春を彩る花は様々ありますが、桜を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
桜と言えば、お花見。お花見は、江戸の庶民にとって欠かすことができない春の一大イベントとなります。季節ごとの花を愛でた江戸の人々ですが、中でも春の桜のお花見は特別。前の晩から支度をして、1日がかりで出かけたのだとか。
『江戸名所花暦』が紹介する桜の名所
文政10年(1827)に刊行された岡山鳥(おかさんちょう)による『江戸名所花暦』は、江戸の代表的な行楽ガイドブックです。春は鶯、梅、桜など、四季折々の花鳥風月を計43項目に分類して、長谷川雪旦(はせがわせったん)のイラストとともに見どころ、由来、道順などを紹介しています。
『江戸名所花暦』で紹介されている江戸の桜の名所は、上野、浅草、御殿山、隅田川堤、飛鳥山などで、その多くが、現在でも桜の名所として親しまれています。
その中で、少し異色なのが「新吉原」。江戸時代、吉原遊郭も人気のお花見スポットだったのですが、吉原遊郭の桜には、他の桜の名所とは異なる秘密がありました。それは、開花する季節にだけ植えられる期間限定の桜だということ。
吉原遊郭の桜は、期間限定
吉原遊郭は、元和4(1618)年に幕府公許の遊郭として日本橋葺屋町(ふきやちょう)の辺りで営業を始めます。明暦3(1657)年に発生した「明暦の大火」の後、浅草寺裏に移転し、新吉原と呼ばれるようになります。
新吉原は、東京ドーム2つ分ほどの広さの長方形の土地で、周囲は黒板塀で取り囲まれ、その外には「おはぐろどぶ」と呼ばれる堀がありました。出入り口は、大門(おおもん)1か所だけ。大門は、板葺き屋根の冠木門(かぶきもん)という簡素なもので、夜明けとともに開けられ、夜四つ(午後10時頃)に閉められました。
大門をくぐると、吉原を南北に貫く「仲之町」と呼ばれるメインストリートが、135間(約250m)の長さで続いていました。華やかな花魁道中などのアトラクションは、メインストリート兼アトラクション広場でもある仲之町を舞台に繰り広げられたのです。
『江戸名所花暦』では、「春之部」の桜の名所の一つとして「新吉原」を紹介していますが、実は吉原遊郭の桜は、桜の咲く時期だけ移植された桜でした。
毎年三月朔日より、大門のうち中の町通り、左右を除けて中通りへ桜数千本を植うる。常にはこれ往来の地なり。としごとの寒暖によって、花遅ければ朔日(ついたち)より末に植込むこともありけり。葉桜になりても、人なほ群集す。
毎年3月1日頃(現在の3月下旬頃)、吉原遊郭のメインストリートである仲之町に数千本の桜が植えられたのだとか。しかも、その年の寒暖によって、桜の木を植える日を調整していたようです。『江戸名所花暦』では、「桜の木が数千本植えられた」とありますが、仲之町に桜の木を植えようとする場合、3、4列に密植したとしてもせいぜい200本前後となり、「数千本は多すぎる」という意見もあるようです。いずれにせよ、吉原遊郭のメインストリートに、見事な桜並木があったことは間違いないようですが。
葉桜になっても大勢の人が訪れ、人気を集めていた様子がうかがえます。
なお、2月下旬頃から桜の木を根付きのまま移し植えて、客寄せのため、開花の時期を3月1日と3日の紋日に合わせたという説もあるようです。
桜は、150両(約600~900万円)もの大金をかけて、開花時期にあわせて山から根の付いたまま運び、散ると抜いてしまうという贅沢なものでした。費用は、妓楼や見番、引手茶屋などが分担して負担していたようです。
吉原遊郭の街並みを上空から俯瞰的に眺めた絵です。絵の左下にある大門から、桜並木が続いていた様子がわかります。吉原遊郭を訪れ、大門をくぐった人たちは、メインストリート・仲之町に植えられた桜の素晴らしさにまず目を奪われたのです。
吉原遊郭にやってきた客を喜ばせるための春のイベントとして、わざわざ桜を植えようという発想にも驚かされます。実際には、どこの桜の木をどのようにして吉原遊郭に運び込み、桜の木を痛めずに植え替えを行っていたのか詳細はわからないのですが、江戸時代の園芸技術が高かったことを伺い知ることができます。
吉原遊郭のメインストリート・仲之町には、春の桜以外にも季節に合わせて菖蒲や菊などの花が植えられていました。季節の花を使って、アミューズメントパークを華やかに演出していたのです!
非日常を幻想的に演出する吉原遊郭の夜桜
艶やかに演出された吉原遊郭の年中行事の中で、最も華やかで、賑やかだったのが三月の夜桜です。
吉原遊郭の桜は、寛保元(1741)年春、茶屋の軒下に鉢植の桜を飾ったのが評判になり、翌年からは桜の木を植え、花の時期が過ぎると抜き去るのが恒例になりました。
延享2(1745)年には、桜の木の下に山吹を植えて周りを青竹の垣根で囲い、夜は雪洞(ぼんぼり)に灯をともして夜桜も楽しめるようになりました。電気がなく、油も貴重だった時代、アミューズメントパーク・吉原遊郭の夜桜の花見は、江戸の人々にとっては、とても幻想的なものであったと思われます。
この期間は、普段は吉原遊郭に立ち入ることができない一般の女性にも開放されていたのだとか。江戸の人々だけではなく、地方からの観光客や参勤交代で江戸に来た武士など大勢の人々が、評判の桜を一目見ようと、吉原遊郭を訪れたのです!
浮世絵が再現する吉原遊郭の桜と花魁たち
吉原遊郭の春を彩る桜。そして、桜に負けないくらいの美しさで魅せる花魁たち。満開の桜を背景に、派手な簪(かんざし)を何本も挿し、艶やかで迫力のある裲襠(うちかけ)姿の花魁道中は、非日常の世界を創出しました。
吉原遊郭の桜は現在はなくなってしましましたが、現在でも花魁たちの映える姿を切り取った浮世絵で楽しむことができますよ。
主な参考文献
- ・『江戸名所花暦』(江戸名所図会 第4) 有朋堂書店 1927年
- ・『浮世絵でめぐる江戸の花:見て楽しむ園芸文化』 日野原健司、平野恵共著 誠文堂新光社 2013年4月
- ・『図説浮世絵に見る江戸吉原』 佐藤要人監修 河出書房新社 1999年5月
- ・歌舞伎の舞台で吉原の遊廓の中に桜並木が登場するが、江戸時代にはあったの?(国立国会図書館レファレンス協同データベース)
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