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黄泉での苦い経験を忘れるべく、禊の場を求めたイザナギ。
出雲はきれいな海があるし、宍道湖には温泉だってある。さぞ手近なよい水場を選んだのだろうと思いきや。
イザナギの一挙手一投足で神が生まれる!
筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓いたまいき。
(訳 九州の宮崎県にある橘の小門の阿波岐原というところに行って、禊をして穢れを払った)
え? 島根県から宮崎県まで行ったの? わざわざ? 直線距離でも400キロメートル以上ありますけど?
この遠距離、なにか理由があるはずだ。
イザナギの気持ちを探るべく、続きを読み進めることにした。
すると、いきなり怒涛の「新神誕生」フェーズに入ったのである。
イザナギが何かを行動を起こすたびに、神々がポコポコ生まれるのだ。
せっかくなので、生まれた神、全部列記する。
ついていた杖を投げ捨てる → 衝立船戸神(つきたつふなどのかみ/境界を明確にする神)
つけていた帯を投げ捨てる → 道之長乳齒神(みちのながちはのかみ/長い道を司る神)
持っていたバッグを投げ捨てる → 時量師神(ときはからしのかみ/時の神または旅程の神)
着ていたトップスを投げ捨てる → 和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ/旅で起こるトラブルの神)
穿いていたボトムスを投げ捨てる → 道俣神(ちまたのかみ/二股の道=境界の神)
被っていた冠を投げ捨てる → 飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ/大口を開けて罪穢れを食べる神または旅行中の食事の神)
左手につけていたブレスレットを投げ捨てる → 奥疎神(おきざかるのかみ/沖に遠ざかる神)、奥津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ/渚の神)、奥津甲斐辨羅神(おきつかひべらのかみ/沖と渚の間にある海域の神または貝の神または他界の境界の神)
右手につけていたブレスレットを投げ捨てる → 邉疎神(へざかるのかみ/海辺から遠く離れる神)、邉津那藝佐毘古神(へつなぎさびこのかみ/渚の神)、邉津甲斐辨羅神(海岸線の神または貝の神または他界の境界の神)
どうでしょう。
この、身につけていたものを片っ端から投げ捨てつつ禊場に行く感じ。
こういう人、たまにいますよね。風呂までの廊下に脱ぎ散らかした服を転々と放置する人。
しかし、イザナギは神なのでポイ捨てもただでは終わらない。
超サイヤ人になる悟空が金色のオーラを発散するように、全身からうりゃ~と怒りの神気をほとぼらせながら服を脱ぎ散らかすイザナギ(*イメージです)。
この行為が引き金になって、なんと合計十二もの新しい神が生まれたのだ。
十二神って、またえらく豪気に発生させたものである。シングルになった解放感、あるいは黄泉でのフラストレーションが為せる技だったのだろうか。もしかしたら、「イザナミがいなくたって、オレ一人で十分やれる!」アピールだったのかもしれない。妻に三行半を叩きつけられた夫の傷心隠しである。
と、まあ、あんまりふざけてばかりだと怒られそうなので、少しはまじめな話をしよう。
この十二神の正体に関しては、例によって例のごとくで「諸説あります」状態だ。
支持を集める説のひとつは、前半の六神が陸路の旅に関する神、後半の六神が海路の度に関する神とするもの。もう一つは前半六神が境界を明確にして災厄の侵入を防ぐ、後半六神が穢れを海に洗い流して捨てる行為を意味する、とする説である。
何にせよ、出雲から日向への長旅があってこそ生まれ得る神、であるらしい。
だが、この神生みは序章に過ぎなかった。
次の段階で、ようやくあの神々が生まれるからだ。
え、あの神々って? 決まっているじゃないですか。
三奇人、もとい三貴神とされる彼等ですよ!
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