Culture
2022.04.15

日本書紀に書かれなかった泥沼離婚「ひねくれ日本神話考〜ボッチ神の国篇vol.7~」

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重要な神々を生成したイザナミ。今回は彼女の墓にまつわるミステリー!

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イザナミの墓の行方を追う!

古事記では、出産時の大怪我で命を落としてしまう女神イザナミ。

亡骸は出雲(今の島根県)と伯耆(今の広島県)の境にある「比婆之山」に葬られたと明記されている。

元祖にして類を見ない国母の墓だ。さぞ盛んに祀られたに違いない。

と、現代人なら思うだろう。

ところがどっこい、古事記が編纂された時代でさえ、「比婆之山」の正確な所在地はすでに不明だったらしい。結構いい加減なものである。

そして令和の今では、広島県、島根県、鳥取県の3県にまたがって複数の候補地がある事態になっている。

一応、宮内庁が参考地として公認しているのは島根県松江市の神納山にある「岩坂陵墓」だ。だが、参考地とはすなわち「異論はあると思うし、自分たちでもあんまり信じてないけど、大人の事情でここってことにしておいてね♡」ぐらいの意味なので当てにはならない。そもそも戦前は内務省(敗戦時に廃止)が、別の山を指定していたぐらいだ。鳥取県日南町の御墓山がそれである。御墓山って名前がいかにもそれっぽくてホラー作品のタイトルなんかにバッチリだと思うが、古代墳墓や祭祀場跡が現存しているわけでもないようで、戦後は「候補地のひとつ」に格下げになった。

結局、今もわりあい積極的に「イザナミの墓」を前面に押し出しているのは、広島県庄原市の比婆山と島根県安来市の比婆山の二箇所に限られるようである。なお、こちらは双方とも山中に神社が設けられている。

ところが、実はこの両所より知名度の高い「イザナミの墓」が他にあるのだ。

三重県熊野市にある「花の窟」。世界遺産「熊野・熊野古道」に含まれる古い祭祀場跡だ。熊野灘の岸壁にそびえる白い巨岩が古代巨石信仰を彷彿させるこの場所、日本書紀の「一書」において「イザナミの墓所」とされている。しかも、祭祀の形態まできちんと記されているではないか。場所すらわからない比婆山とは大違いである。

あれ、前回「日本書紀ではイザナミは死なない」って言ってなかった? と思ったあなた。

ご愛読、まことにありがとうございます。

ありがとうございます!

そう、その通りなんです。

日本書紀はイザナミの死はスルーなんです。ただし、正伝のみ。

古事記のイザナミはカグツチを生んだ時点、つまり天照大神、月読尊、素盞鳴尊の三貴子が生まれる前に死んでしまう。

ところが、日本書紀ではイザナギイザナミが揃って三貴子を生んだことになっている。 そして、三神それぞれが治めるべき場所を決め、国の形が整ったのを確認すると、イザナギは病に倒れ死んでしまうのだ(高天原に帰った説も併記されている)。一方、イザナミの消息には言及されないまま、一書、つまり別伝の紹介に突入してしまう。

そして、別伝にはイザナミが火の神を生んだせいで死んでしまったことはもちろん、有名なイザナギの黄泉下り神話、さらにそこからのイザナギ単独での三貴子生成の話がきちんと紹介されているのだ。

これ、なんだかおもしろいと思いませんか?

あれっ、古事記で読んだ内容と同じ……?

当然ながら日本書紀の編者たちは、イザナミの死をめぐる騒動は宣告承知の助だった。なにせ、その後延々11パターンも紹介する「一書」のすべてが、イザナミの死に触れるか、死に言及しなくとも三貴子をイザナギ独りで生んだ子とするか、あるいは黄泉下り(つまりイザナミの死が前提となる)に言及しているのだから。

多数決だと、イザナミ死亡説が正しいことになる。

ところが、日本書紀の編者は、多数意見を無視してまでも三貴子を「夫婦でこしらえた子たち」にしてしまった。

なぜ? なぜなの?

とっても不思議だが、ここに中国思想の影響を見る研究がある。

「国の正史」を目指した日本書紀の編集方針は、グローバル・スタンダードを目指して中国史書の書式を採用し、ワールドワイドの権威がある中国の道教/陰陽思想を借用することにしている。

その陰陽思想は、万物は陰と陽のバランスから成り立っている、とする。

だから、神話上、皇祖神と「設定」される天照大神とその弟たちは、陽神であるイザナギと陰神であるイザナミの二柱が揃った、つまりバランスが保たれた状態で生まれた完璧な神でなければならないと考えたのではないか、というのだ。

私のようなチャランポランはそんなの別にどっちでもいいじゃん、と思うが、国家の威信をかけた事業において、理論面はゆるがせにはできなかったのかもしれない。

でも、私はつい、もっと俗なことを考えてしまう。

つまり、日本国最初の夫婦が大喧嘩の末に離婚した、ってエピソードはさすがにまずいだろうと思ったんじゃないの? と。
 
「イザナミ焼死説」では、後日談としてイザナギの黄泉下り神話を語る。そして、書紀正伝以外では、この部分こそ三貴子誕生のイントロダクションとなる。とても重要なエピソードなのだ。

そこをざっくり切り捨てるのは、結構勇気がいると思う。だが、日本書紀の編者は蛮勇をふるってでも、国を生んだ夫婦神の泥沼離婚を「正式な歴史」にすることは避けたかったんじゃないか。

そんな風に思うのだ。

古代の先進地域である中国大陸には、東アジアの思想スタンダードのひとつである儒教が紀元前六世紀に成立し、記紀が作成された時代の日本にももちろん伝わっていたと見られている。

で、その「すぐれた国のすぐれた教え」には、「女は男に逆らってはいかん」と明記されているのだ。男尊女卑は当時の“先進思想”だった。
 
ところが、後進国の女神は夫にがっつりと逆らってしまうのである。

どんな風に逆らうのか。

それはまた次回。 

くぅ〜!いいところで終わるなぁ〜!

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書いた人

文筆家、書評家。主に文学、宗教、美術、民俗関係。著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』『文豪の死に様』、共著に『史上最強 図解仏教入門』など多数。関心事項は文化としての『あの世』(スピリチュアルではない)。

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編集長から「先入観に支配された女」というリングネームをもらうくらい頭がかっちかち。頭だけじゃなく体も硬く、一番欲しいのは柔軟性。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』『藝大アートプラザラヂオ』担当。ポテチと噛みごたえのあるグミが好きです。