せ」と命じられます。
「身替りの子はいないか」と思い悩みながら帰宅した源蔵に、戸浪は、新しく寺入りした小太郎を引き合わせます。
やがて、玄蕃に菅秀才の首の検分役・松王丸がやって来ます。源蔵は菅秀才の身代わりの小太郎の首を引き渡しますが、……。
「寺子屋」では、菅丞相の子・菅秀才をめぐる武部源蔵と戸浪、松王丸と千代の二組の夫婦の忠義と悲劇が描かれています。
菅秀才の首を討って渡すように命じられた源蔵は、思案の末に、寺子の一人を身替りにしようと決心しましたが、寺子屋で出迎えた子どもたちは、菅秀才とは似ても似つかぬ山家育ち(やまがそだち/山里で育った者)。戸浪が引き合わせた器量の優れた小太郎を見て、「彼ならば、若君の身替りになれる」と考えます。
忠義のためとはいえ、他人の子どもを手にかけなければならない苦しい心情を吐露する「せまじきものは宮仕えじゃな」というセリフが聞きどころです。
「寺子屋」に登場する松王丸は、病み上がりで、長い間寝込んでいたという設定(実は仮病なのですが)。「五十日」と呼ばれる、ややむさくるしい長髪に病鉢巻(やまいはちまき)という鬘(かつら)で登場します。
緊迫した雰囲気の中、小太郎の首を討つ音を聞いた松王丸が戸浪とぶつかり、「無礼者め」と一喝して大見得などがあり、いよいよ首実検へ。偽首を差し出す源蔵夫婦の覚悟、変わり果てた我が子と対面した松王丸の父親としての心情が交錯する場面です。
松王丸の前に差し出された首を見て、「菅秀才の首に相違ない」と告げて、立ち去ります。玄蕃も小太郎首を持って引き上げます。
窮地を切り抜けて源蔵夫婦が一安心しているところへ、小太郎の母・千代が登場します。
千代に斬りかかった源蔵に、「若君菅秀才のお身替り、お役に立ててくださったか?」と叫び、小太郎の寺入りの理由、さらには、松王丸の本心が明らかとなります。そこに松王丸も現れ、「女房喜べ、せがれはお役に立ったわやい。」と告げます。
実は、小太郎は松王丸夫婦の息子だったのです!
松王丸が源蔵夫婦の前に投げ入れた短冊に書かれた菅丞相の歌
梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松の つれなかるらん
の心は、我が子の犠牲でした。松王丸夫婦は、我が子を身替りにして、菅丞相への旧恩・忠義を立てたのでした。源蔵から我が子の最期の様子を聞いた松王丸の「泣き笑い」は見せ場です。
松王丸は、御代所・園生の前を菅秀才に引き合わせます。実は、北嵯峨で御台所を連れ去った山伏は、松王丸だったのです。
そして、小太郎の死骸を駕籠に乗せ、野辺の送りを行います。この場の義太夫は「いろは送り」と呼ばれ、「いろは書く子はあえなくも ちりぬる命是非もなや……」と「いろはにほへと……」の文字が詠み込まれています。
【大詰】大内
【大内】内裏では、天変地異が次々と起こっています。これらは菅丞相の怒りが原因とされ、加持祈祷(かじきとう)が行われていますが、時平の家臣も相次いで雷に打たれて即死します。
そこに斉世親王、苅屋姫について判官代輝国が現れ、菅秀才が菅家を相続し、菅丞相は天満大自在天神として皇居の守護神に祀られる宣旨が下ったことを告げるのでした。
菅丞相の霊は、ようやく怒りを和らげたのです!
「大詰」の場面も、歌舞伎ではほとんど上演されません。(私も、観たことがありません……。)
「天拝山」「大詰」の場は、「日本三大悪霊」と呼ばれる雷神・菅原道真を描いた場に該当するでしょうか?
歴史的事件とお茶の間の話題を組み合わせた、魅せる歌舞伎
『菅原伝授手習鑑』の舞台には、場面のあちこちに「梅」と「牛」が登場します。
天満宮には必ず臥牛(がぎゅう)の呼ばれる座った牛の像が奉納されています。道真と牛の縁は、菅原道真が丑年生まれであるとか、暗殺の危機を白牛に救われたとか、牛に乗って太宰府へ旅立ったとか、様々な言い伝えが残っています。作者たちは、道真にまつわる伝説を巧みに芝居の中に盛り込んでいます。また、梅王丸・松王丸・桜丸の3人は、舎人の中でも身分の低い牛飼舎人に従事しています。現代だと、お抱えの運転手のような仕事でしょうか? このため、場面の中にたびたび牛車が登場します。
武部源蔵や松王丸が菅秀才を救う場面は、「寺子屋」が舞台。これは、学問の神様の物語を身近なドラマとして見せる趣向なのかもしれません。
『菅原伝授手習鑑』では3組の親子の別れが描かれています。「道明寺」では太宰府へ流される菅丞相と苅屋姫との別れ、「賀の祝」では白太夫と桜丸の別れ、「寺子屋」では松王丸と幼い小太郎の無残な別れという、三者三様の親子の別れが描かれています。これは、3人の作者がそれぞれ分担して書き分けたとされています。
誰もが知っている歴史的事件と天神様に、ワイドショー的なお茶の間の話題を組み合わせて魅せる舞台にするのが歌舞伎。
歌舞伎が、アニメやマンガなどにも影響を与えているのは間違いと思っています。
主な参考文献
- ・『天神様の正体:菅原道真の生涯』 森公章著 吉川弘文館 2020年9月
- ・『歌舞伎の101演目解剖図鑑:イラストで知る見るわかる歌舞伎名場面』 辻和子絵と文 エクスナレッジ 2020年4月
- ・『歌舞伎の解剖図鑑:イラストで小粋に読み解く歌舞伎ことはじめ』 辻和子絵と文 エクスナレッジ 2017年7月
- ・『一冊でわかる歌舞伎名作ガイド50選:観て、読んで、伝統芸能の舞台美を再現』 鎌倉惠子監修 成美堂出版 2012年11月
- ・「巻頭大特集 菅原伝授手習鑑」(『演劇界』 2011年1月)
- ・菅原伝授手習鑑(Kabuki on the web)