「鎌倉殿の13人」とは、鎌倉幕府2代将軍の源頼家を補佐するために作られた集団指導体制、いわゆる「13人の合議制」のこと。どういう人たちかといえば、13人の有力な御家人です。ドラマ『鎌倉殿の13人』を見る前に、知っておくとさらにおもしろくなる鎌倉御家人に関する話題を3分で紹介します。
御家人って何?わかりやすく紹介
御家人とは、鎌倉殿と主従関係を結んだ武士や文官を指します。平安時代、貴族や武家の棟梁に仕える者を『家人(けにん)』と呼びました。これに対し鎌倉殿の家人には、鎌倉殿への敬意を表して鎌倉殿御家人、関東御家人などと称し、それ以外の武士である非御家人とは厳重に区別されていました。
ギブ&テイクの「御恩と奉公」
将軍と御家人は主従関係ですが、一方通行的な忠誠・服従ではなく、「御恩と奉公(ごおんとほうこう)」という互恵関係でした。将軍は御家人に所領安堵(領地の所有を保証すること)や新恩給与(新しい土地を与えること)などの保護を与える代わりに、将軍に忠誠を誓い戦時出兵などの義務を課したというわけです。
鎌倉時代後期に揺らぎはじめる御家人制
こうした御恩と奉公の関係は、鎌倉幕府の軍事的な基盤づくりに寄与しましたが、鎌倉時代後期になると、事情は一変。土地には限りがあり、分割相続を繰り返す中で、与えられる土地がどんどん小さくなりました。加えて、蒙古襲来や番役(ばんやく、交替で警護を行うこと)への不満や負担増大、執権北条氏側の御家人と一般の御家人との対立などもあり、御家人制は揺らぎはじめました。
次の室町時代でも、武家の家柄を示すものとして御家人という言葉は使われましたが、実質的な権力基盤になることはありませんでした。
江戸時代、御家人とよく似た旗本との違い
さらに時代が下り江戸時代になると、将軍と直接的な主従関係にある直参(じきさん)の中で、所領地である知行(ちぎょう)が1万石未満を旗本・御家人と呼びました。ちなみに1万石以上は大名となります。将軍に拝謁が許される御目見(おめみえ)以上の者を旗本、御目見以下の者が御家人とされました。
しかしながら、江戸時代も後期になると御家人の中には困窮する者も少なからずいたようです。
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『武者かゞ美 一名人相合 南伝二』 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献:
デジタル版「日本大百科全書(ニッポニカ)」
デジタル版「世界大百科事典」
デジタル版「国史大辞典」
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