恋をするのに齢も職業も関係ない。
料理人だって大工だって芸者だって、恋をする。しかし職人が、たとえば類まれなる才能をもった彫刻師が恋をした場合には、その恋は、想いもよらない結末を迎えることになる。
今回ご紹介するのは、江戸の伝説的な彫刻師・左甚五郎と京人形の奇妙な恋物語。
伝説の彫物師・左甚五郎
日光東照宮の「眠り猫」、和歌山県の粉河寺(こかわでら)の「野荒らしの虎」、埼玉県秩父市にある秩父神社の「つなぎ龍」…どれも言わずと知れた傑作ばかりだが、これら全て、彫物師・左甚五郎(ひだり じんごろう 1594-1651年)の作品とされるものである。
それでなくても、左甚五郎の伝承をもつ作品は全国に100近くもあるという。と聞けば、今すぐにでも名作の数々を実際に見に出かけたくなるが、しかし江戸時代の伝説的なこの大工は、作品の数も多いが謎も多く、そもそも実在したかどうかも怪しいのだ。
さて、左甚五郎なる人物が実在したかどうかはさておいて、その仕事ぶりを見れば、この彫物師が類まれなる才能の持ち主だったことを疑う人はいないだろう。だから、後の世にこの彫物師の逸話が芝居となったとしても不思議はないのである。
彫物師の一途な恋 『銘作左小刀 京人形』
左甚五郎は、恋をした。
相手は京の道端で見かけた絶世の美女、梅ヶ枝である。彼女の美しさにすっかり虜になった甚五郎は、自分のもてる技のすべてを注ぎ込んで、梅ヶ枝の分身を彫りあげた。想い人にそっくりの人形を作ったのである。
人形は素晴らしい出来栄えだった。
さて、甚五郎が満足げに酒を飲んでいると驚くことが起こった。なんと人形が動き出し、箱から出てきたのだ。しかも人形は甚五郎の動きの真似をするため、梅ヶ枝とは似ても似つかぬ無骨さである。
甚五郎が梅ヶ枝の落とした鏡を人形の胸に挿しいれてやると、人形はたちまち女性らしく、梅ヶ枝そっくりに振る舞った。しかし、鏡を奪うと人形は再びもとに戻ってしまうのだった。
歌舞伎『銘作左小刀 京人形』は、鏡を懐から出し入れすることで、男性と女性の仕草が変化する愉快な舞台だ。
「人形」は如何にして「にんぎょう」となったか
甚五郎は外観だけでなく、心までをも梅ヶ枝のそれにしたいと願ったのだろう。人形に生命が吹きこまれる喜びと、ただの人形へと戻る哀しみ。想い人の生き写しの人形が本人のように動き出すなんて夢のような話だが、梅ヶ枝からすれば恐ろしくて堪らないはずだ。
魂の宿った人形が動くという、この美しくも悲しい物語を、そのまま彫物師の男の純愛として読むのも十分楽しいけれど、もう一歩その先へ踏み込んでみたい。
「人形」=「にんぎょう」?
人形が、私たちが親しみを込めて口にする「ニンギョウ」という呼びかたになるまでの経緯には、興味深い事実がある。
室町時代の文明9(1477)年から江戸時代の貞享4(1687)年に至る宮廷の諸行事を記した天子近侍の女官がつけた日記に『御湯殿上日記(おゆどのの上の日記)』というものがある。文献上では「人形」が「ニンギョウ」と訓まれるようになったのは、これが最初と受けとってもよさそうだ。この説が正しいなら、「ニンギョウ」という言葉は1477年頃に使われ始めたということになる。
当時の宮中儀式が記された『御湯殿上日記』の中身についてお話するのはまたの機会にして、「ニンギョウ」の語源に戻りたい。
「人形」=「ヒトガタ」?
人形はまた、ニンギョウだけでなく「ヒトガタ」と読むこともできよう。
実際、平安時代に紫式部によって書かれた『源氏物語』では、人形はいずれも「ヒトガタ」とか「ヒトカタ」と訓まれている。
このヒトガタというのは、等身大に作られた厄払いのためのモノで、源氏は三月初旬の巳の日に海辺で陰陽師にお祓いをさせて、この人形を自らの身代わりに海に流したという。人形は呪具として、人間にとって重要な役割を果たしていたことが分かるエピソードである。
想いを託された人形たち
人形がこうも慌ただしく作られて、慌ただしく滅んでいくのには理由がある。それは、人形が呪術的な役割を担っていることと関係している。
遠い昔から、人は自分にふりかかる災厄を払うために、人形を用いてきた。このとき人形は、自分の身代わりとして河や海に流されたり、火に焼かれたりしたのである。
近しい人が病の床に伏したときには、病の回復を祈って人形は代理人の役割を課せられる。安全と平和を願って折られる千羽鶴もまた、一種の紙人形と捉えることもできよう。
言い換えれば、人形は自分が助かるための犠牲として、作られた時点から滅びる運命を担わされていたのである。
おわりに
人形の一生は、儚く、そして短い。
しかしその一生は、人間の愛や切望といった情念に満たされた生涯である。
左甚五郎が彫り上げた京人形の梅ヶ枝は、強烈なの愛着心によって生まれた。その情は想像するに、激しくもすさまじく、純粋であるがゆえに歪だ。
もし、この天才的な彫刻師が愛ではなく呪いや憎しみの情念で人形を彫り上げていたら、いったいどうなっただろう。その時は、想像するのも恐ろしい怪物が生まれるにちがいない。
【参考文献】『人形と情念』 増淵宗一、現代美学双書、1982年