春レジャーといえば、なんといってもお花見。江戸の人々にとって、お花見は一大イベントで、前の日からお弁当など準備をして出かけたのだとか。
うららかな春の日差しの中、満開の桜の木の下で食べるお弁当も楽しみの一つです。江戸のお花見弁当には、どんな料理が入っていたのか気になりませんか?
江戸庶民の年中行事、お花見
江戸の庶民たちが盛んに花見を楽しむようになったのは、寛文年間(1661~1673年)の頃から。現代でも都内屈指の花見の名所である上野恩賜公園は、江戸時代は東叡山寛永寺の境内地でした。お花見の名所として庶民にも開放されていましたが、将軍家の菩提寺である寛永寺があることから、飲食や音曲、夜桜見物は禁止。
享保年間(1716~1736年)、8代将軍・徳川吉宗が王子の飛鳥山、隅田川堤、小金井堤などに大規模な桜の木の植樹を行い、花見を奨励します。中でも飛鳥山は、苗木の成長とともに上野をしのぐ花見の名所となります。
人々は、桜が咲き始めると、連れ立って花見に繰り出します。
江戸時代には、様々な品種の桜が各所に植えられていました。花の咲く時期は品種ごとに異なるので、時期をずらしながら様々な桜を楽しめることができたのです。桜の特徴や開花時期、名所等を紹介する「花譜」「花暦」のようなガイドブックも出版されました。
江戸で花開いたお弁当文化
庶民のレジャーとしてお花見が定着してくると、お花見弁当にも関心が集まります。
江戸時代初期に刊行された『日葡(にっぽ)辞書』は、ポルトガル語で説明した日本語の辞書ですが、「Bento(ベンタウ 便当・弁当)」という言葉が掲載されています。現在の弁当と同じ意味で記された文献としては、『日葡辞書』が最初だと言われています。
弁当(携行食)は、屋外での労働などに従事する場合の日常のものと、旅行やレジャーなどの場合の非日常のものに大きく二分されます。江戸時代の日常の携行食は、おにぎりに漬物・味噌・梅干しを添えたシンプルなものだったそうです。
江戸時代中期になると、料理の内容も多様になり、弁当のおかずもバラエティに富んだものへと変化。花見や船遊びなどのレジャーや芝居見物の時も手作りのお弁当を携えて行くことが多かったそうですが、仕出しや現地の屋台・茶店などから食事を調達することもあったのだとか。
こうして、お弁当のメニューや詰め方にこだわるだけではなく、弁当箱のデザインにも趣向を凝らして楽しむ「弁当文化」が江戸時代に花開いたのです!
料理本『料理早指南』の豪華すぎるお花見弁当
江戸時代は、料理に関するガイドブックも数多く出版されました。ただし、日常のお弁当はあまりにもシンプルだったため、料理本で取り上げられることはなかったようです。
その中で、江戸時代後期、享和元(1801)年に刊行された醍醐山人(だいごさんじん)による料理本『料理早指南(りょうりはやしなん)』の第二編では、非日常の携行食として重詰(重箱)料理を取り上げられているのが注目されます。
『料理早指南 第二編』では、「時節見舞の重詰」「船遊びの重詰」「雛祭の重詰」など、季節やシチュエーションごとに四段の重箱に何を詰めるとよいかを例示するだけではなく、美しく見える詰め方も紹介しています。さらには、季節を問わない時節見舞のような場合は、「メニューの一部を、その季節の旬のものに変えると良い」といった実用的なアドバイスも載っています。
それでは、豪華なものから手軽なものまで、3種類の「お花見の重詰」のメニューがどのようなものか、見ていきましょう。
「上の部」重詰のお品書き
初重詰合九種:かすてら玉子、わたかまぼこ、わか鮎色付焼、むつの子、早竹の子旨煮、早わらび、打ぎんなん、長ひじき、春がすみ(寄物)
二重引肴:蒸かれい(薄く切ってほいろにかける)、桜鯛(骨抜き早ずし)、干大根(五分つけ結んで帯に赤唐がらし)、甘露梅(白砂糖)
三重:ひらめ(刺身)、さより(細つくり)、白髪うど、わかめ、赤酢みそ敷き
四重蒸物:小倉野きんとん、紅梅餅、椿餅、薄皮餅、かるかん
割籠(わりご):焼飯、よめな、つくし、かや(小口ひたし物)
瓶子(へいじ):すみ田川中くみ
デザート付きの四段の重箱に、割籠に入れた焼飯(やきいい/焼きおむすび)、瓶子に入れたお酒をつけた豪華な重詰です。
桜鯛、若鮎、早竹の子、早わらび、嫁菜、つくしなど、春が旬の食材がバランスよく入っているだけではなく、焼き物、煮物、寄物、蒸し物、刺身、浸し物と調理方法もバラエティに富んでいることがわかります。さらに、かすてら玉子の黄色、早わらびの緑、長ひじきの黒、桜鯛やうどの白と、彩りもきれいですね。干し大根は、赤唐辛子で束ねて、色を利かせる工夫もしています。
初重の「かすてら玉子」は、卵にすりおろした山芋と砂糖を加えて、カステラのようにふわふわに焼いたもの。「わたかまぼこ」は、アワビの青わたを入れて作ったかまぼこ。どちらも凝った料理です。
三重の刺身は、赤酢味噌を敷いた上にワカメに「白髪うど」を添えて盛り合わせています。「白髪うど」は、うどを縦に細く包丁で切り、水につけてシャキッとさせたもの。「白髪うど」は形状が白髪に似ていることから名づけられたものですが、白髪は長寿を意味する縁起の良いものとされています。
「中の部」重詰のお品書き
初重七種:かまぼこすみながし、車海老鬼がら焼き(殻つきのまま照焼きにした料理)、鱚(きす)頭を落としててり煮、長芋丸く切って皮つき、わらび、つまみ麩、むきぐるみ
二重引肴:むつ刺身、三月大根たんざく、貝割菜、
つめ合わせ(干し大根はりはり、うど、よめ菜)
三重数物:とうの芋の子、烏賊(いか)ふき煮つけ
四重蒸菓子:おぼろまんじゅう、山椒餅、蓬(よもぎ)のしんこ、花ぼろ、せんべい
四重の「花ぼろ」は、花の形のビスケットのようなもの。小麦粉に鶏卵、砂糖を混ぜてのし、花型に作って中央に穴をあけて鉄板で焼いたお菓子です。
「中の部」は四段の重箱に詰める料理の紹介のみですが、このほかに「焼飯、香のもの、樽につめたお酒などを持って行く」としています。
「下の部」重詰のお品書き
初重七種:さよりかば焼き、蛸(たこ)さくら煮、とうの芋、にんじん、わらび、玉章(たまずき)ごぼう、木くらげうま煮
二重引肴:むしがれい色付焼き、田にし木の芽和え
三重餅詰:うぐいす餅、きぬたまき
四重:焼飯
三重の「きぬたまき」は、小麦粉に砂糖を入れて水でこね、薄く焼いたお菓子です。
「下の部」は「上の部」「中の部」よりも品数は少ないのですが、「四段のお重のほかに、干菓子、酒を用意すること」「お重には数多く詰めて、1日中持つよう心がけること」というアドバイスが添えられています。
旬の食材を使った重詰
『料理早指南』で紹介されているお花見の重詰は三段階にランク付けされていますが、どれも春が旬の食材を上手に使った、彩りも美しいものであることがわかります。しかも、デザート付き!
このような立派な重詰を用意するには、お金も時間もかかったと思われますが、お弁当を準備をするのもお花見の楽しみの一つだったのかもしれません。
大店などの裕福な層のお花見弁当は、文化・文政年間(1804~1830年)の美食ブームをきっかけに、料亭の膳をそのまま屋外に運び出したような豪華なものになったと言われています。
みんな大好き、卵料理
室町時代半ばからポルトガルやスペインとの間に始まった南蛮貿易は、様々なものを日本に伝えましたが、その一つがカステラ、ボーロ、ビスケットなどの南蛮菓子です。砂糖や卵を使ったお菓子は、日本人を魅了しました。
鶏は古くから家禽(かきん)として飼育されてきましたが、江戸時代に入って、卵を生産する目的で鶏を飼育する農家が現れます。江戸時代中期の天明5(1785)年に出版された『万宝料理秘密箱(まんぽうりょうりひみつばこ)』の「卵」の項目には、103品もの卵料理が掲載されています。この本は『卵百珍』とも呼ばれ、揚げ卵やポーチドエッグのような料理のほか、様々な卵焼きが掲載されています。
ところで、落語に『長屋の花見』という演目があります。『長屋の花見』は、上方落語『貧乏花見』が明治30年代に東京に移入されたもので、江戸時代の貧乏長屋の花見の様子を描いています。
ある日、貧乏長屋の大家が「みんなで陽気に騒いで、貧乏神を追い出そう」と店子たちを誘い、花見に行くことになったのですが、大家の用意した酒は番茶、重箱の中のかまぼこは大根、卵焼きは沢庵(たくあん)という代用品でした……。
お弁当に詰める料理として、色彩がよくて汁気の出ないかまぼこや卵焼きが人気だったそうです。でも、卵は高価な食材でしたし、かまぼこも高級品で、一般化するのは幕末になってから。庶民にとっては、「卵焼きとかまぼこの入ったお花見弁当」は「憧れのお弁当」だったのかもしれません。
レジャーのお供は、豪華な堤重
弁当文化が花開いた江戸時代には、機能性だけでなくデザインも工夫されたお弁当箱が作られました。
お花見に持って行くお弁当箱は、主に重箱でした。重箱は室町時代に登場し、江戸時代の中期頃から庶民の間にも普及します。重箱は重ねると場所をとらず、広げるとたくさんの料理を一度に提供することができます。四段重が基本ですが、江戸時代には10段重ねのものや、丸型、五角形など、いろいろな形の重箱があったのだとか。蒔絵を施した豪華なものから、庶民が用いる簡素なものまで、様々な重箱が作られました。
持ち運びに便利なように、持ち手をつけた提重(さげじゅう)もよく利用されました。持ち手がついた外箱の中に重箱が入っており、徳利、盃、取り皿、箸などがセットになっています。携帯用としての機能だけではなく、季節やレジャーに応じた趣向を凝らしたものも作られました。
金銀の蒔絵で貝や海藻を描かれた、江戸時代の華やかな提重です。提鐶(さげかん)がついて持ち運びができるようになっており、花見などのレジャーや、観劇の際に用いられました。四段の重箱と錫製徳利(すずせいとくり)一対、方盆(ほうぼん)・朱塗盃・銘々皿(めいめいざら)5枚などを収めます。
「割籠」は、檜などの白木を薄く剥(は)いだ板で作られた中に仕切りのある弁当箱です。仕切りがあると、味が他に移ることを防ぐことができるので、野外での食事や他家に食物を分ける時に便利でした。通気性や保湿性にも優れ、時間が経っても中の食材が固くなりにくいという特徴があります。
白木を用いた弁当箱には「折箱」もあります。折箱は、仏具・神具や食膳として使われた折敷(おしき)に由来する使い捨ての容器です。
季節と自然を楽しむためのお弁当
江戸時代の花見風景を描いた浮世絵も多く残っています。
赤い毛氈(もうせん)を敷いてお花見楽しむ女子が描かれています。花見の毛氈の上には、お酒の入った角樽(つのだる)、重箱、煙草盆などが見えます。盃を持った女性の前にある桜模様の重箱の中には、色とりどりの料理がぎっしりと詰まっています。
もしかしたら、『料理早指南』に掲載されているような豪華な重詰は理想であり、庶民のお花見弁当は、いつもよりもちょっと豪華なお弁当だったのかもしれません。それでも、開放感のある戸外で、美しい桜の木の下、親しい人々と食べたお弁当は格別だったのかもしれませんね。
主な参考文献
- ・『日本のお弁当文化:知恵と美意識の小宇宙』 権代美重子著 法政大学出版局 2020年4月
- ・『江戸の食と暮らし:和食の原点は江戸にあり(洋泉社MOOK)』 洋泉社 2016年9月
- ・『大江戸食べもの歳時記』 永山久夫著 グラフ社 2010年4月
- ・『錦絵が語る江戸の食』 松下幸子著 遊子館 2009年7月
- ・『日本料理法秘伝 5』 飯田喜代子編 同朋舎出版 1985年1月