ひげの殿下こと寬仁親王殿下の素顔が伝わる、エッセイをご紹介するシリーズ。今回は、4回目になります。
本書には、自分に正直に、皇族として、一人の人間として、66年の生涯を生き抜かれた寬仁親王のありのままの思いが詰まっている。(彬子女王殿下)
『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』 はじめに より
2012年に薨去された、寬仁親王殿下(ともひとしんのうでんか)。薨去から10年にあたる2022年、殿下が生前に書き続けてこられたエッセイが出版されることになりました。タイトルは『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』。1980年から2011年にかけて発刊された、寬仁親王殿下が会長を務める柏朋会(はくほうかい)の会報誌『ザ・トド』、この誌面に掲載されたエッセイ「とどのおしゃべり」を再構成した書籍です。
連綿と続く日本の皇室
この記事では、『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』の中から、殿下のお人柄や、皇室の様子がうかがえるエッセイの一部をご紹介します。前回の記事は、こちらです。
■ エッセイで知る寬仁親王殿下の素顔(第3回)『ひげの殿下日記』より「友情」
人見知りの少年だった殿下が、豊かな友達関係を築いていく過程が伝わる内容でした。
今回ご紹介するエッセイ「天皇と日本」では、殿下の日本の皇室についてのお考えが、書かれています。3年前に天皇陛下が御即位になり、「平成」から「令和」へと改元されたのは、記憶に新しいことでしょう。私は、この時に平安絵巻さながらに行われた「即位礼正殿の儀」をテレビで拝見して、皇室の歴史を感じました。海外メディアも中継するなど関心が高く、反響も大きいものでした。
殿下が皇族の目線から語られる、日本の皇室の特徴は、示唆に富んでいて、とても興味深いです。
天皇と日本(2009年12月20日)
文・寬仁親王殿下
この標題は、我が国と我が国民にとって最も大切なテーマであり、皇室を抜きにした日本史は考えられませんし、今後も永久に続いていくものだと思います。
天皇を頂点とする皇室が、世界史に類を見ない特徴として、「神話の時代」から、「現在」迄、二六六九年の永きに亘って、万世一系という男系の家系を継承されて来られた事実があります。
簡単に言うと、今上陛下(一二五代)にも私にも神武天皇(初代)の血統(Y染色体)が、連綿として脈打っているという事です。
一二五代の天子様の家系の中には、十代八方(御二方が重祚(ちょうそ)されている)の女帝がおられましたが、皆様、崩御された天皇の皇后か独身でいらして、配偶者をお持ちになられませんでしたので、万世一系は男系によって守られ続けて来たという、稀有な歴史を有しています。
諸外国の王皇族の家系図は、我が国と違い、長い歴史の間に、様々な組み合わせが成立し、英王室を例に取れば、仏・独・ギリシャ ・スコットランド等々の血が入っているはずで 、それ故に今でもヨーロッパの王皇族は、 国が違っても、「親戚付き合い」をなさいます。
成立過程も、各地方の領主(豪族)が覇を競い、有力者が王になり、時の王朝が力を失うと次の王朝が名乗りを上げるという形になり、女系もありますから、万世一系で無く、その時代ごとの王・女王で、ヴィクトリア朝とか、ウィンザー朝という風に名称も変わります。
現在は、殆どが、立憲君主制議会制民主主義を取っていますが、我が国の皇室は、憲法・皇室典範・皇室経済法で、政治・営利にタッチ出来ません。外国の王皇族は各国で違いますが、かなり政治的な力をお持ちになっています。
古い話ですが、エティオピアのハイレ・セラシエ一世やイランのパーレビ皇帝は、政治・経済・軍事その他を統括されていましたので、国民の不満が飽和状態になるとクーデターによって、両皇帝の政府は転覆されました。
又、聞いた処では、英国は議会制民主主義の元祖の様な国ですが、女王陛下は、政府から上がって来たペーパー(法律・政令等々)を一度はお戻しになる権利を所持されているそうです。勿論再提出があった後は、お認めになる訳ですが、我が国の天皇陛下は、内閣が上げた全ての書類に拒否権をお持ちになっていません。
例外的に、昭和天皇は、二・二六事件の時と終戦の時、二度、御自身の意見を述べられたと直接伺いました。
前者は内閣を形造っていた、首相・大臣達が、青年将校に襲われ、機能停止の状態でしたから、陛下は御自ら、「馬引け!」と仰せになりました。
後者は、御前会議で、閣僚達の意見が三対三になって決まらず、鈴木貫太郎首相が、「畏れ多い事ではございますが、陛下の御意見を伺いたい!」とお願いしたので、陛下は、「東郷外相の和平案に賛成である」と仰せになりました。
つまり二回共、補弼(ほひつ)・補翼をすべき、内閣・軍部共に答えに窮した時のみの御発言であり、我が国は見事に、権威と権力が分離しています。これが、二六六九年継続して来た我が国の国民の、「民族の知恵」ではないでしょうか ?
近頃、外国人には日本の首相や大臣が余りにも早く代わるので、大いに驚かれている現実がありますが、国民にそれ程、「不安感」が見られないのは 、やはりこの悠久の歴史を背景にした、一二五代の天子様(皇室のあり方) の存在がある為の、「安堵感」のなせる業ではないでしょうか?
天皇という御存在は、神道的に見れば、「祭祀王」としての御立場とも云えるでしょうし 、家系的に見れば、我が国で最も古い、「家系の主」とも言えますし、社会的には 、 二六六九年の日本の「伝統文化の担い手」とも言えるでしょう。
そして、外国の王皇族は、前記のごとく政治的な発言もなさいますし、経済・社会・軍事等々にも関係なさいます。更にいつも目立つパフォーマンスを意識しておられます(国民の側もそれを期待しているし、国民自身がパフォーマンスをする)。
然(しか)し乍(なが)ら、我が国では、一二一代孝明(こうめい)天皇迄は御簾(みす)の向こうにおわしまして、明治帝から初めて、国民の前に姿を現されたという特殊な形態で来ました。
唯思うに、当時(古代)の人々は山間僻地に住んでいた様な民草の人々でも、「京に都と云うものがあって、天子様という偉い方がおわすそうだ!」といった程度の常識は多分伝承で語り継がれていたはずです。
これが我が国の、「一君万民」の基本的な姿勢だったのでは無いでしょうか?
外国は、古くより合理主義を尊びます。然し乍ら我が国は、神道という宗教ではない、「神の道」を尊び、神秘的な現象を極く普通に受け入れて今迄来ました。自然界の全ては、神足り得るものとして尊敬し、自然と共に生きる、共生するという事を古代から真面目に守って来ました。
諸外国は、自然と云うか地球を、自分達が征服するという事を主眼にして来た様な気がします。科学の力で産業革命を起こし、人間が全てを支配するといった雰囲気を私は感じます。前述の様に、合理主義に裏打ちされた、オール・オア・ナッシング(イエス・オア・ノウ)の外国人魂と違い、我が国では、時間を掛けて自然にありのままに日本化し、自家薬籠中(じかやくろうちゅう)の物にしてしまう特殊性があります。
外国人と比較して、強いて言えば 、グレイ(灰色)の部分を沢山持っているのだと思います。外国から見れば、神秘的に見えるかも知れませんし、我々日本人でさえも、日常生活や人生の中に多くの答えの出ないものを大切にして来た歴史があり、そこの所が、我が国の世界に冠たる特徴であると思います。
天皇陛下が御奉仕される、「新嘗祭(にいなめさい)」或いは、 お代替わりの「大嘗祭(だいじょうさい)」等の宮中祭礼は全て、我々は拝見した事も、同席した事も無く、幄舎(あくしゃ)の中で、静かに鎮まって儀式の終わるのをお待ちしているのです。
同じ様に、「三種の神器」についても、我々は一生見る事も無く、語り継がれて来た事を信じているだけです。
外国人に、以上の様な話をしたとしても、到底理解してくれないと思いますが、我々日本人は、自然界の中で様々な形で、あらゆる物を神々しいものとして受け入れ、大事にして来ていると同時に、繰り返しますが、歴代の天子様の事を、「知る知らない」「見た事が有る無い」に拘わらず、日本国の象徴として、民族の象徴として、崇敬し・敬愛して来たという、全く他国に見られない、神話の時代から連綿として続いて来た、国民一人一人の 国体を守る為の、「民族の知恵」を 感じざるを得ないのです。
『ひげの殿下日記~The Diary of the Bearded Prince~』
出版社:小学館
著者:寬仁親王殿下
監修者:彬子女王殿下
発売日:2022年6月1日発売
価格:4000円+税
ページ数:608ページ